後の月(のちのつき)

 旧暦九月十三日の月のことで、俳句では「十三夜」と詠まれることが多い。今年平成二十二年の「後の月」は十月二十日、水木会が開かれる夜に上る。

 旧暦八月十五日の「名月(十五夜)」のほぼ一ヶ月後の月なので「後の月」と言い、古来日本人はこの月を仰ぎ見ながら行く秋をいとおしんだ。仲秋の名月が煌々と華やかに、実りの秋を寿ぐように照り輝くのに対して、後の月の頃になると草木にも枯れ色がきざし、吹く風も時に肌寒く、なんとなく物寂しい感じが漂う。「物思う秋」を象徴するような月である。

 芭蕉は貞享五年(一六八八年)、木曽路を旅し(『更科紀行』)、八月末に江戸に戻り九月十三日の夜、深川・芭蕉庵に山口素堂はじめ友人、弟子達を招き月見の宴を張った。その時の歌仙(連句)後書きに次のように書いている。


  木曾の痩もまだなほらぬに後の月  はせを
 仲秋の月はさらしなの里、姨捨山になぐさめかねて、なほあはれさのめにもはなれずながら、長月十三夜になりぬ。今宵は宇多のみかどのはじめてみことのりをもて、世に名月と見はやし、後の月、あるは二夜の月などいふめる。これ才子、文人の風雅をくはふるなるや・・・(後略)

 芭蕉は仲秋の名月を更科の里姨捨山で眺め、(姨捨伝説などを聞いたこともあり)慰めようもない哀れさを感じた。その光景が眼裏に残ったまま、旅疲れも抜けきらないうちに今宵十三夜を迎えた。これは宇多天皇(平安前期の天皇、菅原道真を重用した)が仰せ出されて宮中で観月の宴を催されて以来、明月ともてはやされるようになったものと言われ、後の月あるいは二夜の月とも言われる。さだめし才子文人たちが、仲秋の名月におまけを加えたようなもの、と言ったら良かろうか──といった意味の一文である。

 芭蕉は先人の言を引いて十三夜を賞するようになったきっかけを宇多天皇が催した観月宴としているが、その真偽はともかく、この日本独特の十三夜を愛でる習慣は平安前期まで遡ることができるようだ。旧暦八月十五夜は里芋の新芋(蒸したものを「きぬかつぎ」と呼ぶ)を供えるので「芋名月」と呼ばれるが、十三夜は枝豆や栗の季節に当たるので「豆名月「栗名月」という呼び名がある。いずれも民間の習俗から出たものであろう。

 民間(農民)の「お月見」は神様に秋の豊かな実りを感謝する意味合いを持っている。しかし、旧暦八月十五夜の頃は農家は稲刈りを前にしていろいろ忙しい。これが一段落した旧暦九月十三夜、つまり今日のカレンダーで言えば十月下旬の月見なら、本当にくつろげるだろう。古代の日本人の月見はむしろ「後の月」の方だったのではないかという推測もできる。だから、芭蕉も言っているように、当時の風流人士が農民の収穫感謝祭とも言うべき月見の酒盛りなどを面白がって、「我々ももう一回観月宴をやろう」と十三夜を「後の月・二夜の月」として盛んにもてはやし、それが新たな和歌の題材になったのではなかろうか。

 とにかくこうして「十三夜」の月見は日本人の間にすっかり定着し、江戸時代には仲秋の名月を愛でたのに翌月の十三夜の月見をしないのを「片月見」と言って縁起が悪いとまでされるようになった。

 しかし、十三夜の月は左下がまだふくらみ切っておらず、中途半端な形をしている。なぜ「後の月」も十五夜にしなかったのだろうか。この疑問に答えてくれる文献は未だに見つからない。まあ考えられるのは、両方ともまん丸の満月では出来すぎの感じがあり、後の月は少々不完全な形の方が風情一入という思いがあったのではないかということである。満つれば欠くる─完全無欠を厭う日本人には行く秋を惜しむ月見には満月よりは、もう少しでまん丸になる月の方が似つかわしいとの考えがあったのではないか。兼好法師も「花はさかりに月はくまなきをのみ賞するものかは」(徒然草第百三十七段)と述べている。

 とすると十七日夜の欠け始めた月の方が一層哀れをもよおすように思える。しかし十七夜では月の出がかなり遅くなるし、もう夜遅くはかなり冷え込む。風雅もいいが風邪を引いてはどうにもならないという事情もあったのであろう。

 「後の月」はこのように過ぎ行く秋を惜しみ、秋思をもたらす月ではあるが、そういう気持を前面に出して詠んでしまっては句にならない。俳諧時代から現代俳句に至るまで、後の月、十三夜の佳句とされるものは、つとめて感情を表に出さず、情景や物に託してさらりと詠んでいる。


  へだたりし人も訪ひけり十三夜    加舎 白雄
  後の月葡萄に核のくもりかな     夏目 成美
  露けさに障子たてたり十三夜     高浜 虚子
  みちのくの如く寒しや十三夜     山口 青邨
  嵯峨ははや時雨ぐせなる十三夜    鈴鹿野風呂
  遠ざかりゆく下駄の音十三夜     久保田万太郎
  目つむれば蔵王権現後の月      阿波野青畝
  麻薬うてば十三夜月遁走す      石田 波郷
  補陀落の海まつくらや後の月     鷲谷七菜子
  はいと言ひまたはいとのみ十三夜   小林しづ子

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