牡蠣は日本中の海岸の岩礁にいる。ハマグリや帆立貝のようにあちこち移動せず、稚貝が岩場にへばりつくと一生をそこで過ごす一所定住の貝だから獲りやすい。それに何よりすこぶる美味だから、太古から重要な蛋白源として日本人に愛されてきた。縄文時代の貝塚からはアサリやハマグリなどと共に、牡蠣の貝殻がたくさん出て来る。
江戸時代には東京湾の至る所で獲れたようで、元禄時代(1600年代末)の食物事典「本朝食鑑」には「江都の魚市にひさぐところのもの永代島江上にこれをとる、牡蠣大にして味もまた佳なり」と書かれているから、隅田川河口付近でとったものを食べていたらしい。
牡蠣はイタボガキ科に属する二枚貝で、細長い三角形の貝殻の片方は底が深くなっており、こちら側で岩などにへばりついている。もう片方はやや平べったくて、いわば蓋のようになっている。
岩にくっついている牡蠣を特殊な金具でこそげとるのを「牡蠣打ち」と言った。しかし昭和に入って牡蠣の養殖が盛んになるにつれ、天然牡蠣を獲ることがまれになったから、もっぱら水揚げした養殖牡蠣の殻をむいて剥き身にすることを牡蠣打ち、その場所を牡蠣打ち場、その作業を行う女性を「打ち娘(こ)」と言うようになった。だが最近では若い娘さんがこんな辛気臭い労働を嫌がって寄り付かなくなったために、どの産地も「打ち婆」ばかりになっているようである。
牡蠣の名産地と言われる場所は数多いが、中でも広島湾、松島湾、志摩半島、有明海、佐渡、能登などが有名である。ほとんどが養殖の真牡蠣だが、板甫(いたぼ)牡蠣や有明海の住江牡蠣、北海道の蝦夷牡蠣などがある。
牡蠣の料理はいろいろあるが、取り立ての牡蠣を剥いて酢醤油で食べる酢牡蠣がもっとも旨い。近ごろは西洋流の食べ方である殻付きの生牡蠣にレモン汁を絞りかけ、好みでタバスコをたらして食べるオイスター・レモンが一世を風靡している。確かにこの食べ方が牡蠣の持つ旨さを一番生かしているようではある。
しかしちょっと熱を通すと、牡蠣の持つ豊醇な味わいが一段と増す。産地の牡蠣打ち場で大粒のものを剥いて片貝にしたものを仕入れ、海岸のしかるべき場所で火をおこして直火で炙る。じゅくじゅく焼けてきたところに醤油を一たらしして、熱々を頬張る。これは最高の美味である。もちろん酔心や浦霞を持参しての上でのことである。「海岸にしかるべき場所」を見つけることが難しくなった昨今は、代りに松島でも安芸の宮島でもどこでも、この焼き牡蠣の屋台がめったやたらに出ているから安直に楽しめるようになった。
牡蠣鍋もとても美味しい。牡蠣鍋を一名「土手鍋」とも言うが、これは土鍋のヘリに味噌を土手のように盛り上げて塗り、その真ん中で牡蠣や豆腐や野菜を煮ているうちに回りの味噌がだんだんと溶け出して絶妙な味になってゆくところから名付けられたようである。
味噌を使わずに、土鍋に日本酒を入れ沸騰したところに、新鮮な牡蠣と豆腐、水菜を入れ、火が通ったなと思った途端にしゃくい上げて、ポン酢醤油と薬味葱を入れた小鉢に取って食べる。これは牡蠣が新鮮であることが絶対条件だが、土手鍋よりは数段上の牡蠣鍋である。ただしこの鍋は下戸には向かない。湯気をかいでいるうちに気持が悪くなってしまう人さえいる。また日本酒だけでは少しくどい感じと言う人もいる。そういう人のために、酒と出汁を半々にしたものでやると良い。この場合は生醤油を少々入れる。
