とろろ汁(とろろじる)

 ヤマノイモ(山芋)類をよく摺り、醤油で味付けした出汁でのばしたものがとろろ汁で、これを麦飯や蕎麦にかけると素朴だがとても旨いので、昔から日本人の大好物となっている。山々の雑木が色づき始めるころ、木々に蔓をからませていた山芋(ジネンジョ)の葉も黄色くなる。夏中たっぷりと吸い込んだ養分で根茎は太く膨らんでいる。それを掘り取って風通しの良い日蔭に数日置いて、余分な水分を飛ばした新芋をすり下ろしたとろろ汁は絶品である。山気を吸い込んでいるような、ちょっぴり土臭い、松茸や初茸、本しめじなどにも共通する香りがある。とろろ汁は昔からほとんど一年中食べられていたが、やはり秋のものが一番旨く、季節を感じさせることから秋の季語になった。

 ヤマノイモは澱粉を消化するジアスターゼを多量に含んでいるため、生で食べてもお腹をこわすことがなく、むしろ一緒に食べたご飯の消化も助ける。粘り気のあるところも何となく頼もしい感じがして、古来「滋養強壮の素」と称えられてきた。漢方でも「山薬」と名付けてヤマノイモを乾燥して粉末にしたものを滋養強壮薬としている。科学的な分析結果でも、このぬるぬる成分は多糖質とたんぱく質が結びついたもので、体内のコレステロールを吸い取り、栄養素の吸収を助ける働きがあるということが確かめられている。

 「山芋変じて鰻となる」という俚諺がある。これはつまらない物がひょんなことから立派な物になる譬えとして言われたものだが、元々はどちらも長細くてぬるぬるしていて、食べると元気百倍ということから出たもののようである。

 浅草には昔から鰻屋と並んでとろろ飯を供する店が多いが、これも日本一の遊廓吉原を控えていたからに他ならない。吉原に繰り込むにあたり、あるいは翌朝ふらふらと出て来た連中が「やい、精をつけようぜ」と鰻や麦とろを掻込んだわけである。そういう店も今では小奇麗な店構えにして、もっぱら得意客とするのはOLやオバサマ族で、イワレ因縁をご存知ないご婦人方が「やっぱり麦とろはいいわねえ」なんて幸せそうな顔をしているのが面白い。

 広重の描いた「東海道五十三次」の「鞠子」には名物とろろ汁の茶屋が描かれており、広重よりずっと以前に芭蕉も「梅若菜まりこの宿のとろゝ汁」と詠んでいる。東海道鞠子(丸子)宿は静岡市西部で、今でもこのとろろ茶屋は残っている。というより、広重の絵の藁葺き小屋に比べて何倍も大きな立派な料理屋になり、大賑わいを呈している。

 芭蕉の句は大津の門人乙州(おとくに)が江戸に向うのを送る餞別の句で、「東海道はいまや梅の花が咲き、若草が萌え始める頃で、きっと気分のいい旅になるだろう。とりわけ鞠子のとろろ汁も旨く感じるだろうね」と愛する弟子の道中を寿いでいる。

 「とろろ汁」は秋の季語だが、芭蕉の時代にはまだ季語として取り上げられていなかったようである。従ってここは「梅若菜」が季語で春の句とされている。しかしこの句は何回読直しても「とろろ汁」にかなり比重がかかっているように思える。餞別の句としてすっと詠んだ、技巧を凝らさない句で、響きも実にいいし、とろろ汁をするする呑み込む醍醐味が伝わって来る。どうも、とろろ汁が主役で、梅若菜が添え物のような感じすらして来る。

 しかし、乙州が江戸へ向ったのは確かに春であり、最初に「梅若菜」と置いて切れを作っているから、やはりこれは春の句である。とすると、今流に言えば、とろろ汁を取り合わせたために「梅若菜」と「とろろ汁」という季節違いの季語が自己主張し合っていておかしいということになってしまう。

 芭蕉時代は季重ねには割に大らかであり、季語に立てられていた言葉も今と比べてずっと少なかった。たとえその当時既に「とろろ汁は秋のもの」という考え方があったとしても、句全体が春の雰囲気を伝えるならそれは春の句とする大らかさもあって、別に問題にされることもなかったようである。むしろこの句は当時から評判になり、後々まで芭蕉の名句の一つして人口に膾炙、小林一茶は「梅わか菜さぞ乙州のとろゝ汁」と懐かしんだりうらやましがったりしている。

