没後十三年、英尾師墓参に十人
悲劇の八王子城跡を吟行
春の恒例行事、英尾先生墓参は没後十三年目の今年、近隣の八王子城跡散策を合わせて4月8日(土)に実施、日経俳句会、番町喜楽会の10人が参加した。時折雨のちらつく曇天で、集合場所のJR中央線高尾駅の人だかりは、いつになく少なめ。定刻の10時過ぎ、駅前バス停で乗車、都立八王子霊園に向かう。沿道の桜並木、霊園の染井吉野はしっかり開花していた。
墓前に供花、線香を焚いて一同祈りを捧げ、霊園の北側門から出て、八王子城跡の城山を目指す。緩やかな上り道は住宅地の中。各戸の庭の草花、桜や桃の花が目を引く。途中、北条氏照(落城時の城主)の墓や城跡管理棟、ガイダンス施設に寄って八王子城大手門跡に辿り着く。
城跡は昭和26年に国の史跡に指定され、発掘調査、復元工事が実施された。江戸時代の廃城で、失われた遺構も多い。大手門の位置は推定、城内に入る曳橋も想定で造られた。居館跡の冠木門も「御主殿」の礎石や庭園なども推定の復元工事という断り書き付き。虎口の石垣は鋭い断面、石段の石も摺り減った丸みはない。この城は戦国時代関東一円を治めた後北条氏の北西部を守る堅城だが、築城開始から10年足らずで天下統一を目指す豊臣秀吉軍に攻められ落城した(天正18年=1590年)。
城山頂上の本丸跡まで40分ほどの行程というが、雨で足元が危ないと判断し、御主殿跡の広場で昼食。大阪からの「百名城ツアー」の団体客がどっと来たりの賑わい広場だ。御主殿広場の坂を下った先に落城時、北条方の武将、婦女子の自決の場になったという「御主殿の滝」がある。小田原攻めの豊臣勢(上杉景勝、前田利家、真田昌幸ら)に囲まれ、氏照正室・比佐をはじめ城内の婦女子が自刃、あるいは滝に身を投げた。滝から城山川にかけて三日三晩血に染まったという。目の前の滝は渇水期で、水量は極めて少なかったが、崖の砂岩は鋭く切立っていた。落城は小田原の北条一族を一気に滅亡に追い込んだ。
昨年は、氏照のもう一つの居城、滝山城址公園の桜吟行だった。二年続きで「後北条家」の歴史を辿る吟行、ともに印象深く記憶に刻まれた。
同日の参加者は、大澤水牛、今泉而云両顧問に田中白山、岡田臣弘、野田冷峰、澤井二堂、杉山智宥、徳永正裕、中村哲各氏と堤てる夫幹事。
恒例のメール句会は3句投句・5句選句で、「天」(5点)、「地」(3点)、「人」(2点)、「入選」(1点)で採点した。その結果、最高は「天」三つの15点を得た田中白山さんの「氏照の墓への道の初音かな」だった。次席は11点で、中村哲さんの「春の城盛衰語る古陶片」。三席は9点で杉山智宥さんの「風渡る主従の墓石すみれ草」となった。参加10人の代表句は次の通り(天地人句の作者の場合はそれ以外の作品を掲げる)。
戦国の悲劇の城址花を見ず 今泉 而云
花に影氏照いやす呼子鳥 岡田 臣弘
姫君の自決の巌や藪椿 大澤 水牛
御主殿の滝清らかに花筏 澤井 二堂
城址に春の気満載バスツアー 杉山 智宥
花曇り本丸あたり靄の中 田中 白山
春の雨上がり十三年忌かな 堤 てる夫
ありったけの御香くゆらせ春の墓 徳永 正裕
英尾忌や枝垂桜の誘ひをり 野田 冷峰
落城の悲話ある滝に藪椿 中村 哲
(報告 堤てる夫)