新年二宮吾妻山・六所神社吟行

1月3日、日経俳句会と番町喜楽会有志による二宮大磯吟行を行った。二宮は平安時代に相模国の国府が置かれたところで、現在の神奈川県の横浜を除く一帯相模国の中心地だった。相模一宮の寒川神社をはじめ相模国の代表的な神社六つを束ねたのが六所神社で、ここに祀られていた祭神櫛名田姫(稲田姫)とその夫であるスサノオノミコトの神像がこの日だけご開帳になるというので、堤てる夫幹事が急遽メールで呼びかけ、初詣吟行が実現した。

さすがに三が日は動けないという人が多く、当日正午に東海道線二宮駅に参集したのは堤てる夫、夫人の高井百子、岡田臣弘、須藤光迷、廣上正市、大澤水牛、大下綾子と特別参加の綾子さんの夫君大下慶太郎の8人だった。

まず二宮駅裏手の吾妻山に登る。海抜150mほどしかないのだが海岸からいきなり立ち上がっているからかなり急な石段が300段ほど続き、さらに急坂を上って頂上に立つと、大榎が一本葉を落とした枝をすっくと青空にかざしていた。足元には早咲きの菜の花がまさに満開。右手東北方に大山、丹沢山塊、前方に富士山、その手前に箱根山、さらに左へ視線をずらすと真鶴半島とその向こうに伊豆半島、その先に大島。手前足元から相模灘が開け、左前方に三浦半島、その先に房総半島がくっきり見える。正月晴れの下の360度のパノラマは筆舌を尽くしがたい絶景だった。一同眺めを楽しみながら持ち寄った弁当を広げ、てる夫さんが背負ってきた銘酒一升をたちまち平らげた。

ゆっくりと山を下り、二宮駅前からバスで六所神社へ向かう。さすがにこの辺の代表的神社だから数百人の初詣客が長い列を作っていた。クシナダヒメとスサノオの神像は高さ7、80センチの木像で両手がもげてしまっていたが、とても威厳のあるいい作品だった。奈良から平安にかけて広まった本地垂迹説に従って日本固有の神様もこうした木像に彫られて各地の神社にかざられた。しかし明治維新の廃仏毀釈運動の際に、尊い神を仏像まがいのものにするなどもってのほかと、片端から壊され焼かれてしまった。当時のここの宮司は壊すにしのびないと倉深くに隠した。それが数年前に発見され、今回の展示になった。皆々珍しい神像を心ゆくまで鑑賞し、二宮駅まで戻り近くの居酒屋で光迷さんが神社で買って来た御神酒を酌み交わし、辰年の幸を言祝いだ。吟行句の各人代表句を掲げる。

菜の花と富士山めでつ年酒かな     大澤 水牛

初詣古拙の笑みの稲田姫

水仙や海光浴ぶる吾妻山        大下 綾子

初旅の締め括りとてお神酒酌む

初詣終へてガードをくぐりけり     大下慶太郎

菜の花に抱かれたゆたふ相模灘     岡田 臣弘

眉根寄す女神に無事を初詣

稲荷社を抜けて菜の花銀の富士     須藤 光迷

年縄や須佐之男の腕もげし儘

初詣赤きもと結ひ染め絣        高井 百子

初空にその実捧げむ大榎木

菜の花を褥まがひに高いびき      堤 てる夫

上り来て淘綾(よろぎ)の浜の浅き春

初景色富士大山に相模灘        廣上 正市

神像の篝火に立つ淑気かな

 

 

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