 ヤマノイモ科にはヤマイモ(山芋)、ナガイモ(長芋)、ジネンジョ(自然薯)、ツクネイモ(仏掌薯)、ヤマトイモ(大和芋)などいろいろある。アフリカ、アジア、太平洋諸島、中南米にまで広く分布しており、いろいろな種類のとろろ芋をひっくるめ「ヤム」と呼んでいる。アフリカや太平洋諸島、中南米の原住民にとっては、今日でもヤムはタロ芋、キャッサバ(タピオカ)などと並んで重要な食糧資源である。

 日本の山野に自生する蔓性多年草のヤマノイモは山芋、自然薯とも呼ばれ、縄文弥生の時代から人々に好まれる食べ物だったらしい。奈良時代から平安時代には山芋をとろとろに煮て甘葛(あまずら)の汁で甘味をつけた芋粥が貴族階級の宴席のご馳走になった。言わば甘いとろろ汁である。芥川龍之介の短編「芋粥」には腹いっぱい芋粥をすすりたいと願ううだつの上らない男が出て来る。小説はさておいても、大昔から山芋は美味しくて滋養豊富な自然の恵みとして珍重されたことは確かである。そうした太古の記憶が万事合理化思想の行き渡った現代日本人の心の奥底に残っているらしく、若い世代にも「とろろ大好き」と言う人が多い。

 しかし自然薯はそうそうは出回らない。そのせいか、既に江戸時代からヤマノイモ類は畑で栽培されるようになっていた。その代表的なのが長芋で、これは山芋・自然薯とほとんど同じ種類だが、中国原産で日本の山芋よりかなり太い。しかも栄養分豊富な畑で作られるから大いに育つ。そのかわり山芋に比べると水っぽく、味も淡泊である。千六本に切って冷しておいたものに花かつお、海苔、刻み三つ葉などをぱらりと散らして、梅酢をたらしたり、山葵醤油につけて食べると、ねばねばの糸を引きながらしゃりしゃりした食感があり、「つらら山葵」などと呼ばれる乙な酒肴になる。

 同じく畑で作られる長芋の一種にヤマトイモがある。イチョウイモとも呼ばれ、手のひらのような、公孫樹の葉のような形をしている。もう一つ、やはり栽培品種で主に関西地方で作られるツクネイモというのもある。これは紫がかった黒色の皮で、ゲンコツを固めたような複雑な塊状をしており、これまた所によってはイチョウイモと呼んでいるからややこしいが、漢字では仏掌薯とか捏ね藷と書く。大和芋も仏掌薯も粘り気が非常に強く、ねっとりとした食感である。ヤマノイモ科にはもう一つ、ダイジョ(大藷)と言う大型の藷のできる種類があり、九州、四国地方で作られているが市場にはほとんど出回らない。

 とろろ汁はあらかじめ割り下を作っておくところから始まる。まず昆布と鰹節(削り節で大丈夫)をたっぷり目に入れてぐらぐら湧かして出汁を拵え、さまして置く。料理教室の先生は「出汁づくりは、あらかじめ昆布を水に浸し、昆布がふくらんだところで鍋にかけ、沸騰しかけたら昆布を引上げ、そこに掻いた鰹節か花カツオを入れ、一煮立ちしたら火を止めて漉す」というようなうるさいことを言う。しかしこれは一流料亭の出汁の取り方である。

 昆布を沸騰した湯の中でいつまでもぐらぐら茹でるとアクやぬるみが溶け出すし、削り節もいつまでも煮出していると雑味が出てしまい、これで清汁を作るとあくの強い下品な味わいになるので、よろしくないとされた。お上品な料理学校の先生はそれを金科玉条としてお嫁入り準備のお嬢さんや若奥様に秘伝として授けるのだが、聞かされた娘さんたちはそんな面倒臭いことは願い下げだと、もっぱらインスタント出汁の素に頼ることになる。それでも出汁の素を使って清汁や味噌汁を作る嫁さんはまだいい方で、近ごろは袋に入った粉をお椀にぶちまけ、お湯をそそいで出来上がりというのに頼っているのが多いという。

 それもこれも出汁の取りかたなどについてあまりうるさく言うからである。昆布も鰹節も一緒にぐらぐら沸かし、十分に持てる味を引き出した出汁は雑味はあるかも知れないがとても旨い。特に味噌汁にしたり、アクの強いヤマノイモと合わせてとろろ汁を作るにはこれくらい自己主張の強い出汁の方がいい。とにかく、こうやって拵えた出汁に醤油を入れて、清汁よりはかなり辛めの汁を作って置く。

