「夜食」は「夜なべ」という秋の季語と密接に結びついている。昔の農家では昼間はもちろん田畑に出て農作業をするが、夕御飯のあとの夜なべ仕事がとても重要だった。粉を挽いたり、藁を打って俵や草履を編んだり、蚕(かいこ)の世話、糸つむぎなど、やるべきことが山積していた。町場の職人の家も同様に、昼間の仕事の続きがある。商家であれば、その日の商いの帳面付けや在庫調べ、翌日以降の段取りなど、やはり夜なべが欠かせない。勤め人家庭の主婦も日のあるうちは毎日決まった日常仕事をこなし、家族に夕食を供した後は繕い物やら家計簿付け、手紙書きなど夜なべに精を出す。
特に夜が長くなる秋は夜なべシーズンである。夜なべをすると当然お腹が空く。そこでちょっとしたものを食べる。これが「夜食」で、夜なべと並んで秋の季語となった。
夜食という決まった食べ物があるわけではない。夕御飯の残りを食べることもあるが、蒸した里芋やサツマイモ、ジャガイモ、枝豆、あるいは餅、団子、蕎麦、うどんなどが定番であった。時にはかやくめし(炊込みご飯)や残り飯に野菜などを入れて煮込んだ雑炊などをこしらえた。商家や雇い人を抱えた職人は、夜なべ(夜業)の途中あるいは終った後に、出前のうどん、蕎麦などをふるまうことも多かった。
こうした「夜なべ」「夜食」という生活習慣が大昔から連綿と昭和時代まで続いたが、今や専業農家は極端に減り、職人も中小企業主かその勤め人ということになり、夜なべの形がすっかり変った。夕御飯が終ったら一家総出で藁を打ったり縄をなったりする農家は今日では皆無と言っていいだろう。職人の仕事場も工場と名を変え、各種の機械が入り、夜なべに手作りしていた部品なども別の所から調達するといった具合に変わっている。
その代りに登場して来たのが「残業」であり、子どもたちの「受験勉強」である。もう一つはずせないのがテレビ、ゲーム、カラオケといった娯楽である。これらも広い意味では「夜なべ」の一種と言えないこともなく、「夜食」を伴う。
ただし、残業も受験勉強もテレビ見物も秋の夜長に限ったことではなく、それ自体には季節感が無い。冬であろうが夏であろうが、夜更しすれば夜食をとることになるから、「夜食」にも季節が失われた。こうした生活の変化によって、古い時代に生れた季語が死語になってしまうことが多い。
とは言え、昔のような形の夜なべこそ姿を消したが、「夜更し」の機会は昔よりぐんと増しており、それだけに「夜食」をとることも多くなっている。ことに秋の夜は長いし、ようやく暑さから解放されたという気分もあるから、残業や受験勉強といった現代版の夜なべにも力が入るし、遊びも目一杯ということになりがちだ。ということで「夜食」を秋の季語として置いておくことについては、案外異論は出ないかも知れない。
現代の「夜食」は何であろう。深夜営業のラーメンかコンビニ弁当か、それとも冷凍庫のピザをチンするか。夜食の中身も大いに変ってきている。
面やつれしてがつがつと夜食かな 高浜虚子
膝もとにいとどの跳ねる夜食かな 森川暁水
帽置いて田舎駅長夜食かな 池内友次郎
夜食粥在所の冷えは膝よりす 石橋秀野
人の顏見つゝたべゐる夜食かな 上村占魚
夜食とる連帯感の如きもの 後藤比奈夫
夜食とる後姿の足重ね 福田蓼汀
ネオンさす狭き事務所や夜食とる 小田道知
幸薄きことには触れず夜食とる 田中延幸
機械油の両手に匂ふ夜食かな 榎本城生