海鼠(なまこ)

 ヒトデ、ウニなどと同じ棘皮動物という名前で分類されている不思議な動物である。海底のごく浅い所から深海までほぼ全世界の海にざっと千二百種類のナマコがいると言われ、日本近海には約二百種類が棲んでいるという。ナメクジを巨大にしたような円筒形のぶよぶよの身体で、青緑、黒褐色、くすんだ紅色などさまざまな色をして、いぼいぼがある。

 生まれてから死ぬまで海底をはいずり、先端の口の周りの触手で砂泥をかき集めて吸い込み、食道から腸管まで通して栄養を吸収し、残り滓を尻尾の肛門から排出する。ただただ海底を這い回り、砂泥を吸い込んでは脱糞し、徐々に大きくなって牡牝遭遇すれば二千万個もの卵を放出し、それが無事孵ろうと魚に食われようとどうなろうと海流任せである。しかし、こんな一生、なんの楽しみがあって生きているんだろうなどと思うのは人間の勝手である。あれで海鼠には海鼠の楽しみがあるに違いない。

 海鼠は昔は日本沿岸至る所のごく浅い海底にごろごろいたようで、しかも魚のように素早く泳ぐわけではないから、多少気味は悪いが捕ろうと思えばいくらでも手づかみで取れる。というわけで既に縄文時代から貝と一緒に採られて食用になっていたらしい。夏目漱石は自慢の髭をしごきながら「吾輩は猫である」なんぞに「始めて海鼠を食ひ出せる人は其胆力に於て敬すべく・・親鸞の再来」だなどと真面目な門徒が目を剥きそうなことを書いているが、別に胆力もクソもいらない、我々のご先祖は半裸体で波とたわむれながら時折海鼠を拾っては引き裂いて塩水でちゃぷちゃぷやって喜んで食っていたに違いない。日本人には有史以前からおなじみの海産物だったのである。だから海鼠は「古事記」にだってちゃんと登場している。

 天照大神に命じられて孫のニニギノミコトが高天原に降り立った時、付き従った女神天受売命(あまのうずめのみこと)は土地神の猿田彦命(さるだひこのみこと)を懐柔して道案内役にし、ニニギが各地を無事に通行できるようにしたのが、その大役を果たした後、今度は周囲の海を治めるために大小さまざまな魚類を呼び集めて「汝は天つ神の御子に仕へまつらむや」と問うた。もろもろの魚はこぞって「仕へまつらむ」と平伏したのだが、海鼠だけが返事をしない。怒ったアマノウズメは「この口や答へせぬ口」と言いながら、小刀で海鼠の口を切り裂いた。目も鼻も定かではない海鼠の口だけが裂けているのにはこういう理由があるのだと書いてある。しかし海鼠を見れば見るほど、この至極大人しい生き物にそれほど強烈なレジスタンス精神があるとは到底思われない。その時海鼠は寝起きだったかして、ただ物憂くて、お追従を言うのも億劫だと黙っていただけではなかろうか。さりながら、いつの時代でも一心凝り固まった女ほど恐いものは無い。なんだかよく分からなくてもこういう場合は取り敢えず「うむ、うむ」くらいは言って置いた方がいい。海鼠は数千年前にそれを身を以て証明した。

 食品としての海鼠は日本の特産である。中華料理にはフカヒレ、干しアワビと共に無くてはならない食材だが、江戸時代から今日に至るまで最高級品は日本からの輸出品である。いずれも天日にあてて干す。これによって蛋白質が変化して絶妙の味が湧いて来る。これらを「俵物(たわらもの・ひょうもつ)三品」と称し、幕府は私的売買を禁じて一括管理し、長崎貿易で大清帝国との交易の際の支払いに当てた。銀や銅の流出に頭を痛めていた幕府が、貨幣代わりに用いた貴重な品物だった。

 海鼠は大きいものだと四、五十センチあるが九〇%は水分だから、干すと大人の中指くらいの真っ黒な芋虫状態になる。これをじっくりとふやかして元の大きさに戻し、醤油、紹興酒、豆鼓、さまざまな香料の入った汁で煮含める。これをそのまま食べても旨いが、竹の子をはじめ各種野菜と一緒にしてとろみのある煮汁のからんだ旨煮もすこぶる良い。中華料理のメニューに「海参」としてあるのが海鼠である。海の人参とはうまいことを言ったものである。海鼠には朝鮮人参に含まれているサポニンをはじめとした滋養強壮成分が備わっており、古くから漢方薬としても珍重されていた。

