炬燵に入って本を読んだり、テレビを見たりしながら、蜜柑の小房を含んで歯と舌でしごくと、甘酸っぱいひんやりした果汁が口中に広がる。のんびりとした正月休みの醍醐味である。今では果物屋や八百屋に山積みされて、割に安く売られているから、あまり有難みを感じないが、大げさに言えば、もし蜜柑というものが無かったら冬の茶の間はずいぶん淋しくなるだろう。第一あの色がいい。赤味のさした黄色の果実が籠に盛られて置かれているだけで、部屋に温みを感じる。
蜜柑と言えば誰でも思い浮かべるのがウンシュウミカンである。この品種が出回る江戸時代中期頃までは、和歌山地方の自生種の紀州蜜柑や九州のコウジミカンが甘くて美味しいと人気を博していた。しかしこれらの自生種のミカンは小粒で種があり、収穫量も劣っていたから、ウンシュウミカンが出回り始めるとあっさり王座を譲った。今では日本中で食べられている蜜柑のほぼ100パーセントがウンシュウになっている。
ウンシュウミカンは漢字で書けば温州蜜柑。中国浙江省の南部の都市温州は蜜柑の名産地としても名高い所なので、ここから渡来した種類だと勘違いされることが多いが、れっきとした日本原産の蜜柑である。今から四百年ほど前に、鹿児島県出水郡長島で偶然発見された実生の苗木が大本なのだという。甘味と酸味のバランスが良く、果汁もたっぷり含んでいるので、たちまち有名になり、九州、四国、紀伊半島、静岡、神奈川と日本列島を徐々に北上して、ついに全国制覇した。
しかし、日本生まれなのに何故「温州」などと中国の地名が被せられたのか、どうもよく分らない。多分それ以前の日本のミカンは中国温州産のものに敵うようなものが無くて、そこにこうした美味い品種が突然現れたので、「本場」の名前がくっついてしまったのではなかろうか。
日本国内だけではなく、ウンシュウミカンは諸外国にも輸出されている。オレンジと違って皮が剥きやすいから人気が高いという。ちなみに英語ではこの蜜柑をマンダリンと言うから、やはり中国原産と誤解している。その昔、列強が中国を侵略していた当時、温州あたりから蜜柑を盛んに積み出していたせいではないか。
それやこれやで、本場の温州蜜柑を一度食べたいものだと思っていたところへ浙江省を旅行する機会があり、ようやく念願の温州蜜柑を手に入れた。ところがそれは小粒でやたらに種が多く、甘味はかなり強いが、ただそれだけという感じであった。甘味と酸味が適度に重なる日本の温州蜜柑の方が断然優れていると思った。日本通の中国人も「蜜柑は日本の方がずっと美味しいですよ」と言っていた。
夏みかんやハッサクなどには種がずいぶん多いのに、ウンシュウにはどうして種がないのか。この蜜柑は5月に5センチほどの白色五弁の香しい花を咲かせるが、元来は南国の植物であるウンシュウにとって、本州辺の五月頃の気候は寒すぎる。そのため雄しべも雌しべも十分に成熟しないうちに受粉が行われてしまうことになり、種が出来ないのだという。時たま種があることがある。たぶん開花時期にとても暖かい日が続いていたか、低温にめげない強い雄花だったのだろう。
ミカンはインドから東南アジア一帯が原産地で、世界中に九百種類ほどあるという。日本にも古代から自生していて、約20種類の柑橘類がある。紫宸殿の「右近の橘」で有名なタチバナも蜜柑の仲間である。この果実はキンカンを少し大きくした程度で、酸味が強くあまり旨くない。柑(こうじ)というのも日本古来のミカンだが、やはり小粒で、酸味は少ないが甘味も薄い。その他、頭部が凸型に出っ張っているポンカン、大きなブンタン(ザボン)、ブンタンの交雑種のハッサク(春の季語)、橙(ダイダイ)、橙の仲間の夏みかん(夏の季語)、三宝柑、九年母、柚子(ユズ)、スダチなどが日本産あるいは古来日本にあるミカン類である。さらに外国からオレンジ、ネーブル、グレープフルーツ、レモンなどが入って来て、柑橘類は多士済々である。
江戸時代にも蜜柑という言葉は普通に使われていたが、さらにその昔は「タチバナ」というのが食用柑橘類の総称だったらしい。「和漢三才図会」には「太知波奈の和名は、橘類の総名也。……もっぱら果(菓子)とし、その皮を薬とす。すなわち蜜柑也。その実熟するときは蜜の如し。故に名づく」とある。
戦前の教科書に出ていた田道間守の話の非時香菓(ときじくのかくのこのみ)も橘とされている。垂仁天皇(第11代)に命じられ常世の国(海の彼方の不老不死の仙郷)へ蜜柑を採りに行った田道間守は、ようやく手に入れて10年後に戻って来たが、既に天皇は崩御された後だった。残念無念の田道間守は天皇陵に蜜柑を捧げ、そのまま悶死してしまったというのだが、これなどそれこそ南海の果ての温州蜜柑など、当時の日本では味わえなかった甘い果汁たっぷりの蜜柑を持ち帰った説話なのかも知れない。
蜜柑(温州蜜柑)は果実そのものも句に詠まれるが、「蜜柑山」や「蜜柑畑」として句に仕立てられることも多い。暖地の海沿いの斜面を利用して蜜柑畑が山の上まで続く。冬の青空の下で、つややかな緑の葉の間から鈴なりの橙黄色の蜜柑がのぞく光景は実に印象的である。
上々のみかん一山五文かな 小林一茶
ねむさうにむけるみかんが匂ふなり 長谷川春草
蜜柑山の中に村あり海もあり 藤後左右
をとめ今たべし蜜柑の香をまとひ 日野草城
死後も日向たのしむ墓か蜜柑山 篠田悌二郎
火を焚いて海に対へり蜜柑売 本宮銑太郎
叱るほか言葉を知らず蜜柑むく 木村蕪城
みかん黄にふと人生はあたたかし 高田風人子
吸ひこまれさうな空から蜜柑もぐ 山田幸代
水軍の島より蜜柑船出づる 坂本孝子