七五三(しちごさん)

 乳児の死亡率が高かった昔は、数え年で3歳になればひとまず安心と、それまで男女とも丸坊主にしてあった頭に髪の毛を生やし、産土神に無事成育を感謝するとともに、これからの健やかな成長を祈った。これが七五三の祝いの原義で、もともとは宮中の儀式だったものが武家へ、やがては民間に伝わって全国的な年中行事になった。

 「続江戸砂子」(享保20年・1736年)という書物の中の「江府年中行事」には、11月15日の項に「髪置、三歳の小児、今日より髪を置初る也。白髪と名付て麻苧真綿に、末広、松、梅の作り花を五彩の水引を以てかざり結び、かつがしめて氏社へ詣る也。五歳は袴着、七歳は帯解」とある。「五歳は袴着」というのは、男児が5歳になって初めて袴をはく祝の儀式、「七歳は帯解」というのは7歳になった女児が付け紐のついた幼児服からちゃんと帯をしめる着物に替える儀式のことである。これでみると、七五三は江戸時代半ばには民間行事として定着していたことがわかる。「白髪云々」とあるのは、麻糸や真綿で造った白髪のかつらのようなものに造花を飾りつけて三歳児に冠らせ、不老長寿を祈る咒としたのであろう。

 初めの頃は信仰要素が色濃く、質素かつ敬虔な行事として執り行われていたものも、時代が下るにつれて「お祝い」の要素が強く表に出るようになって、派手さを増してゆく。菊池貴一郎(四代広重)という人が明治になってから幕末頃の江戸を回顧して綴った「絵本江戸風俗往来」の中の「七五三の祝」には、次のように書いてある。「この祝はまずもって愛児の衣類、武家は子供指しの双刀を始め、乗馬、槍等より相従う奉公人の衣類を調え、縁辺知人への進物、当日の客設けの膳部の調べ、その費やす所の物も容易ならざるべし。(中略)町家に至りては男子女子とも粋と優美をつくしたる衣類を着飾り、帯、腰帯の結びに至るまで好みをつくし、実母或いは叔父母介添なし、乳母また守りも付き従い、小僧の誰どん若い衆の何どん、出入りの職人、抱えの鳶は革羽織を着せ、打ち揃いて産神へ参詣……」。まさにお祭り騒ぎである。

 愛児の成長を喜び祝って、華美な装束を奮発し、親類縁者知人に至るまで大盤振舞いするのも親心のなせる業であろう。もっともそういうことが出来るのは町人のうちでも大家で、江戸市民の8割方を占めていた長屋住まいには縁遠いものだった。

 「三歳と五歳の男児、三歳と七歳の女児」を着飾らせて氏神に詣でる七五三の行事が定着したのは江戸の中期以降だが、派手派手しく行う家庭はごく限られており、庶民階級では一茶の「髪置にさしたる枝の一朶かな」という句にもあるように、内輪のささやかな祝い事として行われていた。これが明治から昭和の初め頃にかけて徐々に派手になり、都会だけでなく地方にも行われるようになったが、戦争の足音が高まるにつれて「贅沢は敵」ということになって、七五三の行事はすっかり消え失せた。鶴や亀をあしらった極彩色の細長い袋に入った千歳飴など、古老の昔語りとなった。現在80歳代から60代の人たちで、ちゃんとした七五三を祝ってもらった記憶のある人は多分それほど多くないだろう。

 第2次大戦後も昭和40年代になって、いわゆる高度成長期になると、七五三がにわかに盛り上がって来た。両親だけではない、その親たち、つまり自分が子供の頃には七五三どころではなかったオジイチャン、オバアチャンが、可愛い孫のために一肌も二肌も脱いだ。神社は特別の加持祈祷などで客寄せに躍起となり、デパートは宣伝合戦を繰り広げ、ホテルは七五三特別メニューでちびっ子を喜ばせ、親の虚栄心をくすぐった。かくて江戸後期の七五三お祭り騒ぎは、一億総中流階級という時流に乗って、一段とスケールを大きくして行われるようになった。

 七五三の派手派手しさを苦虫を噛みつぶしたような顔でくさす人がいる。しかし、いつの世も子は宝。節目を迎えてのお祝いが少々華美になったとしても、それは親バカ、婆バカのご愛嬌と許してやりたい気がする。

 ただし、俳句に親バカ、爺婆バカを持ち込んでしまってはどうにもならない。七五三の句は当然のことながら、子供のしぐさを詠むことが多くなるが、間違っても「愛らしさ」だの「あどけなさ」だのとやらない方がいい。俳句とはほど遠い代物になってしまうこと請合いである。もっとも、そういうバカになった自分を自ら揶揄する様をすっきり句に仕立てることができれば、それは別である。それが出来る人は本当の俳諧の達人であろう。とにかく、こういう季語は俳人泣かせである。


  七五三の飴も袂もひきずりぬ   原田種茅
  振袖の丈より長し千歳飴   石塚友二
  命減らし産みし子ひとり七五三   石川昌子
  七五三寒むさうな子が見てをりぬ   但馬美作
  七五三日向日蔭に鳩をまじへ   永井東門居
  七五三石段天に到りけり   野口里井
  七五三日和の島に遊びけり   佐藤鬼房
  子が無くて夕空澄めり七五三   星野麦丘人
  三人の孫みなをみな七五三   成宮紫水
  七五三晴着を解きて風の子に   佐野志摩人

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