第15回日経俳句会賞決定

英尾賞に廣田可升氏

日経俳句会賞は中沢、鈴木、水口、嵐田の四氏

《日経俳句会賞英尾賞》

ちちははに詫びたきあまた冬銀河  廣田 可升(初受賞)

《日経俳句会賞》

菊人形大坂なおみの高島田     中沢 豆乳(初受賞)

聖樹下にギフトを置いて親となる  鈴木 好夫(二回目受賞)

ページ繰る小さき風あり夏木立   水口 弥生(二回目受賞)

一年が散らかっている十二月    嵐田 双歩(三回目受賞)

12月19日の日経俳句会年次総会、下期合同句会に続いて第15回日経俳句会賞の発表と贈賞式が行われた。英尾賞には廣田可升氏、日経俳句会賞には中沢豆乳、鈴木好夫、水口弥生、嵐田双歩の4氏が選ばれた。廣田氏と中沢氏は初受賞。鈴木、水口両氏は2回目、嵐田氏は3回目の受賞となった。

委員会方式による選考を6人が担当。幹事の中村委員が「過去3年の受賞者を除くなどのルールに沿って、152句を対象に公平、公正に選んだ」と選考経緯を説明、堤幹事長から5氏に賞状と記念品が贈られた。

引き続き大澤水牛、今泉而云両顧問が掛け合いの形で5氏の作品を講評。それぞれの句の本質をとらえた的確なコメントに、作者も出席者もうなずきながら聞き入った。

この後、年忘れ会を兼ねた祝賀パーティーに移り、受賞者を祝い、一年を振り返る談笑の輪が広がった。また受賞者がそれぞれ喜びの言葉を語ったが、初受賞の2人と、11年ぶりの受賞となった鈴木さんにひときわ大きな拍手が贈られた。

《水牛・而云両顧問のコメント》

ちちははに詫びたきあまた冬銀河   廣田 可升

水牛 自分が亡き両親の年代になってくると、つくづくこういう思いに駆られます。「孝行のしたい時分に親はなし」という有名な川柳があります。この句はその続編のような感じもしますが、諧謔味よりも、もっとずっと根源的な、親・子・孫へと連綿と伝わる肉親愛というものを感じます。最初この句を見た時、ちょっと口調が悪いな、「ちちははにあまた詫びたし冬銀河」とすべきではないのかな、などと思っていました。しかし、今こうして読み直すと、「詫びたきあまた」というちょっと舌足らずな言い方がとても良い味を出していることに気が付きました。

而云 冬銀河を見上げ、亡き父母への「詫びたきことのあまた」を思う。酔って夜中に帰途のことでしょうか。年配の男性なら、同じような思いを抱いたことがあるはずです。人間と宇宙、子供と父母はこのように繋がっているのだと思いました。

菊人形大坂なおみの高島田      中沢 豆乳

水牛 句会でこの句を見た時、ちょっとやり過ぎだなあと思って採らなかったのです。しかし、最高点を取って、合評会で皆さんの句評を聞いているうちに、私はもう少し素直にならなければいけないなと反省しました。この句は私にとって、そういう句です。作者によると、確かに「高島田は作った」のだそうですが、そういう操作は十分許されます。令和元年を記す良い句です。

而云 作者は句会で「実物の菊人形は高島田ではなかった」と告白し、笑いを誘いました。実物ではなかったのだが、高島田の大坂なおみの姿・顔立ちは、すでに私の頭にしっかりと描かれています。たぶんなおみ選手が引退する頃になっても、私は彼女の花嫁姿を思い浮かべるでしょう。

聖樹下にギフトを置いて親となる   鈴木 好夫

水牛 「聖樹下に」という堅苦しい言葉が非常な効果を発揮しています。何の事は無い、子が寝静まった夜中、クリスマスツリーの下にプレゼントを置いたという情景なんですが、「親となる」という下五で、親の自己満足から、本当に「家族だなあ」という気分になったという感じが伝わってきます。

而云 子供が一歳か二歳のころだろうと思います。ツリーの下にクリスマスプレゼント置いて、気づいた。「私は親になっていたのだ」と。初めて生まれた赤ん坊は可愛いが、自分が親であるという自覚はまだ薄い。プレゼントを置くことで、親の自覚が生れたのです。その素晴らしい瞬間を詠んでいるのだと思います。

ページ繰る小さき風あり夏木立    水口 弥生

水牛 繊細な叙景句で、私の大好きな句です。夏木立と言ってもこれは真夏の緑蔭ではなく、初夏の感じがします。芭蕉には「先づたのむ椎の木もあり夏木立」という名句があります。これは強い日射しから守ってくれる夏木立ですが、水口さんの夏木立は日差しはそれほど激烈ではなく、むしろ爽やかな風を送ってくれる木立の趣です。読んでいる私も昼寝に誘われてしまいそうです。

而云 微風で頁が繰れるのか。単行本、文庫本などを開いてみたが、そんな状況は生れそうもない。しかし私の頭の中では夏木立からの風でページがふはりと繰られていくのです。実際にはどうなのか、などを検証するのは何と愚かなことでしょう。俳句の素晴らしさは、こういう所にもあるのだと知らされました。

一年が散らかつている十二月     嵐田 双歩

水牛 これはユーモアとウイットに富んだ句で、さすがは手だれの双歩さんという感じです。作者もそうなのかも知れませんが、私なぞ年がら年中、新聞雑誌でこれは面白いというのを破り取って、積んであります。年末になるとそういうのがうずたかく積もって、雪崩を起こします。この句はそういう、目の前の乱雑さだけでなく、あれもしなきゃ、これも片付いていないという焦燥感も伺えます。

