「双牛舎類題句集」の公開にあたって

――インターネット時代における俳句の著作権

はじめに

 NPO 法人双牛舎は、「インターネットによる俳句情報の公開」を事業計画の柱としており、その一環として「古今類題句集」のホームページ掲載を目指してきた。任意団体であった五年ほど前、江戸時代から現代に至る名句の収集を開始、「現代の俳句愛好者が理解し共感できる句を集め、公開する」という目標を掲げていた。ところが編集作業を進めるうち、「俳句の著作権」という高いハードルがあることが分かった。

 たった十七音の俳句にも著作権があるというのは、考えてみれば当然なことだが、われわれは失念していた。以来、双牛舎は著作権の監督官庁や関係団体から見解を聞き、助言を求めるなどして類題句集公開を模索してきた。その結果、「江戸時代から現代まで」の名句公開計画は大幅に変更せざるを得ない、という結論になった。

 ご存じの通り、著作権は作者の死後五十年まで存続する。これに該当する俳句に著作権の縛りがかかるのだが、中でも「インターネット上に公開する」という条件が、われわれにとって飛越不能のハードルであった。日本文芸家協会によると、同協会で著作権を管理する俳人の俳句をホームページに掲載すれば、「一句につき1万500円(消費税を含む)」を支払わなくてはならないという。

 双牛舎が公開を予定していた句のうち、著作権に触れるのは一万句ほどだろうか。日本文芸家協会では「教育的な事業なら一句5,250円です」と言うが、一万句分とすれば、NPO 法人にとっては想像も及ばぬ金額である。

 没後50年以内の俳人(の句)は、類題句集から除外せざるを得なかった。その中に高浜虚子が含まれている。芭蕉、蕪村、一茶、子規まではOKだが、虚子が入らないのでは「江戸時代から現代まで」の「現代まで」が欠落してしまう。そんな愚痴をこぼした時に知恵をつけてくれた人がいた。「あと二年もすれば虚子の著作権は消えますよ」。虚子の没年は1959年だから、2010年になれば自由に掲載できる、と言うのである。

 「江戸時代から高浜虚子まで」とすれば格好がつく。「よし、これで行こう」と決断し、二年待って2010を迎えた。NPO 法人双牛舎は2007年11月からブログ「みんなの俳句」を公開しているが、これに加えてホームページで「双牛舎類題句集」――江戸時代から高浜虚子まで――をスタートさせることになった。

 ここに到るまでの経過やいきさつを、以下に述べることにする。俳句に関心を持たれる人や出版業界の人、特にインターネットで俳句情報を公開しようとされている人は、是非ともお読み頂きたい。俳句の著作権問題に関心を寄せて頂ければ幸いである。

類題句集とは

 まず類題句集というものついて説明したい。簡単に言えば、一つの季語(季題)ごとに名句を集め、書き記したものである。例句が並んでいるという点では歳時記に似ているが、句の数は一般の歳時記より遥かに多いと言えるだろう。

 江戸前期には短歌を集めた「類題歌集」が盛んに編まれていた。やがて和歌から俳句へと広がって、江戸時代の後期、末期には「類題狭蓑(さみの)集」、「類題百川(ひゃくせん)集」など多くの句集が誕生している。その内容は時代の好句を集めたもの、古今東西・有名無名の句を手当たり次第に集めたものなど、さまざまな種類があったという。

 岩波新書の「蕪村」(藤田真一著)に次のような記述がある。


──正岡子規は、俳句の勉強のために、江戸時代の類題句集をよく読んでいた。類題句集というのは、季題をこまかく分類して、季題ごとに、作者の有名、無名を問わず、古今の句をひたすら並べた書である。子規はこれはとおもう句に印をつけていると、「蕪村」という名が際立って多いことに気がつく。そうなると、集中的に蕪村を読んでみたくなった──

