野分(のわき)

 仲秋の季語。普通は「のわき」と言うが、「のわけ」とも言う。草木を吹き分ける強い風雨のことで、「野分きの風」の縮まった言葉。近ごろでは、台風の古い言い方だと理解されている。しかし、台風ほどの暴風雨でなくとも、また、雨を伴わず、秋によく吹く強風を一般的に野分と呼んでいたようである。

 かなり古くからある言葉で、草の生い茂った野を分ける風ということで、「野分」という名前を付けたようである。平安貴族たちは秋の半ばから晩秋にかけて吹く強風、時には雨まじりの激しい風に冬の訪れを感じ取った。ことにそれが吹き過ぎた後の、秋草や木々が倒れ、落葉が吹き寄せられた垣根や、塀が壊れたりした荒涼たる景色に、寂しさやあわれを感じ、歌に詠んだ。

 「源氏物語」の野分の巻や、「枕草子」200段の「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などのみだれたるに、前栽どもいと心苦しげなり。大きなる木どもも倒れ、枝など吹き折られたるが、萩、女郎花などのうへによころばひふせる……」が、野分の吹き荒れた後の様子を描き出した名文として知られている。清少納言もそうだが、この当時の人たち、特に歌を詠むような人たちは、野分が吹き荒れている最中ではなく、吹き過ぎた後の景色に関心を抱いた。

 時代がぐんと下って俳諧の時代になると、風雨吹きすさぶ野分の真っ最中の様子も盛んに取り上げるようになって来る。ここいら辺が雅びやかなることを専一にする平安朝歌人と、自然現象をそのまま取り込もうとする俳人との違いであろう。

 芭蕉には「芭蕉野分して盥に雨を聞く夜かな」や「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」があり、蕪村には「鳥羽殿へ五六騎急ぐ野分かな」がある。いずれも野分の真っ最中である。一茶の「寝むしろや野分に吹かす足のうら」は貧乏暮しのペーソスとユーモアの漂う句だが、これは野分の最中とは言っても、雨を伴わない、それほど強い風ではなさそうである。台風の進路からはずれ、その影響による少し強い風といったところであろう。野分はこうした程度のものも含み、台風よりは少し広範囲の意味合いを持っている。

 野分の吹き始めを「野分だつ」と言う。空が暗くなり不気味な雲がすごい早さで動いているような景色を「野分雲」、吹き過ぎた翌日からりと晴れた、今で言う台風一過の爽やかな天気を「野分晴れ」、強い雨風によって吹き荒らされた状態を「野分跡」と言う。それぞれ独特の雰囲気のある季語である。


  鶏頭の皆倒れたる野分かな   正岡子規
  我が声の吹き戻さるる野分かな   内藤鳴雪
  大いなるものが過ぎ行く野分かな   高浜虚子
  野分して蟷螂を窓に吹き入るる   夏目漱石
  薮の月一瞬ありし野分かな   松本たかし
  舟虫の畳をはしる野分かな   久保田万太郎
  野分して芭蕉は窓を平手打つ   川端茅舎
  野分中つかみて墓を洗ひけり   石田波郷
  石狩の野分の果ての漁師町   比良暮雪
  月あかき野分やこころ父に寄る   森澄雄

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