寒(かん)

 二十四節気の小寒、大寒合せての30日を「寒」あるいは「寒の内」「寒中」という。旧暦では12月が寒の月で、それが明けると立春、初春になった。

 現在のカレンダーでは、1月5日か6日が「寒の入り」で、小寒が15日あって、1月21日頃に大寒に入る。これも約15日あり、2月4日頃が冬と春との季節の分かれ目である「節分」、翌日が「寒明け」「立春」となる。

 旧暦では「正月」とか「元旦」「三が日」「七草」などは「初春」「新春」であり、当然のことながら春の季語であった。ところが、新暦の正月は寒中であり、冬の真っただ中ということになる。このように新暦では冬の最中に「お正月」という春が入り込み、ふたたび冬に戻って厳寒の候というややこしいことになる。仕方がないから今日の歳時記は「新年」という特別の項目を付録のようにくっつけている。

 とにかく正月休みが明けたこの寒の頃が最も寒さが厳しく、昔の人たちは風邪など引かぬよう身構えた。火鉢に行火(あんか)、せいぜい炬燵くらいしかなかった昔、この寒の内の寒さはよほど身にこたえるものだったに相違ない。

 芭蕉には「から鮭も空也の痩せも寒の内」(猿蓑)という名句がある。乾鮭というのは鮭をつるしてからからに干した干物で、寒中の栄養補給食品つまり「薬食い」とされたものである。乾鮭は干からびていかにも寒々しい形をしている。空也は空也僧のことで、寒中に念仏を唱えながら家々を托鉢して回り喜捨を乞う行者。これまたやせ細って寒々しい。我々現代人にはこの句を一読してもぴんと来ないところがあるが、「寒」をうたうのに乾鮭と空也念仏僧という取り合わせは、当時の人々にとっては思わず「寒い」と唸るものであったに違いない。

 寒に入って4日目を「寒四郎」、9日目を「寒九」と呼び、「寒の入り」の日とともに、小豆入りの餅を食べたり、身体が温まるような汁物や燗酒を飲んだりする風習が各地にあった。これらも風邪を引かぬよう気を引き締めるための儀式の一つであろう。

 この寒中に汲む水には霊力があると尊ばれ、「寒の水」として珍重された。寒九に汲んだ水は特に「寒九の水」と言い、薬として飲まれた。

 一方、寒い寒いと縮こまってばかりいては身体がやわになるという考え方もあって、この頃にわざと寒気に身をさらすこともした。「寒稽古」である。柔道、剣道、弓術などで盛んに行われたが、最近は洋風のスポーツでも行われている。また、長唄や常磐津、浪曲などでは「寒復習(かんざらい)」とか「寒声(かんごえ)」と言って、寒中に猛烈な稽古を行うことが良い声を出すようになる秘訣とされた。同じように義太夫や長唄などの三味線の修業には「寒弾(かんびき)」があり、古式泳法の「寒中水泳」、相撲の稽古に「寒取(かんどり)」などと言う呼び方もある。

 さらに寒中に社寺に詣でる「寒参」、さらにそこで水を浴びたり滝に打たれたりして神仏に祈る「寒垢離」というのもある。江戸時代には縁ある家々を回り、訪問先の門口や庭先で水を浴びては一家中の健康と家内安全、自らの無病息災を祈る寒垢離の風習もあったようで、蕪村には「寒垢離や上の町まで来たりけり」という句がある。こんなものに次々やって来られては大きな迷惑で、明治になって文明開化が叫ばれるようになるにつれ、この風習は影をひそめた。

 厳しい寒気を生産面に積極的に利用することも行われた。「寒晒」というのは、寒中に米の粉や葛粉を水に浸けては木箱などに入れて凍らせながら乾燥する製法である。こうすると上質な澱粉が取れる。もち米の粉をこうした方法で晒した最上の製品が白玉粉である。「寒造」は言うまでもなく寒中に醸造する酒で、味もよく貯蔵のきく酒が出来ると言われてきた。高野豆腐(凍豆腐)、寒天作りも寒中の作業だし、寒餅、寒糊、寒紅など寒中に作ったものが極上品とされた。

 また、農家では果樹の根元に肥料を埋め込んだり、蔬菜の畝間にこやしをやる「寒肥」、田や畑を鋤き返し土塊を霜にさらして病虫害を防ぐ「寒耕(冬耕)」が欠かせない作業であった。

 今日では住宅は完全暖房、農業は機械化、化学肥料と農薬が行き渡り、食品産業は工場内で機械生産がもっぱらというわけで、昔の「寒中」の風景が珍しいものになってしまっている。とは言え、寒はやはり寒さ一入で、現代人といえどもやはりそれ相応に身の引き締まる思いをする。


  うす壁にづんづと寒の入りにけり   小林一茶
  一切の行蔵寒にある思ひ   高浜虚子
  ひたひたと寒九の水や厨甕   飯田蛇笏
  きびきびと応ふる寒に入りにけり   松本たかし
  小寒や枯草に舞ふうすほこり   長谷川春草
  大寒の一戸もかくれなき故郷   飯田龍太
  帰り来て駅より低き寒の街   石田波郷
  十一面観音菩薩寒埃   松澤昭
  棒をもて叩けば固し寒の石   高室呉龍
  寒四郎溜息橋をひき返す   加古宋也

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