 以上の記述は明治26(1893)年のことだ。当時、蕪村は大阪の俳人にはある程度知られていたが、東京ではなじみが薄かったようである。子規は、蕪村の句をまとめて読んでみたい、と思った。その意を汲んだ内藤鳴雪が句仲間に「蕪村句集を探そう。探し出したら懸賞金を出す」と提案する。高浜虚子や河東碧梧桐、夏目漱石らも古書店を探し回ったかも知れない。まもなく蕪村句集が見つかり、「蕪村発見」という文芸史上の重大事につながっていく。

 このことから分るように、名句を収集し、保存しておくのは大きな価値を持つ仕事といえるだろう。江戸時代の類題句集は、有名、無名の俳人や市井の俳句好きによって編まれたようだが、蕪村はそれによって後世、大俳人として登場することになったのである。

夏目漱石で著作権に気付く

 六、七年前も前のこと、私は現代に類題句集がない、と気づいた。歳時記には季語ごとに例句が並んでいるが、数は僅かなものだ。古い歳時記に多く載せているものがあっても、俳人一人あての句は一句か、多くても二、三句という程度である。例えば名句ぞろいの芭蕉の時雨の句、蕪村の牡丹の句なら五句も十句も見たいと思う。そんな願いを一冊で叶えてくれる書物が現代にないのである。

 当時、私は流通経済大学の教員で、夏休み春休みにはかなり長期の研究期間があった。それを利用して江戸時代から現代までの自分好みの句を集め、類題句集を作ってみようと思い立った。作業を続けるうちに欲が出てきた。「古今名句集成」と呼べるような類題句集をインターネットで公開したいという考えが膨らみ始め、日本経済新聞社の先輩・大澤水紀雄氏(俳号・水牛)の協力を得て、目的実現のためにNPO 法人の設立に到る。

 さてその編集作業である。江戸時代をざっと洗った後、子規から漱石ときたところで「待てよ」と立ち止まった。戦後間もなくに起きた「漱石全集事件」と呼ばれる出版界のごたごたを思い出したのだ。漱石の著作権が切れて、二つの出版社が漱石全集の出版を巡り対立したという事件である。

 この時点でようやく、「俳句にも著作権があるのではないか」と気づいた。著者の死後五十年で著作権が切れることは知っていたが、著作権があるのは文学系統でいえば小説、随筆、評論のようなものに限られるという思い込みがあった。ちょうどそのころ、著名なタレントがラジオで「著作権のない文芸が一つだけあるんです。それは俳句です」と語っているのを聞いた。しかしそれを信じていいものかどうか。

 とりあえず文化庁の著作権担当者や法律の専門家に聞いてみたところ、俳句にも当然、著作権があると知らされた。ご存じの通り著作権の存続は作者の死後五十年までである。従って松尾芭蕉、与謝蕪村、小林一茶、正岡子規らの句は、誰もが自分の著作物に自由に使用することができる。しかし著作権が消えていない句となると話は全く別で、しかもその枠内に入る著名俳人が非常に多いのだ。第一に高浜虚子がいる。さらに水原秋桜子、久保田万太郎、山口誓子、飯田蛇笏、中村草田男、石田波郷などなど、現代の俳句愛好家に親しまれている名句の作者はおおよそこの中に含まれている。現在ご健在の俳人もその対象であることは言うまでもない。

 「江戸から現代まで」の類題句集公開はここで大幅な変更を迫られた。多くの文芸家の著作権を管理している日本文芸家協会に確かめたところ、あっさり「その類の句集は著作権に抵触しますね」と言われてしまった。キラ星のように居並ぶ近代、現代の著名俳人の句の掲載は諦めざるを得なかった。

 では、どうしたら許可が得られるのだろうか。日本文芸家協会の答えは上記のように仰天すべきものであった。電波の著作物は紙の著作物と性質が違うという。放送、有線もそれぞれの料金設定が行われているが、ネットの場合も世界中に発信するので「公衆送信権」が適用され、一句につき1万500円になる、という説明であった。

