霜(しも)

 良く晴れた無風の冬の夜、放射冷却によって冷やされた空気中の水蒸気が地面や石や枯葉などに触れて結晶(昇華)し、白く付着する。これが霜である。

 水が凍るにはもちろん気温が氷点下になっていなければならない。しかし天気予報で明け方の最低気温三度などという時にも霜が降りることがある。これにはわけがある。気象庁が発表する気温は、地上一・五メートルの百葉箱の中の気温計で測ったものである。しかし地表はそれよりずっと冷え込んでおり、二、三度は低いのが普通である。つまり天気予報で気温三度と言う場合には、地面や地上の石の表面は零度くらいになっている。ここに水蒸気をいっぱい含んだ空気が触れると、飽和状態になり、水分が霧状になって、地面や石や木の葉に付着して氷の結晶、つまり霜になるわけである。

 昔の人はなかなか観察眼が鋭くて、霜は露が凍ったものだと考えた。確かに霧や露が物に付着し凍結して霜になる場合もあり、水蒸気が飽和状態になって付着して霜になる場合もある。

 霜が降りるような寒い夜を「霜夜」と言い、しんとして音もなく霜が降る夜の様子を「霜の声」と呼んで歌や俳句に詠んだ。冬になって最初の霜を「初霜」、春になって終りの霜を「終霜」、八十八夜になって降るのを「別れ霜」と呼ぶ。

 霜が降りれば当然のことながら草や木の葉は枯死してしまう。冬の作物にとっては大敵で、菜っ葉類は霜に当ると萎れて赤黒くなってしまい、大根や芋類は凍って部分的に変質してしまう。これを「霜げる」と言う。それを防ぐために昔は竹の枝、今はビニールシートをかけて「霜よけ」や「霜囲い」をする。

 また八十八夜頃の別れ霜や遅霜は芽生えたばかりの若芽を枯らしてしまい、これまた農作物に大被害をもたらすものとして恐れられた。そういう霜害を防ぐために、昔の農家は夕方になると畑の風上に落葉やもみ殻を積み上げて燃やし、ぶすぶすいぶる煙を畑一面に行き渡らせて地表の温度を上げた。時には火持ちの良い古タイヤを燃やした。今ではそんなことをすると近隣の家々から文句が出る。そこで高価な作物である茶の栽培農家などは、畑のあちこちに大きなプロペラをつけた鉄塔を立てて、一晩中モーターでプロペラを回す仕掛をこしらえている。これで地表より暖かい上空の空気をかき混ぜて、茶畑への降霜を防ぐわけである。

 逆に霜は農耕にとって恩恵ももたらす。秋に取入れを終った田畑を掘り返し、霜の降りるころにもう一度掘り返す。そうすると土塊に霜が降りて日中の陽射しを浴びて崩れ、細かく砕かれて良い耕土になる。それと共に病虫害が死んでしまうから、翌年の実りが良くなる。この耕しを特に「霜起し」と言う。しかし、こういう季語もだんだん過去のものとなってしまい、「そんな言葉はじめて聞いた」と言う人の方が多くなった。

 朝霜が降りて地面一面が真っ白になった情景を「霜畳」と言い、寒気の厳しい地方で見られる樹木にできる霜を「樹霜」、窓ガラスにできるのを「窓霜」という。草木に置いた霜の白く美しいことを花にたとえて「霜の花」という言葉もある。また、霜の降りる朝は大抵晴れ上がった良い天気なので「霜日和」「霜晴れ」と言う。

 このように農耕民族の日本人にとって、本格的な冬の訪れを告げる霜は独特な感性で迎えられる季語であった。農耕とは直接関係が無い都会住いの人たちにとっても、陽射しに溶けたぬかるみは「霜解け」として冬には付き物の光景であったが、今日では路地まで舗装されて霜解けのぬかるみなどほとんど見られなくなってしまった。この霜解けの元凶である「霜柱」は地中の水分が毛細管現象で地表に沁み出して来るそばから凍って柱状になったもので、発生からして「霜」とは異なるのだが、霜の兄弟分として歳時記には並べられている。

 ただ近頃は地球温暖化の影響で、都会地では真冬でも霜柱はもちろん、霜を見ることも少なくなった。暖冬はしのぎやすくて結構なのだが、きりりと引き締まるような霜の朝の感じが薄れてしまうのはなんとなく寂しい感じもするというのは俳句詠みの贅沢だろうか。


  里人のわたり候か橋の霜        西山 宗因
  乞食の犬抱いて寝る霜夜かな      森川 許六
  霜百里舟中に我月を領す        与謝 蕪村
  空色の山は上総か霜日和        小林 一茶
  南天をこぼさぬ霜の静かさよ      正岡 子規
  東西の鉄路真直ぐに霜置けり      山口 誓子
  霜に明け殉教の像はみな濡れぬ     水原秋櫻子
  霜の墓抱き起されしとき見たり     石田 波郷
  霜つよし蓮華と開く八ケ嶽       前田 普羅
  霜あかりしておしならぶ夜の伽藍    中川 宋淵

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