而云 昨年の合同句会で断トツの最高点句。合評会のコメントを調べたら、散らかっているのは「家の中」「私の頭の中」「社会」「政治の現況」など実にさまざまでした。今年に当てはめたら、さらに厳しい指摘にならざるを得ません。一年を経て政治・社会はさらに酷く、この句はますます輝きを増していくように思います。

《受賞者の挨拶》

廣田可升さん

ちょうど五年前の秋、谷川水馬さんから飲み会の案内状をいただき、そこに俳句が書かれていました。たしか、本のページに栞がわりに挟まれていた薄紅葉を詠んだ句だったと記憶しています。翌年には会社を退職することが予定されていて、仕事をやめた後なにか新しいことをしないと持て余すなと思っていた頃でもあり、この句を読んでなにか琴線にふれるものを感じました。飲み会で谷川さんにお会いした折に、「俳句やってみたいんやけど」ともちかけ、その年の暮から番町喜楽会に参加させていただきました。まったくの偶然から始まった瓢箪に駒みたいな話でもあり、自分の飽きっぽい性格も知っていたので、いつまで持つやらと思っていたのですが、両顧問のご指導と句会の皆さんのおかげもあり、飽きることもなく続けられました。本日、思いもかけずこんな賞をいただき、ご縁があって日経俳句会に参加させていただき本当に良かったなと感謝しております。ありがとうございました。

中沢豆乳さん

自分でも駄句だなと思っている俳句に賞をいただき、恐縮するとともに、とても嬉しいです。何ひとつ貢献していない、名前だけの日経俳句会会長です。審査した方々が、そんな会長に対して忖度してくださったのだろうと思います。会長になって良かったなあ。──面目ないことだけれど、四十年近い記者生活で表彰されたことは一度もありません。この句は福島県二本松の菊人形祭りの実景ですが、創作というか噓が含まれています。何だかガセネタで表彰されたような気分です。本当にありがとうございました。

水口弥生さん

思いがけず日経俳句会賞を賜り、有難うございました。日を重ねるにつれて、その重さを思わずにはいられません。受賞句は暑い日の公園での光景。漫画本(表紙のない)の数ページが、ぺらぺらそよいでいたのを思い出し、ちょっとおしゃれに仕上げて、そっと投句してみたものです。今年は俳句の神様に見放され、毎月の投句に四苦八苦。そんな極月に望外の神様のお恵みがあり、年を納めることが出来ました。これを励みとして、来年の楽しい句作に繋げたいと思います。

嵐田双歩さん

十人十色というように、人それぞれ考えも好みも異なるはずなのに、こんなに大勢の人から支持されるとは本当に驚きました。ちょうど一年前の合同句会で、自分で集計していて怖くなるほどでした。どうして17点も集まったのか、受賞が決まって考えてみました。この句は「なんだか部屋が散らかってるなあ、一年分だもんね」という単純な発想からできたのですが、読む人それぞれが別々の解釈をしてくれたおかげだと気づきました。散らかっているのは、物だったり事だったり気持ちだったり、読者ひとり一人が自分に引きつけて共感していただいたのだと。中には、世の中の未解決のあれこれ、政治のことや災害の復興のことまで言及し、時事句と捉えた人もいました。俳句が一人歩きをした結果、このような大量得票という雪崩現象を起こしたのでしょう。今年もいろいろと散らかったままです。ともあれ、改めて皆さまに感謝いたします。本当にありがとうございました。

鈴木好夫さん

この度、令和元年度日経俳句会賞をいただきこれにまさる喜びはありません。選考委員の方々に心から御礼申し上げます。加之、時にはげまし、時に批評くださる句作の仲間の皆様に心から御礼申し上げます。句意は五七五の字面そのもので、親となる、も親が準備し子供がそれをうれしがっている様子を親が見ているというほどのものです。私は女の子ばかり3人のしかも年子の親父で、子らが幼稚園児の頃、仕事から帰宅すると小さなクリスマスツリーが飾られ、樹下に小さなギフトが置かれていたことを思い出し句にしました。賞をいただいてみますと、そういえば案外いい句だなと思い(なんといううぬぼれ)、選考委員の方々は良い選考眼をお持ちだと思い(また悪い癖が出た)ました。これまでの日経俳句会賞贈賞式では、選ばれた素晴らしい句を賞賛しつつも、私は後ろで拍手をしていればよいと気楽でした。この度は恍惚と不安二つながら我にあり、は大げさにすぎますが、これを機会に残された人生のことも考え、私が日経俳句会にいること自体奇跡なのですから、ご迷惑をかけないよう自分なりに句作に精進したいと思います。どうぞ皆様今後ともよろしくご指導くださいますようお願いいたします。

鈴木さんが俳号「雀九」を披露

日経俳句会賞の祝賀パーティーの席上、受賞者の鈴木好夫さんから「新年から雀九(じゃっく)」を俳号としたいと、表明があった。鈴木さんによれば、「好夫」の名前は、英語でいえば「Jack」にあたる一般的な呼び名。そこで「Jack」に当てはまる漢字を考え「雀九」に行きついたという。出席者からは「鈴木さんにふさわしい、いい俳号だ」と拍手が沸いた。   (記録・報告 中村迷哲)

 

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