使用は自己責任で

 それにしても一句につき1万500円とは。「いくらなんでも高すぎるのではないか」と日本文芸家協会に疑問を呈したところ、「料金については管理官庁の文化庁に届けを出してあり、アグリーされている」とのこと。著作物の使用料金は平成13年まで認可制だったが、それ以降は届出制になったそうである。

 ならば、と届出を受け付けた監督官庁の文化庁に聞いてみた。答えは以下の通り。

 「著作権に関する事柄は原則として権利者自らが許諾するということになっています。管理団体委託の場合もそれに準じていて、使用料金はその団体がきめることになり、一句1万500円もあり得るわけです。値段が高いとなれば、業界の反発によって変更することもあるでしょう」

 双牛舎のような小さな NPO では、著作権料を払うのは土台無理な話である。高額な金を払えないだけではない。各俳人から許可を頂戴する、というのも現在では不可能に近い。個人情報保護法の強化によって、あらゆる団体や個人がプライバシーには敏感になっている。俳人の所属する団体(結社)に電話で住所を聞いても「何だか怪しいぞ」と切られるのがオチなのだ。

 「私たちのような場合、どうしたらいいですかね」と聞いたら、文化庁著作権課の担当者は「やるべき方法は二つです」と以下の二点を教えてくれた。

  1. 著作権にかかわる作品は使用しないこと。
  2. 無断で使用する場合はあくまでも自己責任。訴えられたら裁判を受けて立つ、という心構えを持つこと。

 簡単に言えば、著作権の存続している作品は引用(詳しくは後述)でない限り、インターネットには掲載すべきではない、ということである。

 ある法律関係者に以上のことを話したら、「まあ、そういうものでしょう」と言っていた。もし著作権侵害が問題になれば、民事事件にはなるし、被害が膨大だとすれば刑事事件になる可能性もある、ということである。さらにその人は「NHKなどは相応の金額を支払っているようです。法律には敵いませんからね」と付け加えていた。

 私の友人の例を挙げよう。彼は著名俳人(故人)の息子さんで、父親の著作権を受け継いでいるが、「NHKのテレビが私の父の俳句を紹介した場合、文芸家協会の規定程度の著作権料を送って来ます」と言っていった。それともう一つ、教科書が採用した句は、出版社からしっかりと掲載料が支払われてくるという。

引用ならOK だが

 著作権に関して「作者の没後50年」と並ぶもうひとつのポイントが前述の「引用」である。著作者の死後50年以内の作品でも、「引用」であれば無断で使っても構わないのだ。これが物書き側にとって大きな救いである。

 引用とは「自分の文章を補強するために人の文を用いる」ことをいうが、自分の文章があくまでも「主」であり、引用する文が「従」という関係でなくてはならない。その他にも引用の文は、(1)文字の大きさや書体を変えること、(2)出典を明示すること、(3)全文でないことなどの条件がある。

 双牛舎の「類題句集」は一季語あたり数十から数百という句数になる。当初は姑息なことを考えた。一季語に並ぶ俳句を一件の著作物と考えれば、俳人一人の句は全体の何十分の一、何百分の一ということになる。これは引用ということにならないか――。日本文芸家協会は、あくまでも筆者(編者)の書いた文が「主」で、引用が「従」でなければいけないという。双牛舎の類題句集では、私たちの書いた文は全体の数%だろう。そう話したら、「話しになりません」と一蹴されてしまった。

 ちなみに双牛舎の代表理事・大澤水牛氏が三つの俳句報(月刊、隔月)に書き続けている「季語研究」の場合はどうか。これは一季語につき本文がおおよそ1,500字、例句が十数句というところだろう。主となる文が圧倒的に多いから、例句はすべて引用になるはずである。いずれホームページで公開する予定なので、これについて聞いてみたら「字数の面では問題はないでしょう。しかし例句は江戸時代から現代まで、まんべんなく入れるような工夫をしてもらいたいですね」との答え。いろいろな制約があるようである。

