12月もかなり押し詰まった頃を言う。言い換え季語としては、歳暮、歳末、年末、年の瀬、年の終り、年つまる、年果つる、などがある。また時期的には全く同じだが、ややニュアンスを異にし、別建ての季語とされているものに「行く年」「年の内」「年惜しむ」がある。さらに、残された日々が両の手の指で数えられるほどになってしまった、ということから「数へ日」という季語もある。これなどは、大人にとっては焦燥感、切迫感を、子供には楽しいお正月まであと何日という期待感を指折り数えるという、具体的表現の面白い季語である。
「年の暮」がどちらかと言えば歳末という時期を素直に客観的に示す言葉であるのに対して、「行く年」という言葉には、流れ行く時間的経過に思いを馳せる情感がまとわりついて来る。「年の内」には「もう後いく日」という気持が込められている。「年惜しむ」はそれをさらに推し進め、「ああ今年も終ってしまうのだ」という感懐を強く表現する季語であり、特に大晦日の思いを詠む場合によく用いられる。
とにかく1年の締め括りである年末になると、仕事や暮らしの面でも忙しく身体がいくつあっても足りないほどになる一方、さまざまな思いにとらわれて、精神面でも落着かない。こんなところから俳句には歳末にまつわるたくさんの季語が生まれた。
江戸時代には12月13日がお城の煤払いの日と決められており、町家もそれに習って、1年間にたまった屋内のススや埃を払った。その大掃除に使うのが真竹や篠竹を切った煤竹で、町々にはこれを担いで売り回る煤竹売が出た。この日から新年を迎えるためのいろいろな用意が始まり、商人は書き入れ時と頑張り、町は大いに活気づいた。いよいよ年も詰まって来たという感じが強まる頃合いである。
現代でも12月も半ばを過ぎる頃から急に慌ただしい感じになる。「年の暮」は12月半ばから30日くらいを指すものと見てよかろう。31日ももちろん年の暮には違いないが、これは「大晦日」とか「年越し」という特別の季語がある。旧暦では言うまでもなく31日などという日付は無かったから12月30日が大晦日であった。「みそか(30日)」の中でも特に重要な、1年の総決算の日である「12月のみそか」だから、この日を大晦日(おおみそか)とか大晦(おおつごもり)と呼んだのである。
赤穂四十七士の一人大高源吾は茶の湯を山田宗偏に、俳諧を水間沾徳に学び、当時一世風靡していた榎本其角とも昵懇の文化人であった。討ち入りの前の日も煤竹売に身をやつし吉良邸の様子を探る道すがら、両国橋でばったりと其角に出会い、「年の瀬や水の流れと人の身は」と問い掛けられ、「明日待たるるその宝船」と応じた。元禄15年(1703年)12月13日、義士討ち入りの前日、江戸の町中あげて大掃除という日のことであった。
平安時代きっての才女にしてプレーガールの和泉式部に『数ふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかりかなしきはなし』(新古今集巻6冬)という歌がある。和泉式部は非常に魅力的だったらしく、貴族の橘道貞、皇子の為尊親王、敦道親王と同時並行的に関係を持ち、中宮藤原彰子のお気に入りとなり、その父親で御堂関白と称され絶大な権力を誇った藤原道長の懐刀藤原保昌と再婚するなど、現代に生きていたら女性誌の巻頭を常に飾っていたに違いない女性である。そういう女性ですら、あるいはそういう女性だからか、年の暮れを異常なほど悲しがっている。昔は年が明ければ必ず一つ年を取るわけだから、ことに和泉式部のような女性にとっては、年の暮れはまことに遣る瀬無いものだったのであろう。
芭蕉の異色の弟子に路通という人がいる。出生地も定かではなく、芭蕉が近江を旅行していた時に路傍で行き合った物乞い同然の男であった。「露と見る浮世を旅のままならばいづこも草の枕ならまし」と破れ扇子に書きつけて芭蕉に差し出したところ、気に入られ、「私についておいで」と言われて弟子になった。弟子になったからといって大人しく始終付き従うわけではなく、ふっと姿を消すと諸所徘徊し、出家したかと思うと還俗し、あちこちで乱暴を働いてはつまはじきされたりもした。
その路通に「去ね去ねと人にいはれつ年の暮れ」という句がある。昔から暮れの忙しさに人々が注意力散漫になっているのを見澄まして空巣、置引き、掻っ払いが横行した。だから変な人間が近づくと邪険に追い払うのもまた世の常であった。そこまではいかないが、職も無くちょっとした伝手を頼って他人の家に転がり込んだ居候が肩身の狭い思いをするのが年の暮れであった。
路通とほぼ同時期の芭蕉門人野坡は越前福井の生れで、江戸で商家勤めをしたあと商業の本場大阪に移り、商人としてある程度の成功を収めた人らしい。洒落た句をものした俳人で、「年のくれ互にこすき銭づかひ」という句が『炭俵』に採られている。いかにも商都大阪の歳末風景である。
そして御大芭蕉の年の暮れの句はと言えば、「年暮れぬ笠きて草鞋はきながら」「ふるさとや臍の緒に泣く年の暮」が挙がる。前者は『野ざらし紀行』にある有名な句で、人生は旅であると感得し、旅そのものを人生とした芭蕉の真骨頂である。後の方の句は久しぶりに故郷伊賀上野に帰り、長兄からこれがお前の臍の緒だと見せられて、亡き両親のことなど思い出しながら涙した時の句である。
このように「年の暮」は身分、年齢、境遇などによって、感じ取ることは違っても、さまざまな想いがどっと押し寄せて来る時季であるようだ。一方、実に気ぜわしく、現実に忙しいことは確かなのだが、それだけにかえって活気づき、ある種の明るさが感じられる時季でもある。
あてにせぬ夫帰りをり年の暮 野村泊月
わけもなきこといさかひつ年の暮 高橋淡路女
忘れゐし袂の銭や年の暮 吉田冬葉
出歩きて無用の用や年の暮 山崎房子
町工場かたことと年暮るるかな 星野石雀
歳晩や回して鳴らす首の骨 河合凱夫
世辞笑ひ慣れて商ふ年の暮 水下寿代
年の瀬や動く歩道を大股に 笹本カホル
年の瀬の忙しと言ふて長電話 橋本敏子
年の瀬の磨けば光るもの多し 白根君子