蜻蛉(とんぼ)

 蜻蛉ほど颯爽とした昆虫はあるまい。四枚の羽根をぴんと張って、大空を自由に駈け回る。巨大な緑色の目玉に黒と黄色のだんだら模様が鮮やかな鬼やんまは、頭から尾の先までゆうに10センチはあり、悠々と飛んでいるさまは見ていて惚れ惚れする。

 胸から腹にかけて美しく水色に光る銀やんまの雄、黄緑の胸で羽根がちょっと茶色がかったのが雌のチャン。これを長い糸につけて空を飛ばすと、雄のギンがさーっと近づいて来るから、タイミングをはかって網でさっと掬う。これがとんぼ釣りで、昭和30年代までは東京近辺でも子供たちが夏から秋深くまでさかんにやっていた。

 やや小振りで白い粉をふいたような灰白色の蜻蛉が塩辛蜻蛉、鬼やんまを小型にしたような黒と黄色のだんだらが麦藁蜻蛉。長いことこの二つは別種の蜻蛉だと思っていたら、シオカラが雄でムギワラが雌だということを大人になってから知った。

 日本が経済大国への階段をいっさんに駈け上がって行く過程で、銀やんまも鬼やんまも、そして町中でごく普通に見られた塩辛や麦藁まで、すっかり姿を消してしまった。

 しかし自然は完全に死んだわけではなかった。遅まきながら己の愚かさに気がついた人間が、ゴミや汚水の垂れ流しにちょっと気を付けるようになると、都会の町中にどこからともなく塩辛や麦藁が姿を現しはじめた。そのうちにやんまも飛び始めるかも知れない。

 日本のことを古くは「秋津島(あきづしま)」と言った。「あきづ」とは蜻蛉のことで、つまりトンボの島という意味である。神武天皇が大和の山の上に立って国見をして、「この国はまるであきづがつるんでいる(となめ、という言葉が使われている)ような形だな」と仰せられて以来、あきづしまと呼ばれるようになったという伝説がある。もう一つ、『古事記』の雄略天皇のくだりに、「秋津島」命名の由来を述べた歌が出て来る。雄略天皇が吉野山中で猪狩りをしていた時、腕に虻が食いついたところ、さっと飛んで来た蜻蛉がアブをぱくっと食べてくれた。ああこんな手柄を立てて、あきづは自分の名前を印象づけようというのだなと、天皇はいたく感じ入って倭の国を蜻蛉島(あきづしま)と名付けたという。とにかく蜻蛉はこのように古事記の時代から日本人に親しまれていたことが分かる。

 記紀の時代から平安時代までは蜻蛉を「あきづ」と呼んでいたが、その後「あきつ」と清音で言ったり書いたりするようになり、書き言葉としては江戸時代まで続いた。しかし、世間一般では鎌倉時代あたりから「とんぼう」(「とんばう」と書いた)あるいは「とんぼ」という呼び名が一般化し、江戸時代になるともっぱら「とんぼ」と呼ぶようになっていたようである。

 なぜ、「とんぼう」などという名前がついたかは分からない。「飛ぶ棒」じゃないかと言った人がいるが、これは当てずっぽうである。しかし、考えて見ると、この俗語は子供が呼び習わしているうちに大人も使うようになった可能性があり、そうすると「飛ぶ棒」説もまんざら捨てたものではない。とにかく長い間、「あきつ」が正式な呼称としてあり、世間ではもっぱら「とんぼ」が使われていた。俗語が正式呼称になったのは、俳諧をやる人たちが盛んに詠み始めて以降のことらしい。

 蜻蛉は世界中に5000種類くらいおり、日本には190種ほどいる。幼虫はヤゴと呼ばれ、池や小川、田圃、山林の中を流れる谷川などに棲み、水棲昆虫や小魚を食べて育つ。蜻蛉が激減したのは都会周辺の池や小川が埋立てられたり、汚水が流入したことも大きいが、最大の原因は田圃の畦や用水がコンクリートで固められたことと農薬を多用するようになったためである。これでヤゴが棲めなくなったばかりか、たとえ生き延びても餌となる虫がいなくなってしまったのである。

 ヤゴは4月末から7月頃にかけて岸に這い上がって羽化し、蜻蛉になる。成虫になると飛び回りながら空中で蚊、ぶよ、蝿、ウンカ、時には虻などの大型の虫まで捕らえて食べる。雌を見つけると飛びついて尻尾に食いつき、雌の方も雄の尻に食いつくようにして輪のようになって交尾する。雌は池や小川の水面すれすれを飛び、時々水面を尾で叩くようにしながら受精卵を産み落す、それが孵ってヤゴになりひと冬を過ごして、翌年夏、蜻蛉になって飛び回る。

 蜻蛉は早いものは5月初めには飛び始め、7月にはほとんどの種類が羽化を終えている。旧暦ならば4月から6月だから、夏の季語としても良さそうなものだが、どういうわけか秋のものとされた。やはり清く澄んだ秋空を飛ぶ姿が爽やかで、蜻蛉には秋が最もふさわしいということなのだろうか。

 俗に赤蜻蛉と呼ばれるアキアカネは6月下旬に平地で羽化すると、暑い夏場を山地で過ごし、8月に入って少し涼しくなった頃に一斉に降りて来る。この印象が極めて強いから蜻蛉は秋のものという見方が定着したのかも知れない。しかし、赤蜻蛉は鬼ヤンマや銀ヤンマとは趣を大いに異にし、別種の詩情を誘うことから、蜻蛉とは別建ての独立した季語に立てられている。


  蜻蛉やとりつきかねし草の上   松尾芭蕉
  蜻蛉や村なつかしき壁の色   与謝蕪村
  行く水におのが影追ふ蜻蛉かな   加賀千代女
  遠山が目玉にうつるとんぼかな   小林一茶
  いつ見ても蜻蛉一つ竹の先   正岡子規
  停車場にけふ用のなき蜻蛉かな   久保田万太郎
  大仏にとまらんとする蜻蛉かな   河野南畦
  うれしさは捕りしとんぼをわかちゐる   篠田悌二郎
  鬼やんまひとり遊べり櫟原   石塚友二
  蜻蛉の通り抜けたる大広間   岡安仁義

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