冬になっても生き残っている蝿を季語として取り上げたものである。上品な和歌ではこのようなものは決して季の詞には成り得ない。俳句ならではのものである。
「五月蝿」と書いてウルサイと読むように、憎らしいほど元気よく飛び回っていた蝿も、11月ともなればすっかり姿を消してしまう。ところが中にはしぶといのが居て、12月になっても突然部屋の片隅に動いていたりする。当然弱っていて、よろよろしており、捉まえようとすると最後の力を振り絞るようにして飛び回る。憎らしいと思っていた相手だが、こうなっては哀れを催す。頑張っているなあと感心することさえある。生き物の生への執着心をまざまざと感じさせられる。そんな気分がこの季語にはある。
曲亭馬琴が編纂し、幕末に藍亭青藍が補筆した「増補俳諧歳時記栞草」に季語として採用されている。そこには余分な解説は無く、ただ『続虚栗』の中の其角の句「にくまれてながらへる人冬のはへ」を挙げているだけである。「にくまれてながらへる」という叙述と「冬の蝿」を付けるのはいささかありきたりに過ぎるような感じがするが、確かに因業爺がいつまでも場所塞ぎをしているようなところを遺憾なく表している。とにかく馬琴や青藍は、冬の蝿という季語を説明するに、この句があれば十分と判断したのであろう。
冬の蝿と並んで、「冬の蜂」「冬の虻」「冬の蝶」「冬の蛾」も季語になっている。いずれも夏の間精一杯生きたものが冬と共に滅んでいく様に、古人は「もののあはれ」を感じて、季語に立てたのであろう。また秋の風物詩である鳴く虫、たとえばコオロギなどが、初冬になっても消え入りそうに鳴いていることがある。それは「冬の虫」という別の季語になっている。
蝿も虻も蝶も、もっと寒さが厳しくなると、いよいよ動作は鈍く、生死の間をさまよう。時にはじっとして一つ所に死んだようになっている。こういう状態のものは「凍」という字を付けて、「凍蝿」「凍蝶」「凍虻」などとする。
摺る墨の香は忘れずよ冬の蝿 加舎白雄
日影もる壁に動くや冬の蝿 高桑蘭更
冬の蝿逃がせば猫にとられけり 小林一茶
日のあたる硯の箱や冬の蝿 正岡子規
文字の上意味の上をば冬の蝿 中村草田男
歩くのみの冬蝿ナイフあれば舐め 西東三鬼
職替へてみても貧しや冬の蝿 安住敦
飛びたがる誤植の一字冬の蝿 秋元不死男
わが膝の日向を去らず冬の蝿 友永一郎
少し動きおのれ確かむ冬の蝿 川端麟太