鮪(まぐろ)

 サバ科マグロ属の硬骨魚。マグロ(ホンマグロ、クロマグロ)、メバチ、キハダ、ビンナガ、ミナミマグロ、タイセイヨウマグロなどがある。それぞれ外形も肉質もかなり異なるのだが、一般にはすべて鮪として売られている。大き過ぎて魚屋の店頭に丸ごと並べられることはほとんど無く、切り身や刺身のサクになっているから、素人目にはどれが本当の鮪なのか分からない。

 外洋性の回遊魚で、ホンマグロは成長すると体長3メートル、体重400キロにもなる。背中は真黒で、腹側は灰白色に輝き、巨大な砲弾のような体躯は魚の王者の風格がある。非常な遠泳能力があり、生まれてから死ぬまで休むことなく泳ぎ通しである。日本近海で獲れたホンマグロとアメリカ西海岸のブルーフィンにそれぞれ標識をつけて放ったら、ブルーフィンが日本近海で捕まり、ホンマグロがカリフォルニア沖で獲れたという。これで両方とも同種の鮪と分かり、太平洋をひとまたぎする強者であることが証明された。

 ホンマグロは冷たい海水を好むらしく、冬場になると日本の沿岸に近づいて来るので、定置網で獲ったり、小型の鮪船で追いかけ銛で突いたりして獲る。ホンマグロの肉は赤味が鮮やかで、寒くなるとことに脂がのって旨くなるから冬の季語になっている。また日本近海に回遊して来るマグロは冬のホンマグロと夏場のキハダだけで、昔はマグロと言えばホンマグロを指したから、冬の季語になるのも当然であった。

 しかし近ごろは大型の鮪漁船がインド洋、太平洋、大西洋をくまなく回り、あらゆるマグロを獲っては運んで来るし、諸外国から航空便で輸入されるようにもなったから、鮪は1年中ある。これも冷凍技術が進歩したおかげである。1年中おいしい鮪が食べられるようになったのは嬉しいが、季節感は全く失われてしまった。

 とは言っても、日本近海で獲れるホンマグロはやはり冬場が最も美味であり、中でもトロと称する胸鰭の下の腹側のサクは絶品である。鮮紅色の中に脂肪が入って、舌の上でとろけるような感じである。脂が極端に多くて、白っぽい色をした大トロが人気だが、本当に美味しいのは身と脂が適度に調和した中トロであろう。とにかくこのトロの部分は100キロ以上の大物でも数キロしか取れないから、宝石並みの貴重品である。

 正月の魚市場の初競りでは近海物のホンマグロが目玉になる。乱獲が祟ったのか、環境変化のせいか、今ではあまり獲れなくなったし、少しばかり獲れたものは目の玉が飛び出るほどの値段で高級料亭に直行してしまう。庶民が気軽に口にすることは難しくなったが、新春風物詩の一コマとして新聞やテレビでこの初競りが取り上げられ、話題になる。こうして「鮪」は辛うじて冬の季語としての命脈を保っている。

 マグロは赤道付近の海域で産卵、孵化し、黒潮に乗って北上しながら成長する。桜の咲く頃から初夏、日本列島近海では幼魚が盛んに獲れる。体重7、8キロ以下のものをヨコワとかメジと言う。身が少し柔らかくて頼りない感じがするが、とれたてのものはとても旨い。初夏の頃、時にメジの大漁があり、かなり安く出回ることがある。

 一般に我々庶民が口にしているマグロの刺身は、多くはミナミマグロである。これは日本近海で獲れるホンマグロと外形も肉質もほとんど変らないが、厳密に言うと種類が異なり、ホンマグロとメバチの合の子のようなものらしい。インド洋のアフリカ東岸からオーストラリア海域まで広く分布しており、日本からの鮪漁船がほとんど1年中広い海域を経巡って、これを追い掛け回している。

