今泉恂之介
俳句史の中に「月並」と呼ばれる時代がある。年代的には天保時代(一八三一年~)から維新を超えて正岡子規の時代(明治時代)まで、とされてきた。この時代の「旧派」の俳句作品を批判した正岡子規の言葉によって「陳腐・卑俗」と貶され、低俗、低劣な俳句の時代という常識が出来上り、現代の俳句史書でもおおよそ、そのように書かれている。
しかしその実態はむしろ逆であった。当時は幕末期から維新を経て明治期に移る激動期であったが、俳句作りは国民各層に渉って非常に盛んであり、現代をしのぐほどの盛況ぶりだった、と私は感じている。作品のレベルは決して低くなく、そして当時の人々の人柄を表すような温和な、好ましい句がたくさん作られていた。
それらを事実として伝える資料はめったに見つからないが、私は幸運にも井上井月編「井月三部集」、穂積永機編「俳諧自在」、市川一男著「近代俳句のあけぼの」三書を手にすることが出来た。それら各書に並ぶ俳句作品に目を通すことによって、この時代の作品のレベルの高さ、そして当時の俳人や俳句愛好家たちの好もしい「俳句への心」をはっきりと感じ取ることが出来た。
月並と呼ばれる時代の俳句作品は「陳腐」でも「卑俗」でもなかった。そのことを現代の俳句好きの方々にどのように伝えるか――。私は考慮の末に、当時の俳句作品をそのまま提示するのが一番いい、そして紙への印刷ではなく「ネット上に公開する」という考えにたどり着いた。以下に始まる「月並時代・千人千句集」は簡単に言えば、月並俳句を弁護する「論より証拠」の句集である。