雪(ゆき)

 雪は「雪月花」と並び称され、古来、和歌の重要な題とされてきた。俳諧、俳句もその伝統を受け継いで、春の「花」、夏の「時鳥」、秋の「月」とともに、季節を代表する景物としている。気象学的に言えば単なる降水現象にすぎないが、雪は幻想の世界を作り出す不思議なしろものである。

 大量の水蒸気を含んだ空気が上昇して上空で急速に冷やされると、大気中の塵(氷晶核)に水蒸気が昇華付着して氷の結晶が出来る。これが雪で、六花形、針状、角柱、鼓形などいろいろな形になる。雪が六角形であることは大昔から観察されており、最も古い記録は紀元前150年頃の中国・漢の時代に書かれた書物に残っているという。平安朝の歌人たちも雪が六角であることを知っており、和歌では「六花(むつのはな)」とも詠まれた。

 日本海側の北陸から東北にかけては世界有数の積雪地帯。これは日本海上の水蒸気が大陸からの冷たい季節風に押されて日本列島の脊梁山脈に突き当たり、無理やり上方に押し上げられて急激に冷え、六角形の氷晶となって大量の降雪となる現象である。従って、山の裏側(東南側)に当たる関東の太平洋岸には、既に水分をすっかり振り落としてしまった空気が流れ込むことになるから、からからの乾燥状態になる。関東平野の冬の「空っ風」がこれである。時には強い風(吹越し)によって雪片が運ばれ、山の東南側の晴れ渡った空に舞うことがある。これが「風花」である。

 新潟出身の友人が、「テレビの天気予報見てるとさ、日本海側は毎日雪印、関東地方は毎日お日さまマーク。俺はどうしてこんな所に生まれてしまったんだと思ったもんだよ。雪降らないまでも、毎日どんより曇って冷え込んで、冬中ほとんどお天道さま拝めねえんだもの」と語っていたことがある。

 12月から翌年3月一杯、雪に閉じ込められてしまっては風流どころではない。そうした雪国の生活体験を江戸時代後期の文人鈴木牧之が綿々と綴った「北越雪譜」という名著がある。

 越後塩沢の縮仲買商だった鈴木儀三治(俳号牧之)は、名産の塩沢縮の商いで故郷と江戸をしばしば往復、江戸の文人、俳人ともさかんに付き合っていた。文人たちとの交遊を続けるうちに、自分の暮らしと切ってもきれない「雪」の凄まじい正体を江戸の友人たちはほとんど知らないことが分かった。これを主題にした文章は自分にしか書けないと思い定めたのであろう、雪の観察を縦糸に、雪国の風俗習慣や動植物、言葉などを横糸に、全七巻の長大な随筆集を書いた。

 この「北越雪譜」は岩波文庫にもなっており、じっくり腰を据えて読むと面白さや雪の凄さが伝わって来る。しかし、それこそ雪にまつわる話が連綿と続き、読むのにかなりの熱意を要する。

 当時の江戸の文人たちは粋だの洒落だのを可とし、ベストセラー小説「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」などを持て囃していたのだから、「北越雪譜」のような糞真面目な随筆を見せられた連中はさぞかしびっくりしただろう。これの出版について口利きを頼まれたベストセラー作家山東京伝は、請け合っておきながら、そのままお蔵入りにしているうちに死んでしまった。気の毒がった京伝の弟の山東京山の奔走で、ようやく最初の三巻が出版されたのが、原稿を京伝に持ち込んだ時からなんと40年後の天保8年(1837年)のことだった。

 兄貴の安請け合いの尻拭いをした京山も偉いが、何十年かかっても初心を貫くという、牧之の粘り腰には驚嘆する。やはりこれも雪と相対するうちに自ずから備わった、雪国の人に特有の忍耐心の為せる業と言うべきかも知れない。

 とにかく豪雪に野も山も人里もすっぽり埋もれて、否応なく冬ごもりさせられては、誰だってうんざりするだろう。しかし、人間そういつまでも悲観的になってばかり居られるものではない。雪に閉じこめられてうんざりした挙句に、昔話を語り合ったりして退屈を紛らす方法を考え出したり、豪雪は何か良いことの前兆ではないかと楽観的思考を抱いたりするようになる。こんなところが人間の強さである。そうでもしなければ、4、5ヶ月も雪に閉じこめられたら気が狂ってしまう。

 昔から、「大雪の年は豊作」と言い習わしてきたのもそれである。大雪の年の春から夏にかけてが晴天続きになるとは限らないようだが、昔の人たちは、神様が大雪を降らせてその年の稲の豊作をあらかじめ知らせてくださるのだと素朴に信じた。そう信じることによって、寒くて辛い冬も乗り切ることができた。

 また、雪降りの後には遠からず春がやって来る。春とともに大自然は溜め込んでいたエネルギーを一斉に放出し、世の中が明るくなる。雪国はもとより都住まいの人達も、雪というものをそうした目出度い春の前兆だと捉えたのである。そういう心が受け継がれ、人々は雪が降るのを喜び、歌に詠み、俳句を詠んだ。

 雪に関する季語はそれこそ枚挙にいとまがない。その冬に初めて降る雪はそれこそ信仰心も重なって珍重したから、俳句でも「初雪」として別建ての重要な季語に立てている。

 雪の傍題としては、「六花(むつのはな)」をはじめ雪片、粉雪、しまり雪、ざらめ雪、べと雪、細雪、牡丹雪など雪の形状を言ったものがある。班雪(はだれゆき)はまだら模様に降った雪、衾雪(ふすまゆき)は物をすっぽり覆うようにこんもり積もった雪、しずり雪は木の枝などからずり落ちる雪、新雪は初雪も含め何度かの雪で野山が雪化粧した頃の軽い雪を指し、根雪は硬く氷り締まった雪を言う。

 その他、いまにも雪が降りそうな天気を雪模様とか雪催いと言い、そんな空を雪空、雪雲、雪曇り、雪を運んで来るような冷たい風を雪風と言う。しんしんと更ける夜に音もなく降る雪も、耳を澄ませば何か音が聞こえるような気がする。そうした雰囲気を「雪の声」と言い、積もった雪であたりがぼうっと明るく感じられるのを「雪明り」、降り積もった野山や街を月が煌々と照らす様子を「雪月夜」、そして雪の一夜が明けてお日さまが輝く上天気が「雪晴れ」、あたりの銀世界が「雪景色」である。


  酒のめばいとゞ寝られぬ夜の雪   松尾芭蕉
  我が雪とおもへばかろし笠の雪   榎本其角
  応々といへど敲くや雪の門   向井去来
  ながながと川一筋や雪の原   野沢凡兆
  宿かさぬ火影や雪の家つゞき   与謝蕪村
  里へ出る鹿の背高し雪明り   炭太祇
  雪ちるやおどけも言へぬ信濃空   小林一茶
  いくたびも雪の深さを尋ねけり   正岡子規
  大雪や納屋に寝に来る盲犬   村上鬼城
  降る雪や玉のごとくにランプ拭く   飯田蛇笏
  雪明り一切経を蔵したる   高野素十
  細雪妻に言葉を待たれをり   石田波郷
  ふるさとに東歌あり根雪ふむ   軽部烏頭子
  電柱に裏側ありて雪とびつく   加倉井秋を
  窓の雪女体にて湯をあふれしむ   桂信
  葉のついてゐるのは柏雪の原   高木 晴子
  雪の水車ごっとんことりもうやむか   大野林火
  雪原の赤きサイロのロシヤ文字   松崎鉄之介

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