月並時代「千人千句集」

目次

  1. 前書き
  2. 新年
  3. 後書き

月並時代「千人千句集」後書き

「月並時代千人千句集」の掲載句は、市川一男著「近代俳句のあけぼの」、穂積永機編「俳諧自在」、それに井上井月編「俳諧三部集」及び下島勲、高津才次郎編「漂白俳人・井月全集」を中心にして選び出した。まず三千句ほどを集め、続いて千数十句に絞り、最終的に千句を掲載句とした。

選び出す基本方針はもちろん「優れた句」なのだが、必ずしもその通りにはいかなかった。作者には武家、政治家、著名な作家・文化人などから商家の主人や農山村の男性、女性たち(と考えられる人)までが含まれている。

候補句を季節別に分類した時点で、春季の句が目立って多く、秋の句は反対に少ないことに気付いた。井上井月が俳句収集のために各地を巡った旅の期間は、春先から初夏の頃である。井月は出会った人々に即興の句、つまり「当季(春)の句」を求めていたようで、「井月三部集」のうちの二集、「越後獅子」「家づと集」から選ぶ句は「春」が中心とならざるを得なかった。

また穂積永機編「俳諧自在」の場合、季ごとの選句規準が、選句担当者ごとに異なっていたようだ。例えば「秋」の場合は、芭蕉など江戸中期から、それ以降の著名俳人の作を中心に集めており、月並期の句を選ぼうにも、その数は少なくならざるを得なかった。

句の配列は「新年」からスタートし、以後は四季の順に掲載した。歳時記の記載は春、夏、秋、冬、新年の順となっているが、当時の人々も当然ながら正月を年の初めとし、一年は暮れに終わる、との認識を持っていたからである。またまた各季の句の順列は、歳時記の分類(時候、地理、生活など)におおよそ準じているが、細部には拘らなかった。

月並時代の「千人千句」を改めて読み直し、明るい句が多かった、と感じている。幕末から維新を超えて明治へ、という国家的大波乱の時代だったのだが、個々の俳句作品からは意外に健全で落ち着いた雰囲気を感じ取ることが出来た。また当時は現代をしのぐ俳句の繁栄期であった、との印象も得ている。

なお「陳腐、卑俗、駄洒落、穿うがち、謎掛け」など、正岡子規や後世の俳句史家が頭の中に描き、指摘していたような月並調が感じられる句は、大雑把に選んだ最初の二千句余りの中に数句を見つけた程度であった。井月や市川一男氏、そして「俳諧自在」の句を選んだ永機や彼の弟子たちが、確かな選句眼を備えていたからだろう。

当時の俳人や俳句愛好者たち中には句会後や連句会後の「余興」と呼ばれる、酒の入った場などで川柳風、諧謔的の、いわゆる月並調の句を遊びで作っていたという。しかし正式の句会でそのような句を投句することはなかった、と私は考えている。


今泉恂之介(俳号・而云)