冬至を過ぎるとまた徐々に日が長くなって来る。正月だ御用始めだと、一月はあっと言う間に過ぎてしまう。しかし、その間に日暮れは少しずつ遅くなっており、ふと忙しさから我に返った時、日が長くなって来たことに気づかされる。部屋の奥まで射し込んでいた陽射しが、太陽の高度が高くなるにつれだんだん後退して行く。昔の人は「一日に畳の目ひとつずつ日が伸びる」と言った。そんな晩冬一月下旬あたりを言う季語が「日脚伸ぶ」である。
東京近辺では日中の時間が一番長くなる夏至(六月二十一日頃)の日没はおおむね午後七時、最も日が短い冬至(十二月二十二日頃)の日の入りは大体午後四時半くらいである。半年でざっと二時間半の差がある。
冬至の柚子湯に浸かって、ばたばたと年用意をして新年を迎え、あれこれ過ごして一月下旬になると、日没は午後五時頃になる。二分や三分の違いでは気がつかないが、三十分ともなれば、かなりのうっかり者でも「おや日脚が伸びたな」と思うようになるだろう。
現代人に比べると自然の変化にずっと鋭敏だった昔の人たちは、日暮れがだんだん遅くなるのをとても嬉しく感じたに違いない。ましてや一月下旬(旧暦では十二月下旬)は大寒の真っ最中、そうでなくとも心細い時節に、お天道様が毎日少しずつでも長く留まっていてくれるのは何とも有難い気持になったであろう。
「もうすぐ春が来る」。そういう気持が「日脚伸ぶ」という季語には込められている。「春近し」「春隣」「春待つ」といった季語の仲間とも言うべき言葉で、待春の気分を具体的な日照時間の長さで表した。
そして本格的な春になり、名実ともに長くなったうららかな日を迎えると「日永」という季語に代り、明けやすい夏には「短夜」、秋になれば「夜長」、そして冬至へ向って「短日」「暮早し」という季語に取って替る。太陽の運行によって人の暮らしも気分も微妙に変化する。これは昔も今も変らない。
日脚伸びいのちも伸ぶるごとくなり 日野 草城
日脚伸ぶ夕空紺をとりもどし 皆吉 爽雨
探し得し古書ふところに日脚伸ぶ 大橋 宵火
かくし湯のぬる湯にひとり日脚伸ぶ 中村 苑子
日脚伸ぶ雪ある山になき山に 上村 占魚
四十雀鳴きて日脚を伸ばしをり 福田甲子雄
保育器をけふ出でし児に日脚伸ぶ 下村ひろし
日脚伸ぶ煎じ薬のいつか煮え 加藤 覚範
手枕や日脚伸びたる越のくに 角川 照子
枝移る禽の賑はひ日脚伸ぶ 沖山 政子