牡蠣飯、牡蠣雑炊、牡蠣フライもそれぞれ牡蠣の持つ千変万化の旨さを引き出している。フライの場合は大粒が好ましいが、牡蠣飯の場合は小粒でも問題はない。もちろん新鮮な牡蠣に越したことはないが、「調理用」というラベルの、安いものでも結構美味しい牡蠣飯ができる。これも米と一緒に炊いてしまっては牡蠣がぼろぼろになってしまう。まず牡蠣を酒と醤油とほんの少々の味醂でさっと煮る。煮えた牡蠣は別にとっておいて、煮汁を漉して(時には牡蠣殻が紛れ込んでいることがあるので)、それを研いだ米に混ぜ水加減をしてご飯を炊く。電気釜がぷーっと吹いて蒸らしの段階に入るという時に、蓋を開けて煮ておいた牡蠣を放り込み、素早く蓋を閉める。こうして出来上がった牡蠣飯を茶碗によそって、揉み海苔と刻んだ三つ葉をぱらぱらと振りかける。この牡蠣飯は美味しいから、普段の倍のお米を炊かないと、「もう無いの」と恨み言を言われる。
牡蠣が余分に手に入った時には、牡蠣飯の牡蠣を煮るのより少し濃いめの味付けをして、煮汁が少なくなった頃合いに粒山椒(これも最近はデパートの食品売場にある)を入れて、煮汁が無くなるまで煮込む(煎り煮)。つまり牡蠣の佃煮だが、これは上等の酒の肴になり、お茶漬けの友にも絶好である。
最近はあまり行われなくなったが、昔は「煎り牡蠣」という料理が盛んだった。料理というほどのことはなく、剥き身の牡蠣を酒と塩、場合によっては砂糖と醤油をちょっぴり入れて煎り煮したものである。七輪に浅い鍋を据えて牡蠣を煎りつけながら、丁度今の我々が焼肉でもつつくように食べるようなこともしていたらしい。江戸時代はそれこそ江戸前の牡蠣が豊富に手に入ったからどこの家庭でも煎り牡蠣をしたようで、アサリやハマグリなどよりちょっと気の利いた上等なおかずとして喜ばれた。だから俳句にも詠まれ、「煎蠣に軒の松風うたふ也 暁台」「煎蠣の跡しら雪となりにけり 暁台」「煎蠣に咲くや此花蕗の薹 几董」「煎り蠣やひとり臥す夜の小紫 蓼太」などたくさんある。
牡蠣は栄養価に優れ「海のミルク」とも言われている。確かにビタミンA、B群を豊富に含み、肝臓の働きを活発にするグリコーゲンが多いという。牡蠣の蛋白質にはグルタミン酸、システィン、タウリンなどのアミノ酸類が他の食物に比べて多く、これらが身体の中の毒素を分解してくれるのだともいう。酒飲みに牡蠣の好きな人が多いのは、牡蠣が酒の毒を消してくれる要素を持っていることを身体が感じ取るせいであろうか。
牡蠣は日本人が好むばかりではない。世界中の人が大昔から大好物としている。ジュリアス・シーザーは牡蠣が大好きで、この頃にはもうローマ帝国では牡蠣の初歩的な養殖が行われていたという。ナポレオンは戦場にも牡蠣を運ばせたというし、ドイツ統一を果たした鉄血宰相ビスマルク(1815─1898)は一度に175個の生牡蠣を食べたというエピソードを残している。
西洋で牡蠣が大好きな国民と言えば、イギリス人とフランス人であろう。巴里ではクリスマスの前後、曲げ物の籠に詰めた牡蠣とボジョレヌーボーを下げた人たちが町を行き交うのを眼にする。一家団欒、牡蠣とワインを楽しむのが習慣になっているようだ。ロンドンには至る所にオイスターバーがある。いろいろな種類の牡蠣が並べられており、客は好みの牡蠣を注文し生のオイスターレモンで食べたり、チーズ焼きにしてもらったりしながら一杯やるのが、秋から春にかけての、特に陰鬱な冬の楽しみとなっている。これが大英帝国の植民地に伝わり、今ではアメリカやオーストラリアをはじめ世界各地の都市にオイスターバーが開かれている。
