山眠る(やまねむる)

 四季おりおり山は姿を変える。3月、4月の山は春雨にうながされるように芽吹き、ぼうっと霞立ち大欠伸をしたような感じで目覚める。その黄緑色が徐々に濃くなって爽やかな風が吹き渡り、元気溌剌とした緑滴る夏山に変わる。やがて朝晩冷え込んできたなと思う頃、山はだんだんと黄色っぽくなり、ちらほらと紅色が混じり、常緑の松杉などに映えて耀くばかりに粧う。そして12月に入ると紅葉、黄葉は散り急ぎ、冷たい木枯らしが吹きまくってすっかり裸にされ、後にはつんつんした枯れ枝ばかりの淋しい姿になる。遠くの高い山はすっかり雪におおわれてしまう。こうして山は深い眠りにつく。冬の山は淋しい感じはするものの、半面すっかり安心しきったような気分もある。これが「山眠る」である。

 芭蕉はこの感じを「山は猫ねぶりていくや雪のひま」と詠んでいる。それほどの句とは思えないが、雪が降り止んで暖かい日射しが戻ってきた日に里から仰ぐ山の姿を眠り猫にたとえた。あるいは「ひま」には物と物との隙間、まだらになったところという意味もあるから、初雪の後の山が白黒斑の猫が丸くなって寝ているようだと言ったのかも知れない。どちらにせよ静かに、長い休息に入った「山眠る」の感じがする。

 「山眠る」は宋時代に編まれた『臥遊録』という書物にある禅宗の画僧郭熙の詩『春山淡冶にして笑ふが如し。夏山蒼翠にして滴るが如し。秋山明浄にして粧うが如し。冬山惨淡として眠るが如し』から生まれた季語である。『冬山は惨淡として』の『惨淡』は少々分かりにくいが、「惨め」というほどではなく、色合いがすっかり薄れ「淡々と」しているが「深く心にしみこむ」ような光景といったところであろう。

 郭熙という人は画の大家であったようで、この詩も山を描くにあたっての心得のような気持を込めて作ったように思える。いかにも四季それぞれの山の姿を目に見えるように述べている。こんなところが江戸時代の俳人に喜ばれたのだろう、春の「山笑ふ」、秋の「山粧ふ」とともによく詠まれるようになった。

 全山雪におおわれて、その中に山が深い眠りについているという景色もいいが、やはり「山眠る」は里に近い、木々の生い茂った低い山の冬の姿が似つかわしい。日本アルプスや富士山のような高山では、雪を頂いて冬晴れの空に屹立しているから、「眠る」というよりは偉容を誇示しているような感じがしてしまう。たとえ雪をかぶった姿でも、それは蒲団をすっぽりかぶって静かに春を待つ里山の風情がいい。「眠る山」という使われ方もする。


  山眠る大和の国に来て泊る   山口青邨
  硝子戸にはんけちかわき山眠る   久保田万太郎
  右左眠る山蕎麦食ひに出て   大野林火
  浮く雲にもっこり山の眠りけり   中川宋淵
  掛時計数多く打ち山眠る   桂信子
  一水も無き川眠る山縫へり   阿波野青畝
  山眠る夕日の溜り場をふやし   村越化石
  神の山仏の山も眠りけり   福田蓼汀
  山眠るまばゆき鳥を放ちては   山田みづえ
  眠る山夕日ころりと落ちにけり   鷲谷七菜子

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