冬の蝶(ふゆのちょう)

 冬蝶、凍蝶(いてちょう)、越年蝶(おつねんちょう)などとも呼ばれ、「蝶凍つる」とも詠まれる。春の季語である蝶が夏秋を越して冬に入っても生き残っていることがあり、見る人にある種の痛々しさ、悽愴感、あるいは健気な感じを与える。俳人はこの趣をとらえて、「冬の蝶」という季語にした。凍蝶というのは、物陰や落葉の折り重なったところなどにひっそりと、まるで寒さに凍えてしまったようにじっとしている蝶を言う。

 一般に蝶は春になるとサナギから孵り、咲き始めた野の花や菜の花の蜜を吸い、力を蓄えて晩春から秋にかけて何回か産卵、それが芋虫、毛虫となって若菜を食い荒らし、大いに太ってサナギになり蝶となり、秋口に卵から孵った最後の世代がサナギの形で越冬、春になると成虫になって飛び始める。アゲハやモンシロチョウ、キチョウなどは年に3、4回世代交代するという。体力を消耗した親の蝶は次々に死んでしまうのが普通である。

 しかし、まれには枯れ葉の下や木々の下陰に潜って厳しい冬を越すしたたかなものもいる。早春のうららかな陽射しにふと黄色い蝶(キチョウ)を見たりすることがあるのがそれである。タテハチョウ類には成虫で年を越すものがかなりいる。春先まだライバルがサナギの姿で眠っているうちに、いちはやく活動を開始し、子孫繁栄をはかろうというのか。サナギになって越冬する主力部隊とは別に、こうして成虫で越年する別動隊を備えて種族保存に万全を期す自然の摂理といったものなのだろうか。

 地球温暖化が進むと、本州あたりだと普通ならサナギで越冬するものが秋に成虫になってしまい、そのままの姿で冬を越す蝶がどんどん増えて来るかも知れない。

 俳句で言う「冬の蝶」は温暖化とは全然関係なく、どうかした拍子で寒くなって来たのに生き永らえている蝶である。余命いくばくもない生き物、それもあでやかに舞っていた姿とはあまりにも対照的な哀れな様子に寄せる心情を詠んだ句が多い。「凍蝶」も「冬の蝶」とほぼ同じものとして扱われているが、言葉の感じから言えば、冬の蝶よりももっと弱った、ほとんど飛べずに固く縮こまっているような感じがある。


  落つる葉に撲たるる冬の胡蝶かな   高井几董
  たどたどと籬に沿ひて冬の蝶   西山泊雲
  被害妄想者そこらを散歩冬の蝶   山口青邨
  茶畑の波濤が生みし冬の蝶   富安風生
  冬の蝶ためらへば日がなくなるぞ   中村春芳
  はればれと冬蝶海へ死ににゆく   河合凱夫
  凍蝶に指ふるるまでちかづきぬ   橋本多佳子
  蝶凍てて苔のにほひにつつまるる   松村蒼石
  凍蝶の傷みなき翅合掌す   佐野まもる
  凍蝶の上ると見えて落ちにけり   下村梅子

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