夜着(よぎ)

 〈傍題〉掻巻 褞袍 丹前

 今どき「夜着」などと言うとナイトガウンのことだと思う人が多いだろう。しかしこれは古くからあるれっきとした用語で、広辞苑には(1)夜寝る時にかけるふとんなど。よるのもの。(2)普通の着物のような形で大形のものに厚く綿を入れた夜具。かいまき──と書いてある。夜着、褞袍、掻巻、丹前、いずれも三冬通じての季語である。

 「かいまき」「どてら」「たんぜん」の三つの総称が「夜着」と思えばいい。掻巻は小夜着(こよぎ)とも呼ばれていたが、丈を普通の着物の一・二、三倍にとり、幅も広くし、着物のように袖と襟をつけ、表地と裏地の間に綿を入れる。これを被って寝ると肩口がすっぽり包まれるから、首筋から冷たい空気が入るのを防ぐことができる。昔の日本家屋はすきま風がさかんに入り込んだから、冬場は特に夜着(掻巻)が重宝がられた。

 芭蕉に「夜着ひとつ祈り出して旅寝哉」という句がある。寒い季節に三河国鳳来寺に詣でたが、持病の疝気が起こり、やむなく麓の宿坊に泊まった。寒くて痛くて苦しんでいたら、夜着が出て来てなんとか旅の宿りを無事に過ごすことができた。藥師様(鳳来寺の本尊)に祈って、祈り出したようなもんだなあという句である。寒い宿坊に掻巻にくるまって丸くなっている姿が目に浮かぶ。

 真冬になると掻巻の上から掛布団をかけた。敷布団と合わせて三枚だから三つ組みと呼び、これが江戸時代以降、裕福な家庭の冬期の夜具三点セットとなった。昭和四十年代までは田舎の結婚式で花嫁の輿入れ調度品を麗々しく飾る風習が残っていたが、箪笥や家具などと共に三つ組み布団があった。敷布団、掛布団の上に艶やかな掻巻が積まれている。掻巻の袖と黒ビロードの襟が形良く折りたたまれ、でんと乗っている形は、仕切りをしている相撲取りのように見えて面白かった。

 嫁入り道具の掻巻は綿がたくさん入ってぱんぱんにふくらんでいるが、普通の掻巻はそれほど綿を入れず、起きてからも羽織れるくらいである。寒がりのご隠居などは昼間もこれを羽織って炬燵に入ったり、火鉢を抱え込んだりしていた。

 『子規は何を葬ったのか─空白の俳句史百年』(今泉恂之介著・新潮選書)は幕末から明治にかけての旧派の俳句に光を当てた名著だが、この中に当時の句界の大宗匠老鼠堂穂積永機が登場する。新進気鋭の俳句革新論者子規に「月並派」としてさんざん揶揄罵倒されたために、子規、虚子を盲信する後進に完全に無視され、今では知る人がいない俳人である。しかし当時は子規など足元にも及ばない句界の第一人者だった。句を見るといかにも江戸っ子らしく洒脱で、穏やかな人柄が偲ばれる。今泉氏は著書に永機の写真を載せたいと探し回り、苦心の末、日本近代文学館に残っていた古い雑誌の中にあるのを発見した。著書に載っている老鼠堂の写真はこの古雑誌からの転写だから、すっかりぼやけている。痩せて小さな老人がぞろりとしたガウンのようなものを羽織って植え込みの手すりに寄り掛かっている。それはあきらかに着古した掻巻であった。老鼠堂も隠居の身で家に引きこもり、掻巻をかぶって机にもたれ、日がなうつらうつらしていたのではないか。そんな様子がうかがえる興味深い写真だった。

 老鼠堂が着ているのもそうだが、掻巻はもともとは夜具だから足先が出ないように丈を長くとっている。これでは昼間の部屋着とするには立ち居振る舞いに不便である。そんなことから丈を普通の着物の寸法にして、中綿をさらに薄くしたものが生まれた。これが褞袍であり丹前である。

 丹前というのは江戸初期に神田の堀丹後守の屋敷の門前に湯女風呂が出現、大いに流行った。現在の内神田・司町交差点と淡路町交差点の中間あたりである。ここにプレイボーイたちが派手な柄の褞袍を着て通った。丹後屋敷の前にある風呂屋だから丹前風呂と言い、湯女にうつつを抜かす連中が着ていた褞袍をいつの間にか丹前と呼ぶようになった。

 屋内暖房が整うにつれ一般家庭では褞袍も丹前もあまり用いられなくなった。昭和四〇年代までは銭湯に通う人が多かったから、冬場には町中を褞袍姿で歩く人が見られた。屑拾いのじいさんが褞袍を尻っぱしょりして籠をかついで路地裏を物色している姿もあった。今では温泉街で旅館備え付けの丹前が命脈を保っている。掻巻の方は昔のような分厚く綿の入ったものはほぼ絶滅したようである。それに変わってごく薄く綿を入れたり、キルティングしたカラフルな掻巻が登場して、これが結構人気を呼んでいるようだ。

 仕事を終えて帰宅、熱い風呂に暖まって浴衣の上から褞袍を着込み、どっかり胡座をかいて湯豆腐かなにかで一杯やる。これが日本のお父さんの冬場の醍醐味だったのだが、エアコンと床暖房、カーペットの上にソファではどうしたって褞袍は似合わない。夜着、褞袍、丹前、掻巻、どれもだんだんと忘れられて行く運命の季語のようである。しかしいかにも日本の冬場になくてはならないものように感じ、たまの温泉旅行ともなると、普段は和服など着たこともない男も女も嬉々として丹前を着込んではしゃいでいる。


  ひとり寝や幾度夜着の襟をかむ     小西 来山
  夜着ひとつ祈り出したる旅寝かな    松尾 芭蕉
  しっとりと雪もつもるや木綿夜着    森川 許六
  汐風呂に千鳥きく夜や貸どてら     岡野 知十
  昨今の心のなごむ褞袍かな       飯田 蛇笏
  星移り物変りどてら古びけり      日野 草城
  声高に湯の町をゆく褞袍かな      渋沢 渋亭
  丹前を着れば馬なり二児乗せて     目迫 秩父
  丹前を袖だたみして旅の妻       草間 時彦
  丹前着て妻にあれこれ指図さる     富田 直治

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