場所によって時期は異なるが、十一月末から二月にかけて花を咲かせる桜である。ヤマザクラの変種で、春のソメイヨシノに比べると木も小ぶりで花も小さく、ほとんど白に近い薄紅色で地味である。群馬県鬼石町桜山公園の冬桜が有名で、天然記念物に指定されている。東京では大田区池上の本門寺に御会式の頃に咲くという桜樹がある。御会式(日蓮忌)は十月十三日だから、新暦で行うようになった昨今はまだ秋で冬桜と言うには早過ぎるが、まあ冬桜の一種と言えよう。
春爛漫の桜花には比べる程のこともない、寂しげな桜ではあるが、あたり一面冬枯れの中にぽっと灯がともったような景色が生まれ、独特の風情をもたらす。こういうところが俳人という人種にはたまらないほど魅力的なものと映るのだろう、『ひとつ枝に飛花落葉や冬ざくら 蕪村』をはじめ、めったにお目にかかれない素材にしては冬桜を詠んだ句は多い。冬桜の句の多くは、やはりその清楚可憐な咲き方や、珍しいものに出会えた喜び、万物枯れた中で寒さにめげず、健気に花咲かせていることへの感動、称賛がモチーフになっている。
冬桜は一般には「寒桜」と呼ばれることが多い。過去の例句を見ても、冬桜よりは寒桜とした句の方が多いくらいである。しかし、ここでややこしい話になるのだが、緋寒桜という沖縄、台湾あたりに自生している派手な緋色で釣鐘型の花が房咲きになる桜がある。これの通称が寒桜で、しかも温暖化の影響だろうか、最近では東京近辺でもこの緋寒桜が見られるようになった。伊豆の温泉場などは一月からこれが満開で御祭りまでやるようになった。
本来の冬桜を寒桜とも言い、一方、緋寒桜も寒桜と呼ぶ。いつとはなしに両者が混同されて俳句に詠まれるようになった。しかし冬桜と緋寒桜は同じ桜の仲間とは思えないほど、趣の異なる花である。一方は清楚で哀れを催す咲き方をし、片や木全体に鈴なりになって濃紅色の花をつけ、押しつけがましく毒々しい感じさえするほどである。どちらの寒桜を素材にするかによって出来上がる句もずいぶん違ったものになりそうである。
うつし世のものとしもなし冬桜 鈴木 花蓑
花びらのちらりと小さき寒ざくら 石原 舟月
母癒えて言葉少なや冬桜 岡田 日郎
冬桜海に日の射すひとところ 岸田 稚魚
冬桜常陸風土記の空青し 原 和子
今日ありと思ふ余命の冬桜 中村 苑子
寒桜交はり淡くして長し 古賀まり子
寒桜淡きいのちを宙に揺る 三宅 一鳴
冬ざくら死に逆らはぬ鳥けもの 木内 彰志
島の血を継ぎし荒眉寒ざくら 中尾 杏子