塩鮭(しおざけ)

 今では1年中売られており、今さら冬の季語と言われても感慨が湧かないという向きもあるかも知れない。しかし塩鮭は伝統的な冬の季語である。塩鮭という呼び名の他に「塩引」とか「新巻」(荒巻)とも言われ、東京あたりでは昔はもっぱら「しおじゃけ」と発音されていた。江戸から北の地方の正月の肴だった。

 「新巻」というのは塩鮭の中でも特に薄塩で仕上げたものを薦に包み藁縄で巻いた上等品で、江戸時代から歳暮の贈り物に用いられた。今日でも12月になるとデパートの地下食品売場などにコーナーが出来て、新巻鮭が吊り下げられる。近ごろは一本一本縄で巻くようなことはせず、単に薄塩で特別に仕込んだ塩鮭を「新巻」と称しているようだ。とにかくこれを見ると歳末を感じるから、季語としては塩鮭よりも「新巻」とした方が分かりやすいとも思う。

 晩秋から初冬、日本の河川には鮭が遡上して来る。特に東北地方や北海道の川に多い。川に上って来たところを捕ったり、あるい遡上する前の沖合に集まったところを一網打尽にしたものをさばいて鰓や内蔵を去り、雌の場合は卵(イクラ)を大切に取り置く。きれいにした鮭の口の中や腹に塩を詰め、身体全体にもまぶして貯蔵場に積み上げて行く。途中で一度ひっくり返しながら塩をまぶし、20日から1ヶ月で塩鮭が出来上がる。時あたかも歳末である。

 冷蔵庫や冷凍庫などの無かった時代、魚を保存するには干すか塩漬けにするか、あるいは飯と塩に混ぜて発酵を促す飯鮓を作るより他はなかった。鮭は晩秋から冬場に限って捕れる。しかも短期間に大量に捕れてしまう。これをなんとか保存して長期間食い延ばすことはできないかということで生れたのが塩鮭であり、乾燥した乾鮭(からざけ)であった。

 昔、塩は貴重品だった。戦国時代、駿河・遠江・三河を抑える今川と、伊豆・相模・武蔵を支配下に置く北条が、敵対関係にある甲斐の武田信玄が太平洋側に出て来る道を塞いだ。甲州勢が塩の補給路を断たれ窮地に陥った時、やはり戦争相手だった越後の上杉が「戦は戦、民の困窮救わざるべからず」と塩を送ったという美談が残っている。塩が極めて安直に手に入る今日の我々には、塩を送られたくらいでそれほど感激するものなのか怪訝に感ずるところがある。しかしその当時は、海を持たない山国の民にとって塩は何物にも代え難いものだったのである。

 海岸べりで製塩したものを各地に運ぶわけだが、塩は湿気を含むとすぐに溶けてしまう。今日市販されている塩はニガリなどの不純物を除いた精製塩だから簡単には溶けないないが、昔の塩はすぐにぐじゅぐじゅになった。

 そこで昔の人は塩を簡単に運ぶ方法として塩魚というものを考え出した。考え出したというより、海の魚など滅多に口に出来ない山国の人に魚を腐らせずに届けるためにきつく塩をした。そうすると魚も塩もいっぺんに運べることが自然に分ったのである。それをさらに徹底し、はらわたごと切り刻んだ魚に塩を極端に多く混ぜ込んで塩辛というものも作った。醤(ひしお)とかショッツル、タイのナンプラーやベトナムのニョクマムなどと同類の魚醤である。

 つまり塩魚は魚肉を賞味する目的が半分、残る半分は塩分の補給目的だった。ともあれ塩魚を手に入れた人達は焼いておかずにするのはもちろんだが、それを切り刻んで野菜と一緒に炊込み、味付けの調味料にした。というわけで魚と塩を一挙に運搬する媒体として塩魚が生まれ、塩鮭、塩鰤、塩鯖、塩鰯などが一般に定着した。塩蔵すると魚肉は馴れ(発酵)てきて生魚には無い独特の旨味が生じるため、塩の運搬用という役目が無くなってからも塩魚は独立した食品として好まれている。

 今日のように科学的製法で簡単に塩が出来なかった時代、塩は高価だったから、塩魚を作るのはかなりのコストがかかった。そこで、貴重な塩を使わずに海水で洗って天日乾燥する干魚が盛んに作られた。目刺や鯵の開きなどが代表的なものだが、乾鮭も重要な副食品になった。これは極めて安い庶民の冬の食べものだったらしい。芭蕉の句「から鮭も空也の痩せも寒の内」にもあるように、庶民の台所には常時吊されて切り取っては汁の実などになっていたようだ。

 従って塩鮭や新巻は乾鮭に比べればずっと上等な食品だったのだが、大正、昭和時代になると塩が大量供給できるようになり、作るに時間のかかる乾鮭に変って塩鮭が大量に作られるようになった。それと共に塩鮭の値打ちはがくんと落ちた。特に塩分を極端に強くした塩引き鮭などは、猫もそっぽを向くというところから「猫またぎ」などと呼ばれるようになった。

 ところが近年、日本近海では鮭が十分に捕れなくなり、アラスカ沖などで捕れる鮭を外国に頭を下げて売っていただくような状況になったものだから、塩鮭がまた貴重品に返り咲いた。上等な新巻は一本1万円もするのがめずらしくない。冷凍鮭を解凍したものに後から塩を振って拵えた塩鮭はかなり安いが、本物の塩鮭となると一切れが三百円もする。

 上等の新巻が手に入ったら無駄にしてはいけません。まず出刃包丁をよく研いで、俎板に寝かせた鮭に立ち向かう。鱗をやさしく丁寧にこそげ落し、さっと洗って頭を切り落とし、身を三枚におろす。頭のおでこの部分の軟骨は薄く切って熱湯をさっとかけて二杯酢に付け込む。おいしい氷頭膾(ひずなます)ができる。残った頭と骨、鰭は粕汁に用いる。

 身は適当に焼いたり、バタ焼にするほか、皮を剥いだ身を薄く斜め切りにしてタマネギ、人参の刻んだものをまぶして容器に並べ、胡椒を振りドレッシングをかけて蓋をして冷蔵庫に入れて一日おくと、美味しい鮭のマリネが出来る。また、薄く削いだ身を軽く酢洗いして鮨箱に並べ、酢飯を乗せ、蓋をして重石を掛けて置くと簡単に押し寿司が出来上がる。

 寿司やマリネ用の切り身を作る際に剥いだ鮭の皮を捨ててはもったいない。アイヌは鮭の皮で靴を作ったというが、私は食べちゃう。鱗をきれいに取ってさっと洗った塩鮭の皮を焼き網で丁寧に焼く。ちょっとよそ見をしているとぼっと火がつくから注意しながら、真っ黒焦げにしないようにゆっくりと、こんがり焼き上げる。焼き上がったら俎板に取って、千切りにする。それをご飯の上に盛り、刻み三つ葉とわさびをちょっと添え、熱湯を注ぐ。茶漬けの中でも、この鮭皮茶漬けは逸品である。スーパーで買って来たたった一切れの塩鮭の皮でも出来ないことはないが、分量にやや欠けるうらみがあり、お茶漬けの素との併用が望ましい。もっとも一切れ買いの塩鮭ならば、皮も身も一緒に茶漬けにしてしまうのが普通かも知れない。


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