 もう一つ、俳句や短歌の特殊性を書いておきたい。引用の一つの条件とされる「全文でないこと」(部分に限る)という事項に関することだ。和歌はともかく、俳句の場合、全面的な引用以外にどんな引用があるのだろうか。これについて多くの関係者は「俳句や短歌など短詩については、すでに『全文引用』が行われているのだから、文を書く側の既得権と言えるだろう」と語っている。慣例上認められている、ということだろう。

歳時記もあぶない

 俳句の引用はどんなケースまで認められるのだろうか。以下は著作権の関係官庁・文化庁を初め、日本著作権協会、ビジュアル著作権協会、学術著作権協会、日本文芸家協会など、著作権に関っている団体から聞いた話(2007年ごろから2009年9月まで随時)によってまとめたものである。

 歳時記の場合はどうだろうか。各種の歳時記を調べたことのある著作権関係者は、次のように語っていた。

 「歳時記は概して文章(季語の説明)が少ないですね。おおざっぱな印象ですが、文よりも俳句(例句)が多いようです。そうなると引用とはいえず、著作権に引っかかるでしょう。最近の出版業界は著作権についての認識が深まってきたので、新たな歳時記をつくる場合、作者や著作権を持つ人に了解を求めるケースが増えているようです」

 日本文芸家協会によると、数年前まで俳句の著作権違反は見過ごされるケースが多かったそうである。歳時記の出版社も著作権には鈍感で、「勝手に句を選び、載せていた」という。俳句の作者や著作権継承者も大方は大らかで、「俳句だから仕方がない」と思っていたようだ。日本文芸家協会自体が「私たちも厳しく管理していたとは言えない」と認めていた。それに俳句に関する著作権違反の場合、「知らずにやってしまった」という側面がある。著作権保持者や管理者側も、悪意のない違反なのだから厳しく追及するのもどうか、と考えていたフシもある。

 また、ある出版社の編集者は「歳時記には著名な先生方(俳人など)が編集に加わっている。自分の句が掲載された作者は『あの先生が選んでくれた』とかえって感謝するだろう。その時点で実質的に事後承諾したことになる」と語っていた。著作権という立派な法律の運用にこのような解釈が行われているとしたら論外である。

 歳時記を出版する際、著作権料として支払う金額はどの程度なのだろうか。ある出版社が俳句歳時記を出版した。そこに掲載される俳句のうち、著作権にかかわるものについて発行部数、定価、印税などを元に計算したところ、一句あたり百数十円という額がはじき出されたという。しかし、それを銀行振り込みにすれば振込料がかかってしまう。そのため往復はがきで「無料掲載」のお願いを出し、ほとんどの了解を取り付けたそうである。

 俳句一句の額はわずかなものだが、まとまればばかにならない。上記の例でいえば、千句で十八万円、一万句で百八十万円。歳時記では数万句の掲載は珍しくないから、そのうちの半数に著作権があるとしても、なかなかの金額である。それより、作家の住所を調べ、往復はがきを出すという手間の方がたいへんかもしれない。

一流紙の人気コラムも

 名句を紹介するような文章の場合、引用か、そうでないかのボーダーラインはかなり微妙なようである。
 著作権に関係する複数の人が代表的な例としてあげたものに、A新聞の「○○のうた」(2007年3月で終了)があった。俳句関係の文章で最も多くの読者を獲得したと思われるコラムだが、複数の人が「あれは明らかに著作権違反だった」と指摘している。コラムの最初に俳句(短歌も)が置かれていて、後に続く文は冒頭に掲げられた俳句の説明というべきものであった。俳句が主役と断定せざるを得ない、というのである。

 ある人はこう語っていた。

 「A新聞は作者に無断で『○○のうた』の連載を続けていたのだから、度胸がいいというか、無謀というか……。あれを本にした岩波書店は、著作権が残っている作品については、作者や著作権継承者から許可を得たうえで出版したと聞いています。それが出版業界の常識というものですよ」

