「冷たし」とか「寒し」という状態がさらに進んで、寒さが極まった感じを言う。大気が澄み渡り、耳の奥がキーンと鳴るような寒さで、まさに「厳寒の候」である。
寒さの度合から言えば、「凍る(こほる)」「凍つる(いつる)」「凍(いて)」という季語とほぼ同じだが、「冴ゆる」はもっと幅の広い、複雑かつ感覚的な意味合いを持った季語である。視覚的な面で「冴ゆる」を捉えた場合、大気が澄み切って月や星が輝くように見えるところから「月冴ゆ」「星冴ゆ」などと詠まれる。聴覚面では、音がよく透るように感じられるため、「声冴ゆる」「音冴ゆ」あるいは「鐘冴ゆ」などと用いられる。「風冴ゆる」などと、風につくこともあるが、これなどは寒風の音が吹き過ぎて行くと同時に頬を切られるような冷気を感じるという、多分に触覚的な感覚もあるようだ。
このように「冴ゆる」という季語は、一切の不純物が取り払われ、透き通るような感じの寒さを言い、それが我が身に返って、さてどうなのかを問うているような感じである。
「冴ゆる」が広く日常の言葉として使われるようになると、頭や目の働きが鋭くなることを表わす意味が強調され、「あの人の頭は冴えている」「目が冴えているねえ」などという言い方が会話の中にも現れるようになった。またこの逆に「冴えない男だ」というようにも用いられるようになった。こうした用法は別に季節感とは関係がないから、季題季語とは縁遠い。しかし、なかなか含蓄のある使い方でもあり、季語としての「冴ゆる」の裏側には、こうした気分、厳しい寒さの中で身も心も引き締まる感じが潜んでいるようである。
春先に一旦暖かな日が続いた後に急に寒さが戻ることがあり、これを「冴え返る」と言い、春の季語になっている。
冴ゆる夜のこゝろの底にふるゝもの 久保田万太郎
暮れ残る豆腐屋の笛冴えざえと 中村草田男
妻も子もはや寝て山の銀河冴ゆ 臼田亜浪
冴ゆる灯や獄出ても誦む東歌 秋元不死男
新聞なれば遺影小さく冴えたりき 石田波郷
ひとりゐて壁に冴ゆるや昼の影 富田木歩
風冴えて魚の腹さく女の手 石橋秀野
冴ゆるまで静けき室に墨匂ふ 新井石毛
相対し冴ゆる月光菩薩と吾 皆吉司
冴ゆる夜の無韻につもる砂時計 徳田千鶴子