「秋になっても残っている暑さ」であり、ここで言う秋は立秋である。立秋は二十四節気の一つで、大暑の十五日後、旧暦(太陰太陽暦)では七月一日、太陽暦では八月八日頃になる。感覚的には秋と言うにはほど遠く、暑さがピークの時分である。しかし、この日からの手紙の挨拶は、「暑中お見舞い」ではなく「残暑お見舞い申し上げます」となる。
暑い暑いと言っても、立秋を過ぎる頃から中国大陸で発生した移動性高気圧がだんだんと勢力を増し、何となく涼しい風が吹いて来る。雲の形も、積乱雲がもくもくというのから、鰯雲や刷毛ではいたような巻雲というものに変って来る。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」(古今集巻四、藤原敏行)の季節である。芭蕉もこの古歌を踏まえて、「奥の細道」で金沢にたどりついた時、「あかあかと日はつれなくも秋の風」と詠んだが、これも残暑の気分の句である。元禄二年七月十七日、太陽暦で言うと一六八九年八月二十九日になる。
なまじっか涼しい風が吹いて、しのぎやすくなったなとほっとしたのも束の間、また急に暑い日が戻って来て汗だくだくとなる。「残暑」には、ああまたか、というやり切れなさが込められている。芭蕉が「あかあかと日は・・」の句を詠んだのは、金沢の門人で研師の立花北枝の庵だったそうだが、その北枝に「かまきりの虚空をにらむ残暑かな」がある。残暑の気分を遺憾なく伝えてくれる名句ではないか。「かまきりの虚空をにらむ暑さかな」では通りいっぺん、平凡な句になってしまう。一旦、秋の気配を感じさせるような日が来た後で、またぶり返した暑さ、すなわち残暑としたからこそ、この句は非凡となった。物事にとらわれることがなかったという北枝も、さすがに唸って虚空を睨むよりしょうがないといった風情である。
余計なことだが、この句を見て、「かまきりと残暑の季重なり」と言う人がいるかも知れない。しかしここでのかまきりは、残暑のやりきれなさを表現する役者であり、季語としての重みは無い。
昔の人は季節の変化に非常に敏感であった。夏の「暑し」と秋になっての「残暑」とを、微妙に詠み分ける術も自然に身につけていたようである。エアコンの利いた部屋から外を眺めて、自然の僅かな変化を感得するのは容易なことではない。
残暑と似た季語には、「残る暑さ」「秋暑」「秋暑し」がある。いずれも残暑と同じ気分で用いられている。
牛部屋に蚊の声闇き残暑かな 松尾 芭蕉
梢まで来て居る秋の暑さかな 各務 支考
秋暑し癒えなんとして胃の病 夏目 漱石
口紅の玉虫いろに残暑かな 飯田 蛇笏
牛堀でうなぎくひたる残暑かな 久保田万太郎
南瓜蔓畑にあまりて秋暑し 頴原 退蔵
秋暑し叔父の墓標は見当らず 徳川 夢声
目のふちの乾きて痒き残暑かな 上村 占魚
帰りきて熱き秋暑の柱かな 佐野 美智
義理ひとつ果せる旅の残暑かな 高樋 保子