見渡す限り草木も枯れた蕭条たる冬の野原を指す、古くからの季題である。古今集、新古今集にも枯野を詠んだ歌が多い。連句、俳諧もその伝統を受け継いで「さびしい景色、侘びしくかなしい心持ち」を詠む句材とされてきた。
その一方で、全てが枯れてしまった野原は視界が開けてかえって明るく感じたりもする。虫も鳴くのを止めてしまったから、あたりは静寂が支配し、淋しいというよりは凡愚にさえ悟りがひらけるような景色でもある。こんなところから俳句では、枯野の明るさを詠んだものが目につくし、思い切った素材を取り合わせて効果を上げている例も多い。蕪村の『大とこの糞ひりおはす枯野かな』などはその好例であろう。『四ツ谷から馬糞のつづく枯野かな 青峨』という句もある。江戸時代半ば頃は四ツ谷見附を出外れれば新宿までの道筋の両側には枯野が広がっていたようである。
しかし何と言っても「枯野」のイメージを決定づけた句は芭蕉の『旅に病んで夢は枯野をかけ廻る』であろう。辞世の句という背景を知らなくても、一生を俳句という風狂の道に捧げた詩人の心意気が伝わってくるし、壮絶な感じも受ける。近代俳句で枯野と言えば必ず取り上げられるのが、虚子の『遠山に日の当りたる枯野かな』である。枯野と日との取り合わせは古くからあり、蕪村に『蕭条として石に日の入る枯野かな』、蕪村と同時代の堀麦水に『よわよわと日の行とどく枯野かな』がある。二つとも実に味わい深い名句だと思うが、虚子の句は遠山に当る日をもってきたことで目の届く限りの枯野という大きな光景を描き出したところに良さがあると言えよう。
枯野とよく似た季語に「冬野」がある。これも荒涼たる冬の野原ではあるが、「枯れた野原」だけではなしに雪をかぶった野をも言い、もっと一般的に田畑や家屋なども含め、「冬」の感じを際立たせた野原を指すとされている。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る 松尾芭蕉
蕭条として石に日の入る枯野かな 与謝蕪村
戸口までづいと枯れ込む野原かな 小林一茶
吾が影の吹かれて長き枯野かな 夏目漱石
遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
いづこ迄臼こかし行く枯野かな 渡辺水巴
枯野はも縁の下までつづきをり 久保田万太郎
土手を外れ枯野の犬となりゆけり 山口誓子
枯野行き橋渡りまた枯野行く 富安風生
わが汽車の汽罐車見えて枯野行く 山口波津女