小春(こはる)

 陰暦10月の異称で、小六月とも言う。現在の太陽暦では11月半ばから12月上旬に当る。この頃になると気圧配置も冬型になって、木枯しが吹いたり時雨が降ったりして、寒い日が多くなる。そうした寒さの後に、きれいな青空の下、ぽかぽかした陽気の日がふと訪れる。日本列島が移動性高気圧にすっぽりと覆われるための現象で、まるで春になったような感じである。それを昔の人は小春日和、小春日、あるいは単に小春と言った。

 昔の日本は暖房設備といっても、火鉢に囲炉裏、炬燵とまことに頼りないものしか無かった。しかも冬の寒さは今よりかなり厳しかった。いよいよ冬本番という心細い時季に、ふっと2、3日、よく晴れた暖かい日に恵まれると、何だかとても幸せな気分になったのであろう、「小春日和だ」と言って喜んだ。俳句では「小春空」「小春凪(こはるなぎ)」という使い方もある。

 6世紀半ば中国・揚子江中流域にあった粱という国の大官宗懍(そうりん)が書いた「荊楚歳時記」の10月の項には、「天気和暖にして春に似たり。故に小春と曰う」とある。荊楚歳時記は奈良時代の初めに日本にもたらされ、朝廷が年中行事や祭祀、農事などを記す書物を編纂する機運を作ったと言われている。さらに時代が下るに従って、この本は民間の知識人にも大きな影響を与え、日本でもこれに倣って歳時記(今日の俳句歳時記とは異なり、暦の解説書と言った方がよいものだが)が作られるようになった。そうしたことを考慮すると、「小春」という言葉そのものも中国からの輸入で、昔は「しょうしゅん」と呼んでいたのかも知れない。

 外国でも初冬にこういう日和になることがあって、北米ではインディアンサマーと言い、イギリスではサンマルティンズサマーとかセントルークスサマーなどと呼ぶようである。筆者がまだ会社勤務をしていた90年代のことだが、スタッフの若いアメリカ人に「近ごろ君の国ではインディアンというのは差別用語として使えなくなったそうだから、こういう良いお天気を言う言葉を失ったね」とからかったら、苦笑していた。そして彼は、差別用語云々は別として、近ごろはインディアンサマーというような詩的な言葉そのものが使われなくなった、と言っていた。アメリカも日本も同じで、合理化、効率化一辺倒の社会では言葉はだんだんやせ細ってゆく。

 そう言われてみれば、日本でも若い人には「小春」という言葉はなじみが薄いようである。もう孫がいるという団塊世代だってこの言葉を知らない人がいる。中には懐メロ演歌の「ぐーちぃも言わずにニョーボのコハルぅ……」から人名だと思い込んでいる輩もいる。そのせいか、1月や2月になって不意に暖かい日があったりすると「小春日和ですねえ」などと言う人が出て来る。

 しかしいやしくも俳句をたしなむ人は季節の変化にも言葉にも敏感だから、こういう間違いは犯さない。冬になったのにまるで春のような天気に恵まれると、「ああ小春日和だなあ」とつぶやきながら麗らかな日差に身をまかせ、「帰り花」にでも巡り合えないかとそぞろ歩きしたりする。ただし敏感だと思っているのは自分だけで、端の人からは「ああまたハイカイ老人がふらふらしている」などと気の毒がられているのかも知れない。


  古家のゆがみを直す小春かな   与謝蕪村
  立ち出でて鶏の雛見る小春かな   加舎白雄
  海の音一日遠き小春かな   加藤暁台
  草山の重なり合へる小春かな   夏目漱石
  先生と話して居れば小春かな   寺田寅彦
  玉の如き小春日和を授かりし   松本たかし
  小春日や石を噛みゐる赤蜻蛉   村上鬼城
  山内にひとつ淫祠や小六月   川端茅舎
  小春日や生毛まみれの虻とあり   野澤節子
  水兵の腕の刺青小六月   楠本莞爾

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