河豚(ふぐ)

 江戸では「ふぐ」、関西から九州に至る西国では「ふく」と言う人が多い。何故、河の豚と書くのか、どうやら中国に源があるらしい。中国では長江河口から1200キロも上流の漢口あたりまで遡上するフグがあり、昔から河で獲れるフグを海産のものより珍重していたらしい。食通の蘇東坡も詩に詠んでいる。河豚が腹を膨らます時に発する音が豚の鳴き声に似ているからとか、肉が豚のように美味であるから河の豚としたという説がある。しかし中国人は豚肉を「猪肉」と言うから、なぜこの場合だけ豚になるのか分からない。

 日本人ほど河豚が好きな国民は他に見当たらない。何しろ全国各地の貝塚から河豚の骨が見つかるから、縄文時代から食用に供されていたことは確かである。浜辺近くの浅海にもいて、動作も鈍く、産卵期などには大挙して海岸に押し寄せる種類もあるから、漁獲しやすかったためであろうか。それにしても縄文人は河豚の猛毒をどのように避けていたのだろうか。石包丁で卵巣や肝臓を傷つけずにさばくとは、大変な腕前の調理師がいたものである。

 日本近海に棲息する河豚には34種類あるという。最も小型で東京湾のあちこちの埠頭などでも見られるクサフグが体長10センチ程度、最も大型はトラフグで70センチにもなる。丸みをおびた身体つきで、ウロコが無くて皮膚はなめらか。中にはウロコが変形してできた棘のような突起を持つものもある。小さい目の回りには写真機の絞りのようになった一種のまぶたがあって、目を閉じることができる。胃につながって膨張嚢という器官があり、外敵に遭遇した時などには口から水や空気を吸い込み、胃を通してこの袋に流入させて、一気に身体を膨らませることができる。棘を持つものはこの時、ついでに棘も逆立って威嚇効果を高める。くちばし状の固い歯をきしらせて音を出すとともに、水を吸い込む時にキューキューと音を出す。

 『あら何ともなやきのふは過てふくと汁 芭蕉』という句もあるように、河豚は食いたし命は惜ししというのが、昔から誰もが河豚に対して抱いていた思いだった。室町時代末期の「大草家料理書」という本に河豚のことが書いてあり、これが料理本に河豚が登場した最初だと言われている。この本を読んだことがないので、百科事典からの孫引きだが、そこには「ふぐ汁料理は差合有候故取捨仕候也、但、しきみの木又は古屋の煤嫌べし」と書かれているだけなのだという。要するに「ふぐ鍋料理というものがあるが、差し障りがあるので、ここでは触れないことにする。ただしどうしてもという場合には、料理の際にシキミや古い家(の台所)にたまったススが入らぬよう注意すること」という意味合いである。この料理本は当然の事ながら、当時の支配階級である武家や貴族の奥向きの参考書である。命は戦場で捨てるべきもので、食べ物などにあたって死ぬような恥知らずなことはすべきではないという表向きの倫理観が厳然としてあったから、この著者は書くことを遠慮したものらしい。しかし、現実にはこの旨い魚は当時も盛んに食べられていたようで、これを無視した料理本というのもおかしい、とあれこれ思い悩んだ筆者の苦慮のあとが偲ばれる。

 河豚の身は締まっていて、上品なうま味がる。他の魚のように厚く切った刺身では、歯応えがありすぎて、ぐちゃぐちゃ噛まなければならず、折角の上品な味わいが消し飛んでしまう。というわけで、伊万里焼の模様が透けて見えるほど、薄造りにする調理法が発達した。ゼラチン質の食感が何とも言えない唇をウグイス、腸をテッポウ、皮と肉の間の腹壁をトオトオミ(身皮=三河に近いという洒落)と言い、いずれもさっと湯がいて(湯引き)細く切り、薄造りに添えるのが定法である。これをポン酢、紅葉おろし、あさつきを薬味に食べる。あらは鍋になり、鰭はあぶって熱燗をそそいで鰭酒となる。また煮凝りも旨いし、ショウサイフグなど小型の河豚の干物や粕漬けもいける。さらに、卵巣は猛毒だが白子(精巣)には毒が無く、さっと焙ると実に美味である。あの口やかましい謹厳実直居士と伝わる滝沢馬琴でさえ、白子に言及しており、北山経(山海経)の記述を引いて「そのうまきを重んじ呼びて西施乳とす」と書いている。河豚の白子から西施のオッパイを引き出すとは大変な想像力である。

 河豚に毒があることは昔から知られていたが、その毒テトロドトキシンが卵巣から初めて抽出されたのは、ようやく明治45年(1912年)のことである。もちろん河豚に何の関心も持っていない欧米諸国で、このようなものの抽出に努力する研究者のいるはずもなく、これに成功したのは日本の田原良純という人であった。それから50年後の昭和37年、やはり日本の生化学研究者がテトロドトキシンの分子式、構造式を発見し、知覚と運動機能麻痺を起す神経毒であることを突き止めた。河豚大好き国民ならではの研究成果である。ただし、河豚の毒に当たってからの特効薬は未だ出来ていない。

 河豚の俳句は、鬼貫の『鰒食うて其の後雪の降りにけり』という何だか日記帳から抜き出したような一句をはじめ、江戸時代の有名俳人は必ずと言ってよいほど読んでいる。現代俳句になってからも作例は非常に多い。「もしかしたら」という不安感に襲われながら、旨さにつられてしまう、そのスリルと、そういう事態に自らを投げ込むおかしさ。また河豚という魚の、腹に猛毒を秘めているとは到底思えない滑稽な姿。そういったものが俳句にぴたりの素材であり、人気のもとともなっているようである。


  ふぐ売にくふべき顔と見られけり   炭太祇
  妹がりに鰒引きさげて月夜かな   小林一茶
  ふぐ食うてをとこと思ふあしたあり   大江丸
  壇の浦を見にもゆかずに河豚をくふ   高浜虚子
  河豚食うてぐわらぐわら腹の鳴る夜かな   五百木瓢亭
  ふぐ食うてわかるる人の孤影かな   飯田蛇笏
  河豚の面湧いて思ひ出かきみだれ   加藤楸邨
  河豚の血のしばし流水にまじらざる   橋本多佳子
  箱河豚の箱かたむけて泳ぎけり   細見しゅこう

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