西洋では「Rのつかない月の牡蠣は食べるな」ということが言われている。日本でも古来「花見過ぎの牡蠣は食ふな」と言われてきた。牡蠣の産卵期は5、6月で、そのため春から夏にかけては生殖巣が熟し、身が細る。食べてまずいばかりではなく、中毒も起しやすい。それでこういうことが言われたのであろう。もっとも山陰、北陸、三陸や北海道の厚岸湾などで採れる岩牡蠣は夏牡蠣とも呼ばれ、晩春から秋までが旨い。
牡蠣は初夏から秋にかけての生殖が終わると、雄と雌の区別がなくなって中性化する。次の繁殖期を迎える春が来ると、中性の牡蠣が雄と雌に分かれて、再び精子、卵子を産むようになる。この時、雄になるか、雌になるかは前年に得た餌の量によるのだという。岩に張り付いたままの牡蠣はエサも波任せである。波間を漂って来る餌をうまく捕食できて栄養を十分に蓄えた個体は雌になり、栄養不良が雄になるのだそうである。若くて未熟なために、外套膜で餌をうまく捕食できない個体は雄になる割合が多いという。
人間は生まれた時から雄雌がはっきりしているけれど、最近の日本の若者たちの生態を見ていると、若い雄は実に頼りなくて、自分一人ではろくに餌も採れない感じである。逆に若い牝は実に元気である。なんとなく人間が牡蠣に似てきたようにも思える。
平成18年の冬、突如としてノロウイルス感染症が流行し、老人ホームなどで猛烈な下痢や嘔吐をする患者が続出した。その原因は牡蠣だという噂が流れて、いっぺんに牡蠣が売れなくなってしまった。確かに牡蠣は傷みやすく、それに新鮮なものでも体内にウイルスや菌を持っていることがあるから、生牡蠣を食べ過ぎたりすると中毒を起こす。しかし熱を通せば安全であり、それにそもそも確たる証拠も無しに「牡蠣が元凶」と決めつけるのは乱暴な話である。これでは牡蠣も浮かばれまいと、神経質になっている我が家の山の神には内緒で、外食時には常の年よりもたくさん牡蠣を食べた。この年は牡蠣蕎麦、牡蠣フライなど、いつもより良質の牡蠣が安く食べられて、幸せな気分になった。
牡蠣あるいは牡蛎と書いて「かき」と読んでいるが、本来は「蠣(れい)」一字でカキを意味する。わざわざ「牡」という字をつけたのは、冬場に採取する牡蠣がどれもこれも雄ばかりだったからだという説がある。江戸時代の「滑稽雑談」という本にも「およそ蠣は石に付きて一所にありて動かず、ゆゑに牝牡の道なし、子を生まず、ゆゑに牡蠣といふ」とある。男女間で行われるべきことが行われないから子が生まれないという話しの持って行き方は分かるが、だからすべて牡なのだというのはどういうわけか。まことに一方的な結論である。ぷっくりとふくらんで、滋味豊かな牡蠣は、どちらかと言えばすべて牝とした方がいいような気がするのだが。
呉線の小さき町も牡蠣の浦 富安風生
日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ 島田青峰
牡蠣筏雨に打たれて相寄れり 佐野青陽人
牡蠣食へば妻はさびしき顔と云ふ 杉山岳陽
牡蠣食へり重たき肩を起しては 石田波郷
雲の上を雲光りゆく牡蠣筏 高樹旭子
牡蠣といふなまめくものを啜りけり 上田五千石
亡き友も五指に余るや牡蠣すする 本多静江
風邪熱の解けし夕餉の牡蠣の味 江口竹亭
牡蠣に酢を注ぎ明るき地中海 佐川広治