初詣(はつもうで)

 年が明けて初めて社寺に参詣し、今年1年の息災安穏を祈願することで、新年の季語になっている。「初参り」とも言う。除夜の鐘が鳴って元日になると、夜明とともにその土地の鎮守、産土神、あるいはその年の恵方に当る神社仏閣に詣でる。  近ごろは大晦日の夜に出かけて、除夜の鐘を聞いて、神社に賽銭を上げて帰るという初詣が多くなった。東京の明治神宮をはじめ各都市の代表的な神社は初詣客で大賑わいである。神社側も商売気丸出しで暮れになると電車の中吊り広告などで盛んに宣伝を始め、賽銭集めに余念が無い。

 初詣という言葉が定着したのは割に新しく、明治に入ってからのもののようである。貞享5年(1688年)に刊行された「日本歳時記」の元日の項には「除夜より歳を守りて寝ず、もし寝る時は寅の初(午前3時)に起きて新年を迎へ、(中略)威儀容貌をかいつくろひ、斎戒し香をたき天地神祇を礼拝し云々」とある。これでみる限り、神様に新年のお祈りをするのは自分の家であり、わざわざ神社仏閣に出かけることはしなかったようである。

 それから百十数年たった享和3年(1803年)に曲亭馬琴が編纂し、さらにその40数年後の嘉永年間に藍亭青藍が集大成した「増補俳諧歳時記栞草」にも「初詣」という言葉は載っていない。これは3400余の季語を集めた初めての本格的な歳時記であり、幕末から明治期の俳人の教典となった本である。これにも載っていないところからして、「初詣」が新年行事として確立したのはそれほど古いものではないことが分かる。

 ただし、「年籠り」と言って、大晦日から元旦にかけて氏神の社に籠って新しい年の平安を祈る風習は古くから各地にあったようである。これがやがて除夜詣と元日詣に分かれた。

 一方、「恵方詣」というものも江戸中期あたりから行われるようになった。恵方(吉方)というのは「明きの方」とも言い、陰陽道で歳徳神(としとくじん、その年の福徳を司る神)が出現する方角のことである。恵方はその年の十干によって決まるから、人々は新しい暦によって歳徳神の現れる方角を知り、その方面にある社寺に参拝した。

 また日本人には古代から「初日の出」信仰というものがあった。冬至の翌朝の日の出を拝む風習が、やがて新年の初日の出に変り、海岸や山頂、あるいは東が開けた高台の神社仏閣に出かけて昇って来るお日様を拝んだ。これら諸々が渾然一体となって、元日の朝お参りするのを「初詣」と言うようになったらしい。

 さらに「初詣」は元日の朝だけでなく、三が日の間なら良いとするもの、松の内のお参りは初詣、というように拡大解釈されるようになり、物見遊山気分も付け加わって、お目出度そうな神様を7つ巡る七福神詣などが生れた。

 初詣の謂れ因縁はともかく、年が明けて元日の朝、日頃はとんと疎遠な神社仏閣にお参りする。そうすると不思議なことに、信心とはほど遠い生活を送っている身でありながら、何に対してというわけでもなく手を合せ、頭を垂れたくなる気持になる。あらたまの年立ち返る気分である。

 初詣の言い換え季語として「初参」「初庭」「初社」がある。社とか庭というのは神の祀られた神域のことである。まだ薄暗い元日の早暁、鬱蒼と繁った神域に歩み入ると、身が引き締まる厳粛な気持になる。その雰囲気が籠められた季語である。「初祓」「初神籤」も初詣の傍題になっている。


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  御手洗の杓の柄青し初詣   杉田久女
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