時雨(しぐれ)

 「しぐれ」とは「過ぐる」から出た言葉だと広辞苑にある。さあっと通り過ぎる雨のことである。初冬から仲冬にかけて、急にぱらぱらと降って来る雨を言う。土砂降りというのではなく、短時間で止んでしまう。これが時雨である。この時期のそぼ降る雨も時雨と言ってしまうこともあるが、この言葉が歌に詠まれ季語として成立した頃は、雨粒が意外に大きくパラパラと音を立てて降るような冬のにわか雨を指したようである。陰暦10月、いまの暦で言えば11月から12月の初めごろに最も多く降る。

 北西の季節風に吹かれた雨雲が山に当って雨になると、その一部分が山越えして反対側の山すその里もちょっとした雨降りになる。京都や奈良地方などの盆地や各地の山際の村里に多い現象である。この時雨が木々の葉を色づかせ、散らすと考えられていたから、万葉集の時代から時雨はたくさん詠まれてきた。特に文化の都であった京都の初冬には付きものの雨であったため、和歌に盛んに詠まれ、これが全国各地に広まって初冬の雨が「時雨」としてもてはやされるようになった。さらに川音や松風、木の葉のさやぐさまを時雨の音と聴きなして「川音の時雨」「松風時雨」「木の葉時雨」などと言い、蝉の声が降って来るのを「蝉時雨」と言って、いずれも季語に仕立てていった。これらは「似せの時雨」と言う。

 時雨は俳諧でももちろん重要な季題とされた。『滑稽雑談』には、時雨は秋のうちからふるものではあるが、秋ということばを入れぬ限り冬季の詞になる、とした上で、「時雨降るときはいかにもさびしく曇りがちにして、軒にも雫の絶えぬ体、秋のしぐれは夜にも木の葉もみぢして冷まじき体、よし……」としてある。  うそ寒くなってきた頃合いに不意に降っては止んでしまう時雨は、定めなき世、はかない人生、別離のさびしさなどを詠む素材とされてきた。宗祇は新古今集に出ている二条院讃岐の「世にふるは苦しきものを槙の屋にやすくも過ぐる初時雨かな」という歌をとって(本歌取り)、「世にふるもさらに時雨の宿りかな」という句を詠んだ。この世の無常を感じて旅を人生とした宗祇らしい句だが、宗祇に心酔していた芭蕉はこの句を本歌として「世にふるもさらに宗祇のやどり哉」と詠んだ。

 ところがこの句には季語が無い。しかし、この当時、俳諧に志す者なら宗祇の「時雨の宿り」の句は知っているのが当然だったのであろう。「宗祇のやどり」と言われれば、すなわち「時雨の宿り」と悟るのが当たり前とされていた。だから「宗祇のやどり」からすぐに「時雨」が引き出され、季語は句の裏に隠されているというわけである。宗祇と同じく、「この世は変転定めなきものであり、人生は旅なのだ」と感じていた芭蕉は、人間たまたまこの世に生を受けて50年の歳月を生きていくにせよ、あくまでもそれは仮の宿に泊まりを重ねているにすぎないのだという思いを、「宗祇のやどり」という表現に込めたのであろう。そうなればもう、わざわざ「時雨」と言わなくても十分だと考えたのであろう。

 「時雨」の句は大なり小なりこうした無常観を漂わすものが多いが、もちろんもっと素直にあっさりと詠んでいるものが数多く残っている。芭蕉が新風を打ち立てた句集として有名な『猿蓑』の巻頭句、「初時雨猿も小蓑をほしげなり」はその好例で、後々まで時雨の句の筆頭に挙げられるようになった。芭蕉には「いづくしぐれ傘を手にさげて帰る僧」「しぐるゝや田のあらかぶの黒む程」「新藁の出初めて早き時雨かな」「草枕犬も時雨るゝか夜の声」などもあるが、「宗祇のやどり」は別として無常観をことさら押し出すようなものは無く、時雨の景色をしみじみと詠んでいる。芭蕉の忌日は陰暦10月12日であり、今の暦でいえば11月半ばから12月のはじめで、まさに時雨の時期である。芭蕉忌を「時雨忌」と言うのもむべなるかなであろう。

 其角には「あれ聞けと時雨来る夜の鐘の声」という、いかにも其角らしい趣向をこらした時雨の句がある。丈草には「幾人かしぐれかけぬく瀬田の橋」、去来には「鳶の羽も刷ぬはつしぐれ」「いそがしや沖の時雨の真帆片帆」、凡兆には「しぐるゝや黒木つむ家の窓明り」というように、芭蕉の高弟には時雨の名句が多い。これは『猿簑』の巻頭に芭蕉の「初時雨猿も小簑を」の句を据え、有力門人が時雨の句を詠んで並べたせいもある。

 さらにその後も、蕪村は「楠の根をしづかにぬらす時雨かな」「しぐるるや堅田へおりる雁ひとつ」「化さうな傘かす寺のしぐれかな」と詠み、一茶は「夕時雨馬も古郷へ向いて嘶く」と詠んだ。

 現代俳句にも時雨は盛んに詠まれている。もしかしたら「時雨」は、「月」や「花」よりも俳人の作句意欲をかき立てる題材なのかも知れない。


  小夜時雨上野を虚子の来つゝあらん   正岡子規
  天地の間にほろと時雨かな   高浜虚子
  消炭のつやをふくめるしぐれかな   室生犀星
  時雨るるや空の青さをとぶ鴉   原石鼎
  石段のぬるるにはやきしぐれかな   久保田万太郎
  みちのくの時雨は荒し棒の虹   山口青邨
  折りもてるものをかざして時雨けり   富安風生
  しぐるゝや駅に西口東口   安住敦
  うしろすがたのしぐれてゆくか   種田山頭火
  一つぶの音にはじまる時雨かな   伊藤柏翠

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