サッカーから派生したフットボール競技で、1823年、英国の主に貴族の子弟が学ぶパブリック・スクールの一つラグビー校で始められた。伝説ではフットボールの試合中にウイリアム・ウェブ・エリスという生徒がいきなりボールを抱えて走ったのが面白いということになって出来たという。
15人ずつの二チームが革製の楕円形のボールを奪い合い、蹴ったり抱えたりしながら相手のゴール内の地面にボールをつける(トライ)か、蹴り込む(ゴール)ことによって得点する。ボールは自分より後ろの者にしかパスできず、キックあるいはドリブルしながらパスをおりまぜて前進する。守る方は相手のパスするボールを途中で奪ったり、ボールを持つ者にタックルして防御する。また審判が命じて双方のフォワードが肩を組んで行うスクラムでボールを支配する。試合時間は前後半各40分でハーフタイムが5分。雨が降ろうが雪になろうが行われ、実に激しいスポーツなので、イギリス人は「最も勇壮で男らしいスポーツ」と自慢する。
ラグビーが日本に入って来たのは1899年(明治32年)で、慶応義塾で行われた。しかしルールがやや複雑であり、特殊なボールであること、ちゃんとした審判がいないと試合が成立しないことなどから、一般にはあまり普及せず、大学対抗戦や実業団対抗戦に一部の熱狂的ファンがつくという程度だった。今日でもサッカー人気には到底及ばないが、新年早々の大学実業団対抗戦や高校ラグビーなどは、テレビ放映も手伝ってファン層が拡大している。
戦前は「ラ式蹴球」という名称が正式な競技名だったようだが、今ではこんな名前ではほとんど通じない。英国では正式名称をラグビー・フットボール、通称をラガーと言うが、どういうわけか日本ではラグビー選手をラガーと呼ぶことが多い。ランナーとかバッターとか、「-er 」を付けると行為を起す人間を指すことが多いので、英語が半分分かったような人が勘違いして誤用したのかも知れない。
ラグビーが俳句に詠まれるようになったのは昭和に入ってからのようである。特に山口誓子が昭和の初めにラグビーの句を連作し、これが契機になって冬の季語に定着したと言われている。
ラグビーの肉搏つひびき吾が聞きぬ 山口誓子
ラグビーの野辺も稲城も狐色 山口誓子
書庫守に声なきラグビー玻璃戸走す 中村草田男
ラグビーへ自動車あやつり来し夫人 日野草城
ラガーらのそのかち歌のみぢかけれ 横山白虹
ラガーらの雄しべのごとく円となる 加藤三七子
ラグビーの天を仰いで終りけり 次井義泰
楕円球の前には行けずラガー群る 塚本務人
ラグビーの頬傷ほてる海見ては 寺山修司
ラグビーや唇きつく噛む少女 折原あきの