 この干した海鼠のことを「煎海鼠(いりこ)」と言う。海鼠の内臓の塩辛が「海鼠腸(このわた)」、卵巣を広げて干したのが「海鼠子(このこ)」または「口子(くちこ)」である。いずれも「こ」という音が含まれているが、これはそもそも昔は海鼠のことを単に「こ」と呼んでいたためである。湯がいて干した海鼠だから「いりこ」、海鼠の腸だから「このわた」、海鼠の子供だから「このこ」と言うわけである。しかし日本人は生で食べるのがもっぱらだから「生のコ」。それがいつのまにか本名になって「なまこ」というのが流通するようになった。

 このわたは実に旨い。細い竹の筒にごく少量入って目の玉が飛び出るほどの値段がするが、ウニ、カラスミと共に「日本三大珍味」とされているのもむべなるかなと思う。「このこ」となるともう滅多にお目にかかれない。高級料亭の口取や本膳前の酒肴として出て来るが、ちょっとあぶったこのこを細く切ったものが小皿にちょろちょろと乗っている。口に入れるとほのかな磯の香りが広がり、なんとも言えない滋味が広がってくるが、土台ほんの少量だからあっと言う間に空っぽである。しかしまあこうした珍味は少量である所に奥ゆかしさがあるのだろう。

 このわたもこのこも旨い、中華料理の旨煮の海参も旨い。しかし、何と言っても海鼠は生きた奴を二つ割りの小口切りにして二杯酢で食うのが一番である。ようやく色づいた柚子の皮を削いで二三片乗せた酢海鼠の、こりこりした食感はこれはこれはという旨さである。このレシピは恐らく縄文時代とさして変わらない。縄文時代のご先祖だって、海鼠に濃い食塩水を振りかけ、酸味のある果実などを薬味に加えたに違いないと思うからである。奈良から平安時代、出雲国や能登国からは大和朝廷に海鼠を租税として納めたというから、天子様も殿上人も海鼠やこのわたで一杯やったのだろう。とにかく海鼠が出回るようになると、ああ冬が来たなあと思う。

 姿形はグロテスクだが、あまりにも無様な格好なので憎めない。海にいる時だって実に野放図で無防備である。同じ棘皮動物門の仲間であるウニなどは鋭いトゲで身体全体を蔽い、ヒトデは煮ても焼いても食えない固さである。ところが海鼠ときたら何ら武器は持たず、背中のいぼいぼだって柔らかくてなんのためについているのか分からない。よほど恐い目に遭った時には口と肛門から内臓を吐き出すが、これだって大した脅しにはならない。泥中のプランクトンくらいは食べているかもしれないが、目に見えるような虫や小魚など他の生物を補食するわけでもない。全くの平和主義、無抵抗主義である。食べても取り立てて個性を主張するような味ではない。そのくせ何とも言えない食感と旨味がある。こんなところが俳人の好みにぴったり合うのだろう、海鼠を詠んだ句には面白いものがたくさんある。


  生きながら一つに氷る海鼠かな     松尾 芭蕉
  尾頭のこころもとなき海鼠かな     向井 去来
  思ふこと言はぬさまなる生海鼠かな   与謝 蕪村
  憂きことを海月に語る海鼠かな     黒柳 召波
  渾沌をかりに名づけて海鼠かな     正岡 子規
  砂の中に海鼠の氷る小ささよ      河東碧梧桐
  腸ぬいてさあらぬさまの海鼠かな    阿波野青畝
  心萎えしとき箸逃ぐる海鼠かな     石田 波郷
  あぐる竿急や海鼠の突けたらし     五十嵐播水
  海鼠噛む亡父の生き方責められず    本土みよ治
  海鼠喰ふ私も進化しそこねて      笠間 圭子
  吹かれ来て海鼠の貌になつてをり    柴田 朱美

閉じる