湯豆腐(ゆどうふ)

 慶長八年(1603年)に日本イエズス会の長崎学林が刊行した日本語・ポルトガル語辞書『日葡辞書』に「ユダウフ」という言葉が載っている。湯豆腐は伴天連の目にもとまるほど、当時の日本で既にポピュラーな料理になっていたようである。

 ヘボン式ローマ字で有名なJ.C.ヘボン博士が明治初期に編纂した「米国平文先生著・日本東京丸善商社蔵版・和英英和語林集成」という本がある。これはその後の英和・和英辞典のお手本ともなった辞書だが、これにも湯豆腐はちゃんと載っている。ただしその説明は、「YUDOFU ユドウフ 湯豆腐 n. Boiled tofu 」と実にそっけない。平文先生は湯豆腐があまりお好みではなかったのかも知れないが、とにかく「茹でたトウフ」と言われても当時日本にやって来たガイジンさんにはちんぷんかんぷんであっただろう。そこで「tofu」を引いてみると、「TOFU トウフ 豆腐 n. A kind of food made of beans. Bean curd 」。とにかく豆料理なんだと、注文したら真っ白なぶよぶよした四角の無味無臭の代物が出て来て、青目玉を回した人もいたに違いない。

 身も蓋もない言い方をすれば、湯豆腐とは豆腐を鍋で温め醤油をつけて食べるだけのことで、夏場の冷奴とともに料理とも言えない食べ物である。しかし、素材の持つ旨さだけに頼るこうした食べ方こそ、究極の料理とも言える。

 まず豆腐そのものの味、舌触り、喉越しが良いものでなくては話にならない。鍋の底に敷く昆布も豆腐の味を引き立てる重要な脇役だから、利尻昆布など十分に吟味する。そして、つけ汁。これは縦長で大ぶりの湯呑に醤油をたっぷり注ぎ、きざみ葱と鰹節を加えて、湯豆腐鍋の真中に立てる。鍋はもちろん土鍋である。こうして火にかけ、じっと待つ。やがて湯が沸き、豆腐がゆらりとして来たら食べごろである。鍋の真中の湯呑からつけ汁を小鉢に取り、熱湯の中にゆらゆらと半分浮いてきた豆腐をすくい取って、ふうふうやりながら食べる。冬の夜の醍醐味である。

 豆腐は中国で生まれ、奈良時代に日本にもたらされた。水に浸した大豆をすり潰し、絞り汁である豆乳(搾りかすはオカラ)にニガリを入れて固めたものである。豆乳の鍋を火に掛け温めながらニガリを入れて掻き混ぜると、ふわふわとした塊ができる。それを布袋に掬い取り、穴を開けた木箱に入れて重石をかけて水分を抜くと豆腐になる。

 中国の豆腐はとても固い。もっぱら野菜や肉類と一緒に炒めたり煮たりして食べる。昔の日本の豆腐も固くて、縄でからげて運こぶことができというくらいだから、こんなものを湯豆腐にしたってちっとも旨くはなさそうだ。湯豆腐にする豆腐はやはり日本で長年かかって拵え上げた、味わいの深い、舌触りのなめらかな豆腐でないとだめなようである。

 旨い豆腐を作るには何と言っても原料の大豆の品質と水が大事である。また、豆腐は精進料理の主役でもあるから寺と縁が深い。というわけで、良質の大豆の生産地が近く水が良く、しかも寺だらけの京都が湯豆腐の本場みたいになって、南禅寺や嵯峨野にそれを看板にした店がたくさんできた。

 もちろん、江戸ッ子も豆腐食いではひけをとらず、根岸などは豆腐の本場ともてはやされた。しかも京都ほど気取らずに、庶民的な湯豆腐を食わせる店が多かった。ところが元来は安くて庶民的であるはずの店も近ごろはすっかり気取ってしまって、やたらに小奇麗に、鱈や白子、鶏のささ身、春菊や葱や椎茸などを一緒に炊き込んだものを出したりする。薬味も葱に鰹節という単純なものではなく、揉み海苔、おろし生姜、ミョウガ、穂紫蘇などいろいろ付けて来る。それはそれで美味しいのだが、こうなると湯豆腐というよりは寄せ鍋である。豆腐だけでは物足りないと言う客が悪いのか、豆腐だけではあまり高い金を請求できないという店側の思惑の所産であろうか。

 湯豆腐は昔はよくサワラ材の木桶で供されていた。今でも気取った店で出て来ることがある。昔の風呂桶のミニチュアのような、小判形の木桶である。片側三分の一くらいのところ、つまり風呂桶で言えば煙突が立っている両側の三角の陸湯(おかゆ)の部分が仕切ってあり、その中に薬味醤油を入れた銅の筒が収まっている。本体の湯槽のようなところに湯豆腐が泳いでいる。そして桶の底あるいは陸湯の部分には、かんかんに熾った炭火の入った銅壷が仕込んである。なかなか凝った作りである。

 しかし、こういうものが江戸時代の庶民の家庭に普及していたはずはなく、一般家庭の湯豆腐は鉄鍋か土鍋でわっと炊いたものを掬って食べたのであろう。江戸後期の文化爛熟の時代に高級料亭が庶民の食べものである湯豆腐を凝りに凝って提供するために考え出した容器ではなかろうか。

 さらに幕末になって大型の土鍋が割りに気軽に手に入るようになると、庶民の家庭でも今日のように煮ながら食べる方式が定着していったようである。それとともに、豆腐だけでなく中にいろいろな具を入れた寄せ鍋風も現われるようになった。

 とにかく湯豆腐というものは、素朴で温かく、食べるほどにしみじみとした感じがするところがいい。余計なものは一切排除、純粋に豆腐を味わうというところがすっきりしている。俳句を詠むような人種にはことに好まれる食物のようで、名句も多い。中でも『湯豆腐やいのちのはてのうすあかり』という久保田万太郎の句は極め付きというべきものであろう。


  湯豆腐や善人死んで人泣かす   与謝蕪村
  湯豆腐や根岸に住みて今日も暮れ   小沢碧童
  湯豆腐のまだ煮えてこぬはなしかな   久保田万太郎
  湯豆腐が煮ゆ角々が揺れ動き   山口誓子
  湯豆腐に美しき火の廻りけり   萩原麦草
  二年や獄出て湯豆腐肩ゆする   秋元不死男
  湯どうふやはぐらかされて話やみ   西村和子
  湯豆腐や幸せに居て気付かざる   関森勝夫
  湯豆腐や敷きて分厚き利尻昆布   三戸杜秋
  湯豆腐の湯気しづまりて老後なり   渡辺照子

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