火の番(ひのばん)

 暖房のための火の気を絶やさない冬の夜は、何もかも乾燥し切っていることもあって火事が多い。昔は木造建築ばかりだったから、一旦火事になるとあっと言う間に燃え広がり、手がつけられなくなる。私が新聞記者になりたての昭和30年代半ば、東京は下町も山の手も火事が頻繁に発生し、泊まり番の仕事は深夜の火事場取材と決まっていた。

 不謹慎な話だが、そうした取材の最中、火事は美しいものだなとつくづく感じ入った。美し過ぎて怖いのである。火勢が強まるとごーっと音を立てて火柱が噴き上がる。消防の筒先がそこを目がけて一斉放水する。火は一旦鎮まるが、数呼吸のうちにその横手からまた噴き上がる。そうなるともう手がつけられないから、そこは燃えるにまかせ、延焼防止のために両隣の家屋にじゃんじゃん水を掛ける。炎の色は赤、紅、オレンジと千変万化し、最高潮に達したところは透き通った感じである。

 何も腕章を巻いた火事場取材だからと言って、そんなに近くまで行かなくてもいいのである。むしろ、数10メートル離れた所に止っている指令車の所にへばりついていた方がよほど確かな情報が得られる。けれども火というものは不思議な力を持っていて、知らず知らず引き寄せられてしまう。火勢で顔も身体も熱くなり、思わず興奮しているのだ。火を見て恍惚となり、また火事が見たいと火をつける放火犯の気持が分かるような気がした。

 東京の冬は空っ風が吹き、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われてきたくらいだから、冬場に火事は付き物だったのである。そんなことから江戸時代から昭和四十年代の初め頃までは、どこの町内でも数人が固まって拍子木を叩き「火の用心さっさりましょう」と大声を上げながら夜の町を練り歩いた。

 各町とも火の番小屋を設え、各戸から人を出してはそこに詰める。アミダ籤か何かで順番を決め、手分けして町内を巡回する。江戸時代は昭和とは違って放水器具など粗末なものしか無く、火事となればすぐに燃え広がってしまう。そのため火事には非常に神経質で、火の番も常設、専門の夜回りを雇う町も少なくなかった。鳶の頭が先頭に立って、火事装束に身を包み、金棒を引きながら拍子木、太鼓まで打ち鳴らしつつ巡回する大掛かりな火の番もあったという。

 とにかくどの家も義務として火の番を出さねばならなかったから、下町では商家の番頭手代や職人などが昼の仕事を終えて集って来る。寒い中を一回りして番小屋に戻って来ると、渋茶を啜っているだけではおさまらず、つい一杯ということになり、中には山鯨などを持ち込んで鍋をこしらえたりする奴まで出て来る。「なんでえ、今夜はやけに犬が吼えていやがる。猪肉の匂いを嗅ぎつけやがったのか、さっきからしきりにバン、バンと唸ってるじゃねえか」「おいおい、ありゃ犬じゃねえぜ、見回りのお役人だ」と大騒ぎになる、おなじみの古典落語「二番煎じ」の光景があちこちで出現した。

 火事は恐ろしいから、こうして火の番をやるわけだが、何しろ寒くて億劫だ。しかし、こうして町内の面々が番小屋に顔を揃えて、世間話に花を咲かせるのも悪いことではない。互いに日銭稼ぎに追われて疎遠になりがちなところに潤滑油を注ぐ、絶好の機会ともなる。火の番にはこんな効用もあったようである。

 昭和40年代も半ばを過ぎると、町筋には耐火建築の家やビルが建ち並ぶようになり、暖房も炭や炭団、練炭、石炭、石油など直火のものから徐々に電気ストーブや電気炬燵、エアコンなどに切り替わり、冬場の火事がめっきり減った。町中から火の見櫓というものが無くなり、それとともに火の番、火の用心も姿を消した。

 それがここ数年、また火の番が盛んになり始めた。これは防火意識を高めようというのもさることながら、防犯対策の意味合いが濃いようである。何しろここ数年、夜間の泥棒や痴漢の出没が激しくなっている。火事を見て喜悦を感じる放火犯も、コンクリートの四角い箱では火のつけようがない。それよりは、寒空にこれ見よがしに太ももやヘソまで出して平気で歩いている思考能力不全娘を脅かした方が面白いと考えたのかも知れない。

 とにかく絶滅しかけた「火の番」という季語がまた息を吹き返した。「火の用心」「夜回り」「夜警」などとも詠まれ、「火の番小屋」「夜番小屋」「番屋」なども季語になっている。また寒夜に打つ拍子木の音はカーンカーンとよく響き、聞く者にそぞろ郷愁を覚えさせるところがあるせいであろう、「寒柝(かんたく)」という季語もあって、昔からよく詠まれている。


  火の番の障子に太き影法師   高浜虚子
  水枕中を寒柝うち通る   山口誓子
  音こぼしこぼし寒柝地の涯へ   西東三鬼
  跫音の老いしと思ふ夜番かな   西島麦南
  寒柝を打てば星屑こぼれつぐ   相生垣瓜人
  天主堂めぐる寒柝ねんごろに   朝倉和江
  風の夜の火の番近しすぐ遠し   猪俣千代子
  火の番にあたたかき夜のつづきをり   岡本眸
  寒柝や話のこして帰る友   金指まもる
  夜回りに犬の鳴き声続きけり   野間泰子

火の番(ひのばん)

