冬場のくつろぎ着、あるいは戸外での遊び着として、セーターは日本人の暮らしにすっかり溶け込んでいる。もちろん明治以降に入って来た外来語で、俳句に取り入れられるようになったのは、セーターが一般に普及した昭和になってからである。
毛糸を編んだものだから軽くて動きやすく、それに暖かい。色もさまざまで、模様も凝ったものがいろいろある。これをすっぽりかぶると変身したような楽しさを感じる。そういう温かいぬくもり、のびのびとした、くつろいだ感じが「セーター」という季語には込められているようである。
セーターは英語のsweat (スエット=汗をかく)から出た言葉である。19世紀にはイギリス各地でボートレースが大流行した。ケンブリッジ、オックスフォードの対抗ボートレースは今でも大変な盛り上がりを見せているが、これもその当時からの伝統である。カレッジ対抗あるいは地域対抗、ボートが浮かべられる川や湖があれば、どこでもレースが行われるほどの熱狂ぶりだったようである。
そうなると、レースに勝つために各チームともさまざまな工夫を凝らす。艇のスピードをあげるために、形体はもちろんのこと、軽く軽く作った。それと同時に漕ぎ手の体重もできるだけ軽くしようと、減量が要求された。ボート選手は足腰はあくまでも強く、しかも体重は軽く、というわけである。そのために選手たちは毛糸のジャケツを着て走り回り、汗をかくことで減量した。「汗をかかせるもの」という意味で、この毛糸ジャケツはsweater と呼ばれるようになった。
イギリスの冬は寒い。ロンドンあたりでは雪はそれほどではないが、日中もどんより暗く、じわじわ底冷えする。住民は冬になると厚手の毛織物、たとえばホームスパンとかフランネル(フラノ)の上着やコートにくるまって過ごした。毛皮のコートも必需品だった。しかしこれらの着物は分厚くて重い。こんな時、温かくて軽くて動きやすいセーターが出現した。ボートレースを見物する側の人たちもセーターを着るようになり、たちまち都会の住民の日常着として行き渡った。毛糸と編み棒さえあれば誰でも作れるというのも普及のスピードを上げたようである。これがヨーロッパ大陸へ、さらにアメリカへ伝わり、またたく間に世界中で愛用されるようになった。
一説ではセーターのような毛糸の上着はもっとずっと昔から、イギリスや欧州大陸沿岸の漁村にあったとも言われる。冬の荒海に乗り出す漁師が、油抜きしていない羊の原毛を撚った太い毛糸で編んだ、厚くて重いジャケツを着込んでいた。これをボート選手たちが減量用具として利用したというのである。
一般市民がセーターを日常着として愛用するようになると、ゴツゴツした重いものから、軽くてふっくらしたものに変っていき、デザインにも凝ったものが出回るようになった。頭からかぶるプルオーバーだけでなく、前開きにボタンをつけたカーディガンも考案された。衿も丸襟、トックリ型、V字型、船底型のボートネックなどいろいろ生まれた。編み方も工夫され、襟ぐりや裾、手首の部分がすぼまるゴム編みだとか、縄編み、市松編みなどの模様編みが考案されて、おしゃれ着の要素が色濃くなっていった。
ところで日本では日常着は「セーター」と言ったり書いたりしているが、運動着になると「スエットシャツ」とか「スエットスーツ」と言う。どちらも語源はsweat なのに、日本に入って来た途端に両者生まれも育ちも全然別物のように受取られてしまう。外来語表記は難しい。
石庭とセーターの胸と対峙せり 加藤三七子
セーターの黒い弾力親不孝 中嶋秀子
老いぬれば夫婦別なきスエタかな 松尾いはほ
セーターに枯葉一片旅さむし 加藤楸邨
セーターの男タラップ駆け下り来 深見けん二