 念のためA新聞社の担当部署に問い合わせた(2007年当時の電話取材による)ところ、「作者(著作権保持者)の許可は得ていない」こと認めていた。しかし「あれは引用と認識している」そうで、それに付け加えたのが次の言葉である。

 「なにしろОさん(著名な文芸評論家)の文章ですからね。あれに採用された人たちはみな大喜びなんですよ」

 それはそうだろうけれど、ちょっと話が違うのではないだろうか。

 A新聞社は「引用に当たる」と言う。しかし岩波書店は作者から出版の許可を得ていた。新聞と書籍は立場が違うのだろうか。厳密に言えば違う点もあるが、出版物を出しているという点では同じであり、同じように著作権にも関っているはずだ。私(今泉)の個人的な印象ではあるが、当時の新聞社は概して俳句の著作権というものを軽く考えていたような気がする。

敏感にならざるを得ない

 この数年の間に俳句の著作権に対するマスコミや出版業界の認識が変わってきた、という。もちろんいい傾向である。俳句の価値は小説、評論、詩などに比べて絶対に劣るものではない。わずか十七音というような理由で、著作権がないがしろにするならば、それこそ「第二芸術論」を受け入れるようなものだ。

 しかし一俳句ファンとして、これでいいのか、という思いもある。著作権の有する俳句作品は、マスコミや特にインターネット上に登場しにくくなるはずで、インターネット上で江戸時代を始めとする古い句がよく目につくのは、そのためではないだろうか。俳句情報提供者が著作権に敏感になっているのではないかと思われる。

 ついでながら、出版やインターネット上の公開とは別の側面を紹介しておきたい。例えば書道の世界である。書の専門家に聞くと「俳句や短歌には書きたいものが多いのだが、著作権の問題があって、展覧会には少なくなる」とのことである。

 例えば「遠山に日の当たりたる枯野かな(虚子)」と書いて展覧会に出せば、著作権違反である。その許可を得るのがたいへんな上、一字でも変えてしまうと著作権に触れるので神経質にならざるを得ない。結局、古い俳句か、自分や知人の『有名でない俳句』でお茶を濁すことになる。

インターネットとパソコンの役割

 江戸時代の名句は個人的な句集だけでなく、類題句集によって今日に伝えられた。では今日はどうか。類題句集のような書物を出版するとして、それを引き受けてくれるような出版社はまずないだろう。するとどうなるか。現代の名句を後世に残す手だてがあるのだろうか。私はその役割をインターネットが担うのではないかと考えているが、そこでまた著作権というハードルが浮かび上がってくる。

 法律は簡単に変えることはできない。たとえ変えるような動きがあったにしても「俳句に著作権はないものとする」というよう方向に進むはずはない。現在、著作権の存続期間を50年から70年に延ばす、という動きがあるそうで、むしろそちらの方が可能性は高いだろう。

 するとインターネットの公開は無理なことになるが、諦めることはない。双牛舎では5年をかけて「江戸時代から現代まで」の名句を収集してきた。その「現代」の部は著名俳人の作品だけでなく、新聞俳句欄やテレビ俳句番組などから拾ったものも含まれている。これらは全てパソコンの中に保存され、これからも増え続けていくだろう。パソコンをアーカイブ(書庫、記録保管所)とすれば、名句の収集・保存作業を続けることに何らさしさわりがないのである。

 今から50年後を考えてみよう。著作権法が今のままなら、現在までに亡くなっている方々の句はすべて公開可能になる。その時まで私が生きているはずはないが、後輩の有志に類題句集編纂の仕事をバトンタッチしておけばいいのだ。さらに百年後はどうか。われわれの知る現代の句のほとんどが、2010年における虚子や荷風の俳句と同様に無条件で公開可能となるはずだ。パソコンはタイムカプセルでもある。そこに収蔵された類題句集が百年後に日の目を見ると考えれば、なかなか楽しいことではないか。

bookreader.js操作方法