淑気(しゅくき)

 もともとは漢詩で使われた言葉が俳句にも使われ、新年の季語として定着した。正月三が日は、改まった、身の引き締まる感じと、そういう中にもちょっと華やかでおめでたい温和な雰囲気が漂っている。昔の人はそれを「瑞祥の気」と言った。

 「淑」という字は「淑女」「貞淑」「淑徳」などと使われるように、「良い、善い、しとやか」という意味である。さらに「私淑」という言葉があるように「慕う、引きつけられる」という意味もある。つまり、「淑気」はそういう新年の素晴らしい、清々しい「気」のことである。

 しかし今日では、淑気という言葉を知っているのは俳人ばかり、というような状況である。それも若い人たちにはそっぽを向かれるような季語である。ただ漢詩から借りて来たという由来を考えれば、堅苦しい感じがするが、昔の俳人はそれを逆手に取って、儀式張るお正月を洒落のめすために、わざとこういう武張った季語を用いて俳諧味を出そうとした趣も感じられる。現代俳句にもそういう流れは生きている。

 長年俳句に親しんで、しばしば佳句をものする先輩に言わせると、「こういう俳句独特の季語はかえって句になりやすいんだよ。何か情景を詠んで、淑気かな、を付ければそれなりに格好がついちゃうんだよ」だそうである。ずいぶん乱暴な指導法だが、なるほど「淑気」という裃を着たような季語に向かうには、これくらいの気軽さが必要なのかも知れない。


  いんぎんにことづてたのむ淑気かな   飯田蛇笏
  麦畑に風少しある淑気かな   高橋淡路女
  淑気満つ口あいてまづ一笑す   菅裸馬
  碧落に鷹一つ舞ふ淑気かな   宇田零雨
  淑気満つ春蘭の香を箸の尖き   安田鶴女
  なかんづく祖父のほとりの淑気かな   鷹羽狩行

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