水仙(すいせん)

 地面から細長い濃緑の葉が何枚も生えてきて、その真中から二、三十センチの茎が立ち上がり、てっぺんに六弁の白い花びらの花を一つから三つくらい咲かせる。花びらの中心には盃状の黄色い花弁がある。これをニホンズイセンと言い、ノズイセンとも言う。

 越前岬、伊豆半島爪木崎、淡路島など本州から九州の海岸地帯には自生の群落が見られるので、日本古来の植物と思われがちだが、元々は地中海沿岸の原産で、大昔に中国経由で我が国に伝わって来たものだという。恐らく彼岸花(曼珠沙華)と同様、奈良時代かそのもう少し前にもたらされ、いつの間にか野生化したのであろう。水仙もヒガンバナ科の植物である。

 十一月から三月にかけて、寒風吹きすさぶ海岸の急斜面に花咲かす様子が印象的で、古くからその清楚な美しさと淡い芳香が好まれ、庭に植えられたり、正月の花として飾られたりして、日本人に愛されてきた。寒中に咲く花として印象的なことから、晩冬の季語とされている。

 実に丈夫な球根植物で、植えっぱなしにしておいても毎年冬になると必ず咲く。咲き終わり濃緑の葉を精一杯伸ばして養分を蓄え、球根を増やして、夏の終わりには枯れて休眠し、晩秋にまた緑の葉をはやす。この繰り返しでどんどん株を大きくして広がって行く。夏に堀上げて球根をばらばらにほぐし、秋に適当な間隔をとって植え付けてやると、数年のうちに至る所水仙だらけになる。しかし水仙はヒガンバナの仲間だから球根にも葉にも毒があり、動物は水仙を決して食べない。虫もあまりつかない。そんなこともあって増えてしまうのであろう。ところが人間は浅はかなもので、野草ブームなどもあって、水仙のみずみずしい緑色の新芽をニラなどと間違えて食べてしまう人がいる。球根も小タマネギに似ていないこともないからクリームシチューなどと気取る。どちらもその後は下痢や嘔吐で大騒ぎになる。

 水仙は日本人ばかりでなくヨーロッパ人にも好まれ、人工的にさまざまな品種改良が行われた。西洋で改良された水仙が日本に輸入され、また日本産の水仙が外国に出て行ったりしている。十九世紀から改良に改良が重ねられ、今や園芸品種は一万種以上あるという。

 英語では植物学や園芸品種としての水仙をナーシサスと言い、ラッパズイセンをダッファディルと呼んでいる。ナーシサスは言うまでもなくギリシャ神話に登場する稀代の美青年ナルキソスに由来する。この美青年は慕い寄るニンフを袖にして、もっぱら水に映る自分に恋した挙げ句に飛込み自殺、水仙と化したという奇妙な人物だ。そう言えば水仙は海辺や池のふちなどに咲いていることが多く、うつむき加減に咲く花の姿が水面に映る己の姿に見とれているように思えないこともない。

 日本では古来水仙の清楚なたたずまいを愛でて、自己愛の象徴などといった受け取り方はしていない。このように水仙は古くから日本にあって人々に愛され、かなり目立つ花なのに、不思議なことに和歌にはほとんど取り上げられなかった。和歌で早春の花と言えば梅ばかりである。木と草の違いはあるが、あまりの差別待遇である。ところが江戸時代になって俳諧が盛んになるにつれ、水仙は一躍スターになった。厳冬を厭わずに咲き出すいさぎよさと、清純可憐な姿が俳人好みだったのであろうか。

 水仙、あるいは水仙花、野水仙と言う場合は冬の季語で、新春を象徴する花ともされている。ところがヨーロッパ種で遅咲きの、花びらの黄色い「黄水仙」は春の季語である。同様に園芸品種のラッパ水仙、花の中心の副花冠に赤い縁取りのある口紅水仙も春の季語である。これらは日本古来の水仙よりはずっと派手で、清純可憐と言うよりは、ちょっと一癖ありそうな感じもする。


  水仙や白き障子のとも映り       松尾 芭蕉
  水仙や門を出づれば江の月夜      各務 支考
  水仙や寒き都のこゝかしこ       与謝 蕪村
  水仙に狐遊ぶや宵月夜         与謝 蕪村
  水仙や日の出を待てる海の雲      水原秋櫻子
  水仙の束とくや花ふるへつつ      渡辺 水巴
  水仙の花の伏したる雪の丘       高野 素十
  水仙に手相をたれて観世音       野見山朱鳥
  水仙やすでに古典のたけくらべ     斎藤 白雨
  水仙をざっくり挿して待つ待たす    松本 恭子

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