二百十日(にひゃくとおか)

 立春から210日目にあたる日を言う。現代の暦では9月1日か2日になる。二百二十日と共に台風シーズンであり、暴風雨被害に警戒すべき時として、徳川幕府の初代天文方渋川春海が貞享暦(1684)を編纂した時に公式に定めた「雑節」の一つである。

 飛鳥時代(6世紀末)に中国から輸入された暦には、「立春」「夏至」「冬至」などの二十四節気や、上巳(3月3日)、端午(5月5日)などの五節句といった「暦日」(季節の節目を明らかにするため名称を冠した日)が記載されていた。それを日本でもほぼそのまま採用したのだが、中国の黄河流域と日本では季節の変化に多少差があるため、それを補う意味で日本独特の気象変化を取り上げた補助的な暦日を作った。それが雑節である。二百十日、二百二十日以外に、節分、彼岸、社日(春分と秋分にそれぞれ最も近い戌の日で、産土神に春は豊作祈願、秋は収穫感謝を行う日)、八十八夜、入梅、半夏生、土用がある。

 というわけで二百十日、二百二十日は雑節の中では新顔の方だが、ちょうどこの時期は稲の開花期であり、米の出来不出来で国運が左右される瑞穂の国としては最も重要な時である。農民も支配階級の武士もこの時期の台風をひどく恐れた。台風が本土を襲いやすい日として立春から二百十日目と二百二十日目を暦に記して、「おさおさ怠るまじ」とした。しかしいくら警戒しても台風が来れば田圃は守りようがない。ただひたすらに神仏の加護を祈り、身を謹んだ。漁師は沖へ出ることを控えたとも言われている。

 そんなことから、この両日は「厄日」とも言われるようになり、二百十日、二百二十日の言い換え季語になっている。しかし近ごろは建築物が頑丈になり、堤防やダムなど治山治水もある程度整っているから、昔ほど台風を恐れることはなくなった。それでも二百十日前後になると、天気予報が急に気になったりする。遠い昔から日本人の心の奥には、この時期の暴風雨災害の恐怖心が刻み込まれており、世代交代が繰返されてもどこかに無意識の記憶が残っているのだろうか。

 特に現代俳句では、大正12年9月1日に起こった関東大震災(死者9万9000人、行方不明4万3000人)の印象が強烈だったせいか、台風ではないが自然の脅威ということで「厄日」という季語が定着した観がある。しかし関東大震災を経験した人がだんだんと少なくなる一方、平成7年1月に阪神淡路大震災が発生したこともあって、「9月1日イコール厄日」の感じはかなり薄れているようだ。

 また昔は二百十日の7日前を「前七日」と言い、これも警戒対象だったようで、今でもいくつかの歳時記は季語として掲載している。しかし、これは最早、「厄日」以上に忘れ去られ、ほとんど絶滅した季語と言っていいようである。


  内海や二百十日の釣小舟   正岡子規
  荒れもせで二百二十日のお百姓   高浜虚子
  鰡飛んで野川の二百十日かな   大須賀乙字
  小百姓のあはれ灯して厄日かな   村上鬼城
  二百十日塀きれぎれに蔦の骨   横光利一
  川波も常の凪なる厄日かな   石塚友二
  眠れざる一事のほかは厄日無事   井沢正江
  傾きて二百十日の学童よ   秋沢猛
  大厄日金魚逆立つことしきり   村上岱南

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