中央アジアから中国西部地帯が原産と言われるユリ科の多年草だが、日本には有史以前から存在していたようだから、固有の野菜と言ってもおかしくない。おそらく大昔のネギはノビルかワケギのようなものだったのではなかろうか。改良に改良を重ねて、日本独特の長葱が生まれた。もともとは多年草のネギも、畑で作られる長葱は一年草になった。冬場にもっとも旨いものが出荷されるので、冬の季語になっている。
関東地方で賞味されるネギは白い茎(葉鞘)の部分が太くて長い。これはもともと葉鞘が伸びる性質を持っているのだが、それを助けるために、成長するに従ってうねの両側から土をかぶせてやると白い部分が長くなる。昔は江戸郊外の千住の葱が名物だったが、東京と名前が変わる頃から産地はだんだんと東北にずれていって、現在では埼玉県の深谷葱、岩槻葱、群馬県の下仁田葱、山形県の飽海葱などが優良品とされるようになっている。
一方、関西以西で主に食べられるネギは、白い葉鞘は短く、長くて柔らかい緑の葉の部分を利用する葉葱である。京都の九条葱が有名で、今では京都府だけでなく全国的に九条葱が栽培されている。最近は、葉葱の一種で水耕栽培できる万能葱というのが大流行である。九州地方が主産地だが、またたく間に全国各地で栽培されるようになり、スーパーやデパート地下食品売場の常備野菜になっている。煮ると瞬く間にくたくたになってしまい、実に頼りない葱だが、強烈な臭いや辛味がないので、何でもソフトタッチが好まれる今どきの気分に合っているのだろう。
ユリ科ネギ属の仲間で食用にされているものは数多くある。日本に昔からあるものには長葱のほかに、ワケギ、アサツキ、ノビル、ラッキョウ、ニンニク、ニラなど。これに明治以降、タマネギが加わった。欧米ではもっぱらタマネギが幅を利かせているが、長葱によく似たリーキ(ポロネギとも言われる)やラッキョウのようなエシャロットがある。
とにかく葱は日本人が最も好む野菜で、特に鍋料理には欠かせない食材である。これも関東以北では白い部分が長いいわゆる「根深」を用い、関西地方はもっぱら葉葱を用いてきた。しかし、近ごろは関西でもすき焼(牛鍋)やシャブシャブ、鶏の水炊き、寄せ鍋などに根深を使うようになっている。湯豆腐も上質の昆布と葱が欠かせない。さらに、葱は薬味としても重要で、おいしい蕎麦も小口切りにした葱が無いと、なんとなく気が抜けた感じである。ラーメンだってぱらりと掛けられた薬味葱が、濃厚スープと相俟って独特の旨味を引き出している。
葱は独特の香りと辛味が身上であろう。それになんとはなしの甘味もある。しかし、葱はあくまでも料理の脇役である。葱が主役になることはあまりないが、例外としては根深汁がある。これはぶつ切りにした葱をみそ汁にしたもので、江戸時代から今日に到るまで真冬の食卓をほのぼの温めてきた。もう一つは葱鮪(ねぎま)である。やはりぶつ切りの葱と鮪のトロを煮た鍋である。昔は鮪の脂の多いトロの部分は捨てていたので、これを醤油漬けにしてから葱と煮込む、ごく庶民的な食べ物だった。この根深汁(または葱汁)と葱鮪(あるいは葱鮪鍋)が葱主役の料理として季語になっている。
葱が入ると魚や獣肉など動物質の生臭みを消し、食欲が増し、また葱自身にも強精効果があるらしく、体が温まって元気が出る。修業中の若い坊主にこれほど悪いものは無いというので、禅寺には「不許葷酒入山門」の石碑を立てた。
葱の句と言えばすぐに思い出すのが蕪村の「易水にねぶか流るゝ寒さかな」である。「史記」刺客列伝の「風蕭々として易水寒し、壮士一たび去ってまた還らず」を踏まえた句だが、易水のほとりで見送る燕の太子丹の胸中も複雑、始皇帝を刺しに単身出かける荊軻はもとより悲壮なる決意、という切迫の場面。そこにあまりにも世俗的な葱の切れっぱし流したのだから、まさに度肝を抜かれる。真面目も真面目、大真面目な中に可笑しみを潜ませている。こんなところが俳諧の醍醐味であろう。
蕪村はこの庶民的な野菜が好きだったのだろう、「葱買て枯木の中を帰りけり」「葱洗ふ流れもちかし井出の里」という名句もある。井出の里というのは京都府郊外の古来山吹の名所とされ、山吹や蛙を詠む歌枕とされた土地だが、そこにも葱を洗う流れというごく日常的な生活風景を配して俳句にしている。また、葱の女房詞である「ひともじ」を用いた「ひともじの北へ枯れ臥す古葉哉」もある。
武蔵野や流れをはさみ葱白菜 臼田亜浪
買物籠葱がつき出て見えにけり 吉屋信子
葱屑の水におくれず流れ去る 中村汀女
葱は青勝ちべにがら塗りの店格子 中村草田男
葱切って溌剌たる香悪の中 加藤楸邨
夢の世に葱をつくりて寂しさよ 永田耕衣
葱青し字と団地を分け隔つ 百合山羽公
刻むほかなき晩年の葱の量 楠本憲吉
我が業を剥くごと葱の皮をむく 桜井楊子
葱刻む妻の背に嘘なかりけり 鳥居露子