綿虫(わたむし)

 アブラムシ(ありまき)の一種で、晩秋から初冬にかけて空中をふわふわ漂う。体長二ミリくらいで、身体の表面を綿のような白色のロウ物質が被う。リンゴの大敵であるリンゴワタムシが代表的な存在。北国では初雪がやって来る頃、この虫がふわふわと空中を青白く光ながら漂うので、雪虫とも言う。本格的な冬の訪れを告げる虫である。大綿、雪蛍、雪婆(ゆきばんば)、白粉婆(しろこばば)などという呼び名もある。

 園芸家にとって非常に頭が痛いのがアブラムシ。春先から秋まで、ありとあらゆる作物に湧くように生ずる。放っておけば際限なく増え、栄養分を吸われた葉は萎れたり巻いたりしてしまい、実のなる作物は実を生らさずに枯れてしまう。蟻が運ぶのでアリマキという名前もある。このアブラムシは春から秋までは単性生殖で雌だけでどんどん子を増やしていく。そして晩秋になると翅を持った雄が出現し、これまで翅を持たなかった雌にも翅が生えて、空中に飛び始め交尾し、新しく繁殖すべき植物に取りつくと卵を産み付け、それが越冬する。これがワタムシで、俳人にとっては冬のロマンをかき立てる対象となる。

 今日ではワタムシとユキムシはごちゃまぜにされているが、本来は異なる虫である。ワタムシはアブラムシだが、ユキムシは早春二月、雪の上に夥しく出て来るカワゲラである。天保13年(1842年)鈴木牧之の表した越後の雪の観察随筆「北越雪譜」には「雪蛆の図」として「此虫夜中は雪中に凍死せるがごとく、日光を得ればたちまち自在をなす、又奇とすべし」と、雪虫の事が載っている。第2次大戦後もしばらくは「雪虫」は春(早春)の季語、綿虫は冬の季語として峻別されていたが、現在は雪虫もほとんど冬の景物として詠まれることが多い。

 水原秋櫻子に「横浜子安牧場」という詞書の下に「綿虫やむらさき澄める仔牛の眼」の句がある。現在の子安近辺は住宅や工場が密集する所だが、戦前は横浜に住む外国人やハイカラ人種の需要を満たすべく、乳牛、肉牛を飼う牧場があちこちに見られた。そして晩秋ともなれば綿虫が舞うのが見られたのである。しかし、地球温暖化の影響か、綿虫が取りつく草木も少なくなったせいか、東京、横浜あたりでは綿虫の舞う景色など滅多に見られなくなった。首都圏在住の俳句愛好者は遙か北国に思いを馳せて、冬の訪れを告げる虫の姿を脳裡に描く他は無い。


  雪虫のゆらゆら肩を越えにけり    臼田亜浪
  雪ばんば飛ぶ阿部川の洲の幾つ    長谷川かな女
  雪虫が胸の高さすぐ眼の高さ     山口誓子
  雪ほたるこだわるこころさみしくて  石原石舟
  澄みとほる天に大綿うまれをり    加藤楸邨
  大綿や昔は日ぐれむらさきに     大野林火
  綿虫やそこは屍の出でゆく門     石田波郷
  いつも来る綿虫のころ深大寺     石田波郷
  嘘を言ふショール臙脂に雪ぼたる   飯田龍太
  こころ急くとき綿虫の近づきぬ    藤井寿江子

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