 オーストラリア・タスマニア州ホバートはそうした船の寄港地になっており、乗組員の骨休めや交代などを行い、水や食料、燃料を補給してはまた出港して行く。1981年から85年にかけて、取材でホバートに時々出掛けたが、そこにあるカジノには鮪漁の日本の若者が連れ立って来ては威勢よく賭けまくっていた。当時、オーストラリアの漁師はマグロを獲る技術がほとんどなくて、沿岸部に寄って来る小物を獲るのがせいぜいだった。そんなやっかみも手伝って、日本人がマグロを根こそぎ獲ってしまうと問題にし始めた。オーストラリア政府は200海里の水域内でのマグロ漁を規制し、毎年、その漁獲高をめぐって日豪両国政府が丁々発止とやり合っていた。

 ミナミマグロもだんだん少なくなって、このまま獲り続けると絶滅の恐れがあるという。それやこれやで、マグロの養殖が熱心に行われるようになった。水槽では頭を壁にぶつけて死んでしまうから、稚魚を海上に網を張った養魚場で育てるのだそうである。最近ではかなり大きなものが出来るようになったという。

 江戸時代には鮪は下魚とされ、あまり好まれなかった。漁場も水揚げ港も遠く離れているから、江戸に来るまでに鮮度が落ちてしまう。塩漬けで運ばれたりしたから、まずかったのだろう。そんな鮪の美味しい食べ方がネギマである。近ごろはネギをはさんだ焼鳥をネギマなどと称しているが、正真正銘のものは葱に鮪と書いて「葱鮪(ねぎま)」。酒をかなりたっぷり入れた醤油味の出汁を張った鍋を火にかけ、沸騰してきたところへぶつ切りの葱と鮪の切り身を入れ、さっと煮えた熱々に粉山椒をぱらりと振って食べる。豆腐を入れても良い。引きかけた風邪など吹っ飛んでしまう。これが江戸後期から昭和に至るまで、庶民の冬の鍋として好まれた。鮪が高値になるにつれ、葱鮪も食膳から姿を消してしまったが、刺身にならないような尻尾に近いところの筋張った身でも、アラのようなものでも結構いける。

 ホンマグロ、ミナミマグロに比べるとやや味が劣るが、メバチという鮪も最近ではかなり幅を利かせている。体長2メートル程度で、ずんぐりむっくりして、目がやけに大きいのでこの名がついた。赤道付近の外洋を回遊している。やはり熱帯地方の海にいて、夏になると西日本まで上がって来る鰭が黄色いキハダも、夏場の鮪として特に関西地方では珍重されている。

 ビンナガは1メートル内外の小型の鮪で、胸鰭が非常に長く、これを広げて泳いでいるのが蜻蛉のようなのでトンボと呼ぶ地方もある。暖海性で東北地方以南の海を回遊している。肉はピンク色で美しく、とても旨そうに見えるが、刺身ではさっぱり旨くない。煮ると白っぽくなり、鳥肉とよく似た食感なのでシーチキンと呼ばれ、欧米人が大変好む。日本近海でかなり獲れたので、これを油漬けの缶詰にして欧米に輸出し、戦後の一時期は貴重な外貨獲得源となった。最近でもこれの缶詰がスーパーの目玉商品になったりしているところをみると、相変わらずかなり獲れるようだ。

 へミングウエーの小説「老人と海」に出て来る上顎が槍のように突き出たカジキも、時々カジキマグロと呼ばれ鮪の仲間にされている。しかし、これはカジキ科で鮪とは関係のない別種の魚である。


  若者は鮪と闘ふ網の海   山口誓子
  鮪またぎ老いのがにまた競りおとす   橋本多佳子
  手鉤かけ投げ出す鮪丸太めく   柴田白葉女
  剪定のごとく尾切られ鮪市   阿波野青畝
  此の岸の淋しさ鮪ぶち切らる   加倉井秋を
  新年は赤道直下と鮪船   吉井竹志
  ねぎま汁風邪のまなこのうちかすみ   下村槐太
  たれかれの話となりし葱鮪かな   斉藤優二郎

閉じる