いつまで経っても本格的秋の来ない10月19日(土)、番町喜楽会、日経俳句会合同の「世田谷線界隈吟行」を行った。今年3月以来7ヶ月ぶりの吟行で、参加者は11名(嵐田双歩、今泉而云、岩田千虎、大澤水牛、金田青水、須藤光迷、玉田春陽子、中村迷哲、水口弥生、向井愉里、杉山三薬)。午後1時、東急世田谷線下高井戸駅に集合。最初の訪問先、招き猫で有名な豪徳寺目指して乗車。世田谷線は、都電荒川線と並ぶ東京の人気トラム。車体に招き猫をペイントしたり、猫の手吊り革を取り入れたりと、猫観光にも熱心。三つ目の駅、宮の坂で下車。まず、駅構内に展示してある古い世田谷線車両を見学する。車両に乗り込んだ一同、子供の頃に乗った都電、市電を思い出したか、遠い目でしばし回想の時間を過ごす。
振り出しはレトロな電車秋吟行 光迷
身に入むやトラムの座席譲られて 而云
宮の坂駅から5分ほど歩いて豪徳寺。招き猫由来略記「鷹狩りに出た彦根藩当主井伊直孝が、とある寺にさしかかったところ、門前の猫が手招きしているように見えた。寺に入り休んでいると突然の雷雨。猫のおかげで濡れずに済んだ」というお話。今、豪徳寺に鎮座している招き猫は、世間一般のような小判は抱えていない。お金より人の縁を大切にすることらしい。この寺、招き猫に呼び寄せられたのか、とにかく外国人観光客の姿が目立つ。境内に何百と並べられた猫との記念写真の掛け声も、ハイチーズ、ヘイ##、ハーイ??、さまざまな言語が飛び交う。招福殿には奉納の招き猫と猫の絵馬が所狭しと並べられ、インスタ映えする光景。絵馬の中には英語やアラビア語らしい文字も混じり、国際色豊かだ。方丈で売られている招き猫の購入券が自動販売機なのは、外国人に分かりやすいようにだろう。
秋うらら猫が客招ぶ豪徳寺 三代
自販機で招き猫売る秋の寺 水牛
秋吟行土産に小さき招き猫 春陽子
寺奥に井伊家の墓所がある。中でも有名なのは、安政の大獄を主導し、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼の墓。その近くで、吟行メンバー一同、水牛さんによる、井伊家をめぐる歴史解説に聞き入る。境内で、ひと足遅れで駆けつけた水口弥生さんと合流。猫看板をバックに嵐田プロによる記念撮影。続いて、徒歩数分の世田谷城址公園に向かう。元々吉良家の屋敷だったというから、ここでも歴史上の名が顔をだす。でも、それは看板の説明だけで、遺跡らしいものは、ほとんど残っていない。赤土が剥き出しの小山を子供達が駆け回る。老人一行、足元が悪い中律儀に歩いて、木の実拾いなどを楽しんだ。地価の高い世田谷のど真ん中にこんな荒れ遺跡。もったいないような気がする。
世田谷に銀杏どんぐり秋探し 愉里
戦国の小さき城跡木の実降る 迷哲
30度近い気温のなか、次の目的地、松蔭神社へおよそ15分で到着。松陰神社の由来は、安政の大獄で獄死した吉田松陰の遺骨を、千住の小塚原から、長州藩下屋敷のあったこの地に改葬したことから、この名の神社が生まれた。土曜日の夕方、我々の他に訪れる人は意外に少ない。境内に設けられた松下村塾の実物大建物もひっそりと佇んでいた。少し離れた松陰の墓を訪れたのは我々だけ。
秋深し松陰享年三十歳 青水
松陰の教えに背き蜜柑もぐ 双歩
次いで、光迷さん推奨の「目青(めあお)不動尊」に向かう。世田谷線終点の三軒茶屋で下車。駅近くにある最勝寺が、別名「目青不動尊」。五色不動のひとつだが訪れる人もない、ひっそり寺。当日三軒茶屋で行われていた「大道芸祭り」の喧騒とは別世界。赤青黄白黒の五色不動といっても、全部知っている人は少ないだろう。目黒の秋刀魚、目白の闇将軍と、白と黒は地名として根を張ったが、他の三色はほぼ無名。寺が商売ベタだったのかも。この目青不動尊で本日の訪問日程は終了。先を急いだせいで、「蕎麦屋石はら」での反省会予約時間まで一時間も余ってしまった。皆で入れる飲食店を探すうち、迷哲さんが横丁の小さな喫茶店を見つけてしばし休憩。予約時間の午後5時、全員蕎麦屋へ移動、打ち上げの食事会が始まる。小粋なつまみと蕎麦で7時過ぎまで歓談した。
暑い秋レトロ喫茶に脚和む 三薬
秋時雨蕎麦懐石の果つる頃 弥生
世田谷線吟行の句会は、いつものようにメール方式で開催。参加者がそれぞれ3句を投句し、5句選の結果、中村迷哲さんの「戦国の小さき城跡木の実降る」が6点を得て一席となった。二席5点には須藤光迷さんの「振り出しはレトロな電車秋吟行」が続き、三席4点には而云、春陽子、弥生さんの3句が並んだ。
(報告 杉山三薬)