初鶏(はつとり)

 大概のものに「初」をつければ新年の季語になる。もちろんそこには詩情が感じられなければならないし、何と言っても年が改まった感慨を、その句を読む側に与えるような言葉でなければならぬ。

 鳥類でも同じことで、この「初鶏」の他に、「初鴉」「初雀」「初鴬」「初鳩」「初鶴」などが新年の季語に立てられている。鶴のように瑞兆を感じさせる鳥であったり、鳩のように初詣での神社仏閣に見られたり、あるいは雀、鴉のように見慣れてはいるが、元日の戸を開けた途端に見ると、何となく違った感じがするというような鳥も「新年らしさ」という点で季語になる。「初鴬」は現在書店に並んでいる歳時記にも新年の季語として載っていることがある。しかしこれは、春の象徴として正月に鳴かせるように人工飼育した昔の名残で、飼育が禁じられている今日では最早新年の季語としては成立しない。

 とにかく、鳥の名前に「初」を冠して新年の季語としたものがいくつかある中で、「初鶏」は保守本流とも言うべきものである。何しろ天照大神が天岩戸にお隠れになった時に、真っ暗やみの中で鬨の声を上げて、女神様が夜明けと勘違いする手柄を果した。以来、夜明け、年明けを告げる主役として尊ばれ、柿本人麻呂はじめ古来から数々の歌人が新年の歌に詠み込んで来た。それが俳諧にも受け継がれ、新年の季題になったのである。

 一番鶏は丑の刻(午前1時から3時)に鳴き、二番鶏は寅の刻(同3時から5時)に鳴くとされている。この正確な時を告げる鶏に正告(しょうこく)という種類があり、その血筋を引く長尾鶏、東天紅などが大切に飼育されて今に続いている。

 正確には元旦の暁闇に鳴く鶏の第一声を「初鶏」と言う。この初鶏によって夜が明け、新年になると信じられていた。古代中国には、1月1日の象徴動物として鶏を宛て、2日は狗(犬)、3日猪(豚)、4日羊、5日牛、6日馬、そして7日を人の日とする風習があり、それぞれの日にはその動物にまつわる事どもを占い、感謝を捧げた。ここでも鶏は夜明け、年明けのシンボルになっている。この故事によって元日を「鶏日」、その朝を「鶏旦」とも言うようになった。

 つい10数年前までは都内23区内でも鶏を飼っている家があって、コケコッコーという威勢のいい鬨の声が聞けたものだが、今ではもう「初鶏」はテレビの「行く年くる年」あたりからしか聞こえて来ない。

 「田舎に行っても滅多に聞けないよ」と言う人もいる。鬨の声を作るのは当然雄鳥である。雄鳥は卵を産まず、肉も硬い。だから孵った途端に殺されてしまう。残るは狭い所に閉じこめられた雌鳥ばかりで、とても「初鶏」の役目は果さないというのである。ちょっと待って、我が家などとうに雌鳥が鬨の声をあげています、という悲鳴がどこからか聞こえて来る。


  初鶏やうごきそめたる山かづら   高浜 虚子
  初鶏や昔神達ひむがしへ   松根東洋城
  初鶏の声山光の空はしる   臼田 亜浪
  初鶏の百羽の鶏の主かな   池内たけし
  初鶏に先立つ隣家の母の声   中村草田男
  初鶏や家中柱ひきしまり   加藤 楸邨
  初鶏の姿正して鳴きにけり   吉川よしえ

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