日経俳句会月報100号記念「双牛百里の会」を開催

日経俳句会は月報100号発行を機会に長年会を引っ張って来られた大澤水牛・今泉恂之介両先生に感謝の気持ちを表そうと謝恩の会を開いた。3月1日夕刻「双牛百里の会」と銘打って、東京・大手町のアーバンネット東京會舘に句友35人が集い、両主賓を囲んで和やかなひとときを過ごした。

高橋淳会長の発案で、会の機関誌である「日経俳句会報」(平成17年6月の創刊号から24年9月の第15号まで)に載った両先生の作品から「私の好きな一句」を会員に募った。これには40人が寄稿し、この会合に花を添える冊子にまとめた。

会は高橋現会長、廣上正市前会長の司会進行で幕を開けた。廣上前会長は「故村田英尾先生が言われたように、この会は皆対等にものを言う自由な会で、それを受けお二人とも宗匠と言われるのを拒まれた。しかし今日は宗匠の気分で気持ちよくお過ごしいただきたい」と挨拶。最長老・井上庄一郎さんから「日経俳句会の活動を支えてきたのはお二人の力以外のなにものでもない。個性の違う二人のコンビを選んだ村田先生の慧眼を改めて思う。ご両人ともいつまでも頑張ってください」との乾杯の発声があり、その後、お酒と料理を楽しみながら出席者による「私の一句」の説明が次々と始まった。

「私の一句」は大勢の選句者があったにもかかわらず、最多票はそれぞれ三人が選句した「初日の出われに十七音詩あり」(水牛)、「八丈の海夕映えて飛魚の鮨」「宇宙より届きし色や茄子の紺」(恂之介)の三句だけだった。会報15冊に載ったお二人の句はそれぞれ150句で、どれを選んでもさすがに名句・秀句ぞろい、皆口々に一句を選ぶのに困ったと前置きしたのがその証と言える。「初日の出…」と「宇宙より…」の句は、書に堪能な澤井二堂さんが短冊に墨書し、記念品の電子辞書・花束とともに贈られた。

宴が進み、両先生が日経俳句会の過去と未来や心境・抱負を語った。

まず大澤水牛師が「『初日の出…』の句は新年詠だったので心が昂ぶっていたのでしょう。虚子まがいの句を詠んだのは恥ずかしいと思っていたのだけど、今こうして皆様にいろいろ言われて感慨深いものがあります。村田先生に句会やりますかと言われて始めたわけですが、やってよかった。やっていなければただの飲んだくれ老人だったなあと、しみじみ思っています。新聞社系の俳句会なのでこれからも今を詠むことをやっていきたい。今を詠むということを少し気を入れてやっていけばユニークな俳句会になる。来週出る俳句会報に『今を詠む』という文を載せましたが、これからも皆様にもまれながら若さを保ってやっていきたい」と述べた。

続いて今泉恂之介師は「私はこの会のために何もやっていません。大澤さんがやっているのを横から見ていただけです。俳句は若いころから好きだった。作ることもさりながら人の句を見ることが好きです。今も江戸時代の句から昭和の句まで読んできて佳句を書きためています。今、プロの俳人の句はレベルが落ちていると思う。アマチュアの方がずっといい。でもアマチュアの句は五十年後、百年後には全部なくなってしまう。個人的に平成のいい句をパソコンにためているので、その頃には著作権も切れるから自由に出せます。それをどなたかに渡して続けてもらいたいと思ってます。日経俳句会の中にもとても感心した句があって、後世に残すリストに既に何十句か入っている。双牛舎というNPO法人のひとつの事業であり、私の趣味でもあり、それをやっていきたい思います」

お開きを前に、幹事を代表して堤てる夫さんが、”あとがき”を述べた。「井上先輩のお話がすべてを語っており、本日の趣旨を簡にして要を得ておっしゃったと思います。これ以上言うことがありません。両先生ありがとうございました」と結んだ。(徳永正裕記)

 

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