 一方、自然薯や大和芋、長芋の皮があまりにも汚ければ皮むきでむいてしまい、そうでもなければ虫食いの跡、うろになって泥のつまったような部分をひげ根と共にこそげ落し、酢水にくぐらす。擂り鉢の中に卸し金を立てて、きれいにした芋を摺り下ろす。時折、すり下ろしたねばねばのものが紫色に変色することがあるが、これは芋のアクで、気にすることはない。それよりもむしろ最近は長芋や大和芋の日持ちを良くするために、腐敗防止の薬品に浸してパック詰めにした商品があるから、皮などをこそげる前に30分ほど清水に浸しておくことの方が大事である。

 長芋だけではどうしても水っぽくて頼りないので、大和芋かつくね薯を半分混ぜると理想的な配合になる。卸し金ですり下ろしたものはまだ粒子が粗いので、それを擂り粉木で2、300回かき混ぜる。こうするとなめらかにとろりとした感じのとろろになるので、そこにあらかじめ作っておいた割り下をお玉でまず1杯そそぎ、静かにこね回し、混ざったなと思う時分に2杯3杯とそそいでは擂り粉木でかき回し、これで「とろろ汁」の出来上がりである。

 ヤマノイモ、長芋は「とろろ芋」とも言われるように、とろろ汁の材料としての用途が一般的だが、先に述べた「つらら山葵」をはじめいろいろな利用方法がある。これの煮物は非常に煮崩れしやすいので家庭ではあまり行われないが、里芋の煮物をごく上品にしたような食感と味わいである。摺り下ろしたとろろをひとつまみ紫蘇の葉で包み衣をつけて天麩羅にしたのもなかなか良い。海老や鯛の切り身、貝類、蕪や青み野菜などを薄口の出汁でさっと炊き合せたものを小鉢に取り、塩と薄口醤油をほんの少々入れて摺り下ろしたとろろを掛け、あればユズかレモンの皮を一片のせて蒸せば凝った一品になる。

 魚のすり身を丸めてゆがいたものをシンジョと言うが、そのすり身にとろろをすり込んでおくとふっくらとした味わいの良いものになる。また、素人が家庭でおいしいお好み焼きを作る秘訣は、玉子を割り入れるだけでなく、とろろを入れることである。こうするとふっくらと、しかも歯切れの良いお好み焼きになる。

 薯蕷饅頭という、ふっくらとしたやや腰高の饅頭がある。「しょよまんじゅう」あるいは「じょうよまんじゅう」と呼ばれ、茶席に供されたりする。薯蕷というのは長芋の中国名で、上新粉(米の粉)に長芋をすり込んで作った皮で餡を包み蒸した饅頭である。ヤマノイモにはものをふくらます力があり、これを入れるとぺちゃっとなってしまう饅頭の皮がふっくらする。経験的にこのことを知った古代中国人が饅頭に練り込んだのであろう。鎌倉時代に中国に留学した禅宗の坊さんが茶の湯文化と一緒に持ち帰って、京都を中心に高級菓子として広まった。

 このようにヤマノイモにはいろいろな利用方法があるが、やはり何と言っても「とろろ汁」に止めをさす。「とろろ」と言えばとろろ汁を指すことになっているのがその証拠である。

 とろろ汁を掛ける御飯も白米100パーセントのものよりは麦飯の方がうまい。少しぱさつく麦飯にぬるぬるのとろろ汁がからみついて、旨味と同時に独特の食感が生れるためであろう。薬味に青海苔をぱらりと振り、好みで刻み葱を散らし、するすると掻込むように食べると、きびしい夏を越して弱った身体に力が戻って来るような感じがする。


  とろろ汁吾に齢の高さなし   山口誓子
  むぎとろや櫟の枝のこまやかに   石川桂郎
  くらくなる山に急かれてとろゝ汁   百合山羽公
  筆一本箸は二本のとろろ汁   石原八束
  凡庸の病まぬが取り柄とろろ汁   塩川星嵐
  とろろ摺ぬ足腰強き余生かな   三宅三穂
  ざざ降りのまだおとろへずとろろ飯   鷲谷七菜子
  甲冑をうしろに置きてとろろ汁   斎藤夏風
  とろろ汁何かと齢のせゐにして    中村菊一郎
  裏富士の冷えのかぶさるとろろ汁   山上樹実雄

閉じる