熊(くま)

 ライオンや虎のいない日本では獣の王者は熊である。だから昔から熊は、ある時は神の使いと崇められ、またある時は悪魔の化身と恐れられた。

 「古事記」中巻の神武天皇東征のくだりに熊が登場する。兄の五瀬命と日向をたった神倭伊波礼比古命(神武天皇)の軍勢は筑前、安芸、備後を経て難波の湾から河内に上がり、大和を目指そうとするが、待ち受けていたナガスネヒコ軍と激戦の末、破れてしまい、兄五瀬の命は死んでしまう。退却を余儀なくされた神武軍は大阪湾を南下し、紀伊半島南部をぐるっと回って、三重県南部に上陸、熊野から山越えで奈良に入る大迂回作戦を取る。古事記の記述はこうなっている。「かれ神倭伊波礼比古命、其地より廻りいでまして、熊野の村に到りましし時に、大きなる熊草より出で入りてすなはち失せぬ。ここに命にはかにをえまし、また御軍も皆をえて伏しき。この時に熊野の高倉下、一太刀をもちて天つ神の御子の伏せる地に到りてたてまつる時に、天つ神の御子、すなはち覚め起ちて、長寝しつるかもと詔りたまひき。かれその太刀を受け取りたまふ時に、その熊野の山の荒ぶる神おのづからみな切りたふさえき」。  熊野の山道で突然草むらから熊が出現し、消えた。それを見た神武天皇は急に目まいがして昏倒してしまい、軍勢も全員倒れ伏した。その時、熊野のタカクラジという族長が一本の名剣を献上、病の癒えた神武はその名剣を振るって立ちはだかっていた荒ぶる神々を切り倒したというのである。ここでは「熊」は明らかに荒ぶる神の象徴である。

 古事記の時代から20世紀の現代まで、熊は日本人にとって意外に身近な存在だった。国内各地にある熊野権現はそもそも熊の神だったのだとも、権現樣のお使いが熊なのだとも言われているし、東北地方の狩猟民マタギや北海道のアイヌは熊を獲物としながらも、一方では神の使いとして崇めていた。熊の胆と言えば江戸時代からつい最近まで貴重で高価な高貴薬だったし、熊皮はお大尽の座敷には無くてはならないものであった。古典落語にこんな話がある。八っつあんが出入りの大店に挨拶に行き、敷かれてある熊の毛皮に座って、何と言うべきかもじもじ毛皮をまさぐっているうちに、「あ、女房がよろしくと申して居りやした」。

 熊はアジア、ヨーロッパ、南北アメリカ大陸、北極に分布している。日本には北海道にヒグマ、本州と四国にツキノワグマが棲息している。九州では第2次大戦後の捕獲例が無く、絶滅視されている。熊は食肉類に分類されているが雑食性で、植物の根や新芽、果実、昆虫、魚などを食べている。

 冬になるとヒグマもツキノワグマも大木の樹洞や地中に穴を掘って冬籠もりし、雌はこの期間中に出産する。この冬籠もりの間はまったく外へ出ず、何も食べずにじっとしている。だから秋には冬籠もり期間中の栄養を十分蓄えるために、コナラやミズナラ、カシ、クヌギなどドングリの生る山林を精力的に歩き回り、猛烈に食べる。ヒグマが河で鮭を一生懸命に獲るのもこの頃である。しかし最近は本州も北海道も開発が進み、熊の好物の木の実を生らせる雑木林が伐られて杉林になったり、高速道路が通ったり、スキー場などのレジャー施設やホテルが建つなどして、熊の住み処がだんだん狭まってきた。

 しかたがないから熊は人里に降りて来る。そこには畑があり、果樹園がある。場合によっては大好物の蜂蜜をいっぱい溜めた養蜂場もある。こういうものを発見した熊は、自然の動植物を苦心して探すよりはずっと楽に腹をふくらませることができるから、何度でも出て来るようになる。ヒグマですら普段は滅多に人間を襲うことをしない動物なのだが、こういう人ずれした熊は出合い頭に人に遭ったりすると襲って来る。これで熊は「害獣」とされ、年間1500頭以上が撃たれて死んでいく。この他に、古来から主として山岳狩猟民の最大の獲物として春先に冬籠もりの穴から出てきたところを撃つ巻狩り、雪の中で穴籠りの熊を捕る穴熊撃ちなどが行われてきた。毛皮は上等な敷物に、胆嚢は「熊の胆」として高値で売れ、肉は干したり薫製にしたりして保存食になる。山の民にとって熊は大切な生き物だったのである。

 「熊」とだけ言えば冬の季語であるが、熊の習性である冬の穴籠りと春先に出て来るさまが季節を感じさせるところから、「熊穴に入る」が冬の、「熊穴を出づ」が春の季語として立てられている。熊の句はあまり多くはないが、昔のものは狩猟風景、最近のものは動物園の熊を詠んだものが目につくのも時代の変化というものであろう。


  熊撃てばさながら大樹倒れけり   松根東洋城
  五六日狙うて熊を斃しけり   野村 喜舟
  雌の熊の皮やさしけれ雄とあれば   山口 誓子
  人とりし熊に鐘うつ人数かな   吉岡禅寺洞
  仔を連れてゆるやかに行く熊を見し   佐藤漾人
  檻洗ふ間も熊の仔はもの食めり   田村 了咲
  生くることしんじつわびし熊を見る   安住敦
  羆見て来し夜大きな湯にひとり   本宮銑太郎
  校庭を熊が眺めてゐたりちふ   相生垣瓜人
  熊の前大きな父でありたしよ   横溝 養三

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