「紅葉」は春の「花」と並び称されて、古くから季題に立てられていた。花(さくら)、時鳥、月、雪に紅葉を加えた五つが、和歌の最も重要な季題とされてきた。それだけに紅葉を詠んだ和歌はおびただしい数に上っている。
菅原道真の「このたびは幣もとりあへず手向山もみぢの錦神のまにまに」(古今集巻9)、藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」(新古今集巻5)、百人一首に出てくる猿丸太夫の「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき」(古今集では「よみ人知らず」となっている)などが有名だ。特に猿丸太夫の歌は歌かるたにも取り上げられたことから、子供にまで親しまれ、ついには「紅葉と鹿」は付き物とされて、花札の図柄にまでなった。
俳句(俳諧)の時代になってからも、和歌の伝統を受け継ぎ、紅葉の句は沢山詠まれている。しかし、あまりにも古典的な季題として据えられたためか、あるいは秋のもっとも代表的な景色として誰もが一度は詠むべしということで、かえってマンネリズムに陥ってしまったせいか、江戸時代の紅葉の句には素晴らしい作品が少ない。俳聖芭蕉でさえ紅葉の句となると、「蔦の葉はむかしめきたる紅葉哉」とか「鬼灯は實も葉もからも紅葉哉」などと、ごく平凡なものに留まっている。蕪村にしても、「山くれて紅葉の朱をうばひけり」と、句としては美しく上品だが、もう一つ蕪村らしさが出ていない。かろうじて一茶の「日の暮れの背中淋しき紅葉かな」あたりが、歌語の伝統のがんじがらめから抜け出していると言えようか。紅葉は、むしろ現代俳句になってから見るべきものが多くなっている。
紅葉(こうよう)とは草木の葉が寒冷にあって起こす生理的現象である。秋も深まり気温が低下すると、葉の中の代謝が滞って糖類が蓄積され、アントシアンなどの色素が形成されて赤く発色する。また葉の中の葉緑体が分解されて黄色く発色することもある。これが「こうよう」(紅葉、黄葉とも書かれる)であり、「もみじ」と呼びならわしてきた。
真っ赤に紅葉する樹木の代表が楓で、一般にはもみじと言うとカエデを思い浮かべる人が多い。その中でも最もポピュラーなカエデが高尾紅葉の別名のあるイロハモミジ(イロハカエデ)。日本中の山野に自生し、神社仏閣の境内に植えられたり住宅の庭木にもなっている。五本指のように分かれた葉が、晩秋に深紅になる。京都が紅葉の名所として喧伝され、晩秋の京都の寺社はライトアップなどして拝観料稼ぎに精を出している。
カエデの他にも美しく色づく木々は沢山ある。それらの中でもひと際目立つものには、柿紅葉、梅紅葉、漆紅葉、櫨紅葉(はぜもみじ)というように、木の名前に紅葉を付けて呼ぶ。黄色くなるものの代表は銀杏黄葉(いちょうもみじ)と柏黄葉(かしわもみじ)である。また、雑木の山が赤や黄に染まる風景も美しく、これを雑木紅葉と言う。さらに、晩秋になると草も赤や黄色に染まるものがあり、これまた風情を感じさせるところから草紅葉という季語になっている。
ところが、これも地球温暖化のしからしむるところなのか、近年は関東地方ではよほど山奥に行かなければ本当に美しい紅葉が見られなくなった。紅葉は晩から朝にかけての最低気温が10度以下、望むらくは5、6度にまで下がらないと美しい赤や黄色が発色しない。11月の半ばになっても最低気温が10度を下回らないと、木々は紅葉することなく、ぼやけた色のままで散ってしまう。その昔、歌語として盛んに取り上げられた梅紅葉の梅の葉など、今では寝ぼけた薄茶色になったと思うと散って行く。急に冷え込んだりせず過ごしやすくなったのは有難いことではあるが、鮮やかな紅葉を見ることもなく、誰も彼もふやけた感じのまま、冬を迎えることになる。
関照るや紅葉にかこむ箱根山 小西来山
山くれて紅葉の朱をうばひけり 与謝蕪村
日の暮れの背中淋しき紅葉かな 小林一茶
山彦のわれを呼ぶなり夕紅葉 臼田亜浪
障子しめて四方の紅葉を感じをり 星野立子
この木登らば鬼女となるべし夕紅葉 三橋鷹女
ほどほどに老いて紅葉の山歩き 能村登四郎
紅葉の中杉は言ひたき青をもつ 森澄雄
黄葉を踏む明るさが靴底に 内藤吐天
露天湯の紅葉に染まり更年期 鈴木照子