 暖房のための火の気を絶やさない冬の夜は、何もかも乾燥し

切っていることもあって火事が多い。昔は木造建築ばかりだっ

たから、一旦火事になるとあっと言う間に燃え広がり、手がつ

けられなくなる。私が新聞記者になりたての昭和30年代半ば、

東京は下町も山の手も火事が頻繁に発生し、泊まり番の仕事は

深夜の火事場取材と決まっていた。

 不謹慎な話だが、そうした取材の最中、火事は美しいものだ

なとつくづく感じ入った。美し過ぎて怖いのである。火勢が強

まるとごーっと音を立てて火柱が噴き上がる。消防の筒先がそ

こを目がけて一斉放水する。火は一旦鎮まるが、数呼吸のうち

にその横手からまた噴き上がる。そうなるともう手がつけられ

ないから、そこは燃えるにまかせ、延焼防止のために両隣の家

屋にじゃんじゃん水を掛ける。炎の色は赤、紅、オレンジと千

変万化し、最高潮に達したところは透き通った感じである。

 何も腕章を巻いた火事場取材だからと言って、そんなに近く

まで行かなくてもいいのである。むしろ、数10メートル離れた

所に止っている指令車の所にへばりついていた方がよほど確か

な情報が得られる。けれども火というものは不思議な力を持っ

ていて、知らず知らず引き寄せられてしまう。火勢で顔も身体

も熱くなり、思わず興奮しているのだ。火を見て恍惚となり、

また火事が見たいと火をつける放火犯の気持が分かるような気

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がした。

 東京の冬は空っ風が吹き、「火事と喧嘩は江戸の華」と言わ

れてきたくらいだから、冬場に火事は付き物だったのである。

そんなことから江戸時代から昭和四十年代の初め頃までは、ど

この町内でも数人が固まって拍子木を叩き「火の用心さっさり

ましょう」と大声を上げながら夜の町を練り歩いた。

 各町とも火の番小屋を設え、各戸から人を出してはそこに詰

める。アミダ籤か何かで順番を決め、手分けして町内を巡回す

る。江戸時代は昭和とは違って放水器具など粗末なものしか無

く、火事となればすぐに燃え広がってしまう。そのため火事に

は非常に神経質で、火の番も常設、専門の夜回りを雇う町も少

なくなかった。鳶の頭が先頭に立って、火事装束に身を包み、

金棒を引きながら拍子木、太鼓まで打ち鳴らしつつ巡回する大

掛かりな火の番もあったという。

 とにかくどの家も義務として火の番を出さねばならなかった

から、下町では商家の番頭手代や職人などが昼の仕事を終えて

集って来る。寒い中を一回りして番小屋に戻って来ると、渋茶

を啜っているだけではおさまらず、つい一杯ということになり、

中には山鯨などを持ち込んで鍋をこしらえたりする奴まで出て

来る。「なんでえ、今夜はやけに犬が吼えていやがる。猪肉の

匂いを嗅ぎつけやがったのか、さっきからしきりにバン、バン

と唸ってるじゃねえか」「おいおい、ありゃ犬じゃねえぜ、見

回りのお役人だ」と大騒ぎになる、おなじみの古典落語「二番

煎じ」の光景があちこちで出現した。

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 火事は恐ろしいから、こうして火の番をやるわけだが、何し

ろ寒くて億劫だ。しかし、こうして町内の面々が番小屋に顔を

揃えて、世間話に花を咲かせるのも悪いことではない。互いに

日銭稼ぎに追われて疎遠になりがちなところに潤滑油を注ぐ、

絶好の機会ともなる。火の番にはこんな効用もあったようであ

る。

 昭和40年代も半ばを過ぎると、町筋には耐火建築の家やビル

が建ち並ぶようになり、暖房も炭や炭団、練炭、石炭、石油な

ど直火のものから徐々に電気ストーブや電気炬燵、エアコンな

どに切り替わり、冬場の火事がめっきり減った。町中から火の

見櫓というものが無くなり、それとともに火の番、火の用心も

姿を消した。

 それがここ数年、また火の番が盛んになり始めた。これは防

火意識を高めようというのもさることながら、防犯対策の意味

合いが濃いようである。何しろここ数年、夜間の泥棒や痴漢の

出没が激しくなっている。火事を見て喜悦を感じる放火犯も、

コンクリートの四角い箱では火のつけようがない。それよりは、

寒空にこれ見よがしに太ももやヘソまで出して平気で歩いてい

る思考能力不全娘を脅かした方が面白いと考えたのかも知れな

い。

 とにかく絶滅しかけた「火の番」という季語がまた息を吹き

返した。「火の用心」「夜回り」「夜警」などとも詠まれ、

「火の番小屋」「夜番小屋」「番屋」なども季語になっている。

また寒夜に打つ拍子木の音はカーンカーンとよく響き、聞く者

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にそぞろ郷愁を覚えさせるところがあるせいであろう、「寒柝

(かんたく)」という季語もあって、昔からよく詠まれている。


  火の番の障子に太き影法師   高浜虚子

  水枕中を寒柝うち通る   山口誓子

  音こぼしこぼし寒柝地の涯へ   西東三鬼

  跫音の老いしと思ふ夜番かな   西島麦南

  寒柝を打てば星屑こぼれつぐ   相生垣瓜人

  天主堂めぐる寒柝ねんごろに   朝倉和江

  風の夜の火の番近しすぐ遠し   猪俣千代子

  火の番にあたたかき夜のつづきをり   岡本眸

  寒柝や話のこして帰る友   金指まもる

  夜回りに犬の鳴き声続きけり   野間泰子

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