風呂吹(ふろふき)

 大根の代表的な料理である。厚く輪切りにした大根を、昆布を敷いた鍋に入れ水をひたひたにかぶせて塩を一つまみ入れ、ことこと煮る。大根がすっかり柔らかくなったら、練り味噌を塗って食べる。好みで柚子味噌やショウガ、炒り胡麻、七味唐辛子を摺り混ぜた味噌を塗ってもいい。とにかくごく淡泊な味わいなので、大根の良し悪しが旨さを左右する。大根の代わりに蕪や冬瓜(とうがん)を用いることもある。

 なぜ「風呂吹」という名前がついたのか。湯舟の中に大根が泳いでいるように見えるからという説もあるが、それじゃ「吹き」というのは何だと聞かれると答えに窮する。滝沢馬琴は師匠である山東京伝の随筆集「骨董集」などを引いて、これは湯舟の風呂ではなく熱風を送り込むサウナのような昔の風呂で、十二分に蒸された身体を垢擦り役がふうふう息を吹きかけながらこするのを風呂吹きと言い、湯気の立つ熱い大根をふうふうさましながら食べるのがそれに似ているから風呂吹大根という名前が生まれたのだと言っている。食べ物の名前に垢擦りを持って来るのはなんとも呆れ果てるが、面白い説である。

 宇治の黄檗山万福寺門前に普茶料理「白雲庵」を営んだ林春隆(明治元年─昭和二十七年)が昭和初年に書いた「野菜百珍」には、「熱い空風呂に入って垢を掻き落とすに、息をふっふっとかけて口拍子を取りながら掻く風俗であって、これを伊勢小風呂と称したのである。さて大根の熱く蒸したものに息を吹きかけて食うさまが、この伊勢風呂吹に似たるより、風呂吹の名が一般に伝えられたのである」とあり、馬琴説を補強している。

 もう一つの説は、この風呂は入浴とは関係なく、漆器の製作工程で用いる乾燥室(ないしは大きな乾燥箱)だというものである。漆は適度な湿り気のある場所で徐々に乾かすことが肝心で、そのために大根のゆで汁を乾燥室内に吹き付ける。これが「風呂吹き」であり、残った大根に味噌を塗って食べたら意外に旨かったので、爾後これを風呂吹と称するようになったのだという。いかにももっともらしく、もしかしたらこちらが本当の語源かも知れないが、実用的過ぎて、湯女や三助の垢擦り話のような面白さが無い。

 語源探索はさておき、風呂吹は冬場の酒の肴の王者と言ってもいいだろう。魚介類の肴のようにそれ自体が旨味を主張せず、実に淡泊で滋味がある。口中がさっぱりとして、酒の味を存分に引き出してくれる。何よりも身体が芯から温まって来るような感じがいい。

 風呂吹に一番いい大根は何かというと、これまたお国自慢が始まって、各々地元産の大根を推奨してきりがなくなる。京都あたりの聖護院大根ならやわらかな舌ざわりの上品な風呂吹になるし、鹿児島の桜島大根もいい。関東では三浦大根のやや太ったものがとても旨い。大根は日本全国で栽培され、数多くの種類があるからお国自慢が始まるのだが、今日では収穫量と姿形が揃う青首大根が市場を席巻してしまい、どこの産地のものも個性が薄れているように思う。特に都会地の住人はスーパーやデパートの地下食品売り場などに並んでいるのを買って来ることが多いから、産地を云々するような贅沢は言えない。とにかく大根足と言われるように、ふっくらと太った、肌が白くてきれいな、みずみずしい感じのものを選べばいい。何日も店ざらしになって、肌に張りがなくなったようなものを避ければまずまず大丈夫である。

 昔の大根は味が濃く、それだけに辛味や苦味が気になり、アクも臭いも強かった。そこで糠をまぜて下茹でしたりしたが、今の大根はおとなしいから、いきなり本茹でしても差し支えない。水から茹で始めるが、沸騰したら火を弱めてじっくり煮るのがこつである。ぐらぐらと大根が踊るような煮方をすると、大根が痩せてしまったり煮崩れたりして、折角の滋味が失われてしまう。大根の持ち味を十二分に残そうと言うのなら、茹でずに蒸し器に昆布を敷いて蒸し上げればいい。近頃流行りのタジン鍋というトンガリ帽子の鍋で蒸し煮したものもなかなかの味わいである。

 最近の大根は個性がなくなって、すぐにふにゃふにゃになるとは言っても、大根独特の匂いはかなり残っている。これを嫌う人が意外に多い。その場合は薄口醤油を少々入れて煮るといい。

 風呂吹につける味噌だれは、小鍋に味噌を適当に取りとろ火に掛け、出汁で薄めながら味醂少々、砂糖をほんの少し入れて練る。砂糖と味醂は甘味を感じない程度にしておいた方がしつこくなくて、風呂吹本来の旨味が出る。味噌だれの濃さは、ふつふつと泡だってきた頃合いに、しゃもじで掬って垂らすととろりと落ちるくらいがいい。これだけでもいいが、柚子の絞り汁を少し入れると風味が増す。熱々の風呂吹を皿に取り、味噌だれをかけて、細かく切った柚子皮を散らして供する。柚子ではなくショウガの絞り汁や炒り胡麻を摺ったものや七味唐辛子を混ぜるとまた違った風味が味わえる。

 これではお父さんの酒肴にはいいが、子供たちの人気がもうひとつだというお母さんもいるだろう。そういう時には鶏か豚挽肉におろしショウガを少々たらし、サラダ油にごま油を少し混ぜて炒め、味噌、砂糖、味醂でやや甘味を感じる肉味噌だれをこしらえてたっぷり掛ける。これは立派なおかずになる。

 風呂吹という季語の本意は何と言ってもその温もりにある。身も心も縮こまってしまうような寒さの中で、風呂吹をふうふうやる小さな幸せといった感じの句がよく見受けられる。ただし、ともすればこうしたイメージが固定化し、型にはまったような詠み方になってしまう恐れがある。そこから逃れようとして妙にひねったり、奇抜な表現をしたり、人目を引こうと鬼面人を驚かすような物と付け合わせたりする。そういうのは風呂吹の持つ素朴な感じを損ね、嫌味になってしまう。庶民的な素材である大根料理の持ち味を素直に詠んで、しかも新鮮味を感じさせる句を詠むのは難しいが、大いに挑戦のし甲斐のある季語である。


  風呂吹にとろりと味噌の流れけり    松瀬 青々
  風呂吹の味ひ古詩に似たるかな     永田 青嵐
  風呂吹や曾て練馬の雪の不二      水原秋櫻子
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  風呂吹やいよいよ父の翁眉       佐藤まさ子
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