新蕎麦(しんそば)

 季語を考える上で「蕎麦」はなかなかの曲者である。まず、単に「蕎麦」と言うだけでは季語にならない。これはまあ一年中出回っている食べ物なので、これ自体には季節を感じることがないというのが理由であろう。そこで、その年初めて出回る蕎麦を「新蕎麦」あるいは「走り蕎麦」と言って、秋の季語としている。ところが、「蕎麦刈」とか「蕎麦干す」が冬の季語としてあるから、話がこんがらがって来る。収穫するより食べる方が先というおかしな話になる。

 これにはわけがあって、元来、蕎麦は冬のもので、秋の内に食べる「新蕎麦」は初物好きの江戸っ子の需要を当て込んで作った特別のものなのである。

 蕎麦は普通、初夏に種子を蒔き、八月頃に花が咲きはじめて次々に実り、十一月に入って収穫する。だから「蕎麦の花」は秋の季語で「蕎麦刈」や「蕎麦干す」は冬の季語となった。収穫した蕎麦の実を粉にして熱湯で捏ねたり湯がいたりしたものが「蕎麦掻き」、蕎麦粉に砂糖を混ぜたっぷりの湯で溶いた「蕎麦湯」(蕎麦屋で出される蕎麦の茹汁を蕎麦湯と呼んでいるが、本来の蕎麦湯は葛湯に似た食べ物であった)や、担ぎ屋台で売り歩く「夜鷹蕎麦」も冬の季語とされた。

 蕎麦という植物は極めて丈夫で荒地にも育ち、気候の変化(冷夏など)にも適応性があり、しかも芽生えてから実を付けるまでの期間が稲や麦に比べてぐんと短い。もともとは稲や麦が作れない痩せた日当たりの良くない山間部などで作られていたのだが、麦の取入れや田植が済んだ頃に蒔いても十分実るところから、重宝がられて平地の農村地帯でも作られるようになった。

 昔は「ソバ」と言えば、蕎麦粉を熱湯で練った糊状のもの(蕎麦掻き)や、団子に丸めて茹でたものだった。今日のような細長い麺が作れなかったからである。小麦粉で作る饂飩は、平安時代には既に現代のものとほぼ同じようなものがあったらしい。しかし蕎麦粉は粘着力に乏しいから、いくらこねても、延ばして切るとぶつぶつに千切れてしまう。それで長い間、「蕎麦がき」方式に止まっていた。それが江戸初期に朝鮮半島から渡って来た元珍という東大寺の坊さんが、今日の蕎麦のような、蕎麦粉に小麦粉を混ぜて練り延ばして包丁で麺状に切り茹で上げる方法を伝えた。元珍方式の麺状のソバは、「蕎麦切り」つまり「切った蕎麦」と呼ばれてたちまち各地に伝わり、一大人気食品になった。

 元禄時代(一七〇〇年代初頭)には江戸の町には蕎麦屋がたくさん出来、夜鷹蕎麦も出現していた。それまでは江戸も大阪と同じくうどん屋が主流だったのだが、蕎麦の風味がよほど江戸っ子の嗜好に合ったのだろう、うどん屋はあっという間に蕎麦屋に取って代わられ、うどんは蕎麦屋の品書きの隅に書かれる脇役に押しやられた。

 蕎麦はすすり込む時の独特の風味、香りが身上である。しかし、蕎麦粉はとても神経質な食品で、香りがすぐに飛んでしまう。三角形の黒い殻をかぶった実のままで貯蔵し、蕎麦を打つ直前に必要量だけ粉に挽くといった気を使っても、収穫後数ヶ月で香りは薄くなってしまう。だからこそ江戸っ子は取れたて打ち立ての新蕎麦をもてはやした。そして誰よりも早く新蕎麦を食べようと、蕎麦屋をせっついた。

 そうなると上州、野州、信州など蕎麦の生産地は早期出荷を心がけるようになり、春蒔き蕎麦を盛んに作るようになった。いわゆる夏蕎麦である。陰暦で七月から八月にかけて、いまの暦で言えば九月早々に実り始めると、まだ殻が半ば青いうちに刈取り、干したり火であぶったりして半ば強制的に実を固まらせ、脱穀製粉する。殻をむいた新蕎麦の実はまだ青みがかっている。完熟させるのと違って収量は少ないが、大変な高値で売れるから十分割りが合う。この「走り蕎麦」は本当に香りが良い。こうして新蕎麦が江戸の秋を賑わすようになっていった。

 蕎麦通と称する人たちに言わせると、未熟な蕎麦を強制乾燥した新蕎麦は香りはいいが、蕎麦本来の味合いとしては物足りなさがあるという。本当に旨いのは十一月に収穫した完熟の新蕎麦なのだそうである。しかしこちらはそこまで味わい分ける舌を持っていないから、確かめようがない。それよりも、日中はまだ暑さが残っている仲秋の頃、青みがさして透き通った感じの爽やかな新蕎麦をすすり込むと、大げさではなく幸せな気分になる。

 江戸っ子ならずとも、新と名のつく食べ物は嬉しい。今年獲れた新米、とりたての大豆でこしらえた新豆腐、そして新酒。いずれも秋の爽やかさを感じさせてくれる。その中でもことに新蕎麦は、暑い夏をようやく越してげんなりした身体と萎えた心を、大いに元気づけてくれる。

 ただ、最近は冷蔵技術が進歩し、蕎麦の実の保存方法も昔と違って改良されているから、旨い蕎麦が一年中食べられるようになっている。しかも最近では、季節が日本とは正反対のオーストラリアなど南半球産の蕎麦が輸入されるようになったから、新蕎麦もあながち九月、十月限りのものとは言えなくなってきた。年中旨い蕎麦が口にできるのは嬉しいことだが、一年に一度だけ、この時期限りという新蕎麦に巡り合える喜びが失せてしまうのはちょっと淋しい感じにもなる。


  新蕎麦や熊野へつづく吉野山       森川 許六
  新蕎麦やむぐらの宿の根来椀       与謝 蕪村
  新蕎麦に猿聞く山の夕かな        横井 也有
  新しき蕎麦打って食はん坊の雨      夏目 漱石
  新蕎麦を待ちて湯滝にうたれをり     水原秋櫻子
  もたれたる壁に瀬音や今年蕎麦      草間 時彦
  おおまかに新蕎麦きって山ぐらし     鈴木 保彦
  新蕎麦を待つに御岳の雨となる      宇咲 冬男
  新蕎麦や月日の回る水車         小川 一路
  住み馴れし峡に贅あり走り蕎麦